100人のプロの71人目のプロ‼️
今回のプロは、国立天文台長である天文学のプロ常田さん。
常田さんの専門は天文学。
人工衛星や観測ロケットなどを製作し太陽の観測をされた方。
大学は東京大学を卒業。
28歳には東京大学大学院で博士課程を修了し理学博士になります。
一方私は、英語がとても苦手。
大学試験で英語は2割しか取れておらず、200点満点中40点。
それでもなんとか合格できたのは、英語のクラスがA〜Dクラスまで分けられていて、2割しか取れていない私でもAクラスに入ることのできる大学。
ちなみにDクラスの英語の授業ではアルファベットから“学び直し”。
「いくらなんでも、アルファベットから学び直しかよ!?」
衝撃に感じながらも私自身、英語の勉強になると一気に拒絶感が出てきてしまっていました。
東京大学。
高校の時に模試試験で希望校にチェックを入れたことがあります。
判定結果は…「不能」でした。
そもそも試験科目が足りなかったようです。
天と地ほどかけ離れた学歴の差。
しかし学歴というものは、自らを飾るためのものではないのだと気づかされます。
常田さんのお話です。
◯子どもの頃の夢
「科学者」
常田さんは記憶を辿ります。
よく砂場で遊んでいた幼少期。
ものづくりに興味を抱き、『子どもの科学』という本を夢中に読んでいました。
小学生高学年になると、日曜日には東京竹橋の科学技術館へ一人で行くようになります。
環境がそうさせたのか!?
…
お母様は詩人。
お父様は文芸担当の編集者。
常田さんの環境はむしろ文系一色でした。
環境に大きく影響を受ける場合もありますが、常田さんは自身で科学の世界に興味をもち、自身で行動していきます。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「自分」
砂場で遊んでると、順番に知能テストに呼ばれましたが、砂のお城づくりに集中していたあまり、うまく受け答えできなかったためか、知能テストで、「支援が必要なのでないか」と疑われます。
ケアの必要性を確かめるため、どこかの機関から女性が家に来た記憶を思い出します。
お母様はその女性に
「ケアは必要ない」
ときっぱり断ります。
息子のことを「天才」だと強く信じ続けていたお母様。
それを煩わしく感じることもありましたが、子を想う親の姿が常田さんの世界を守ります。
小中学生の頃は、学校に対していい思いがありませんでした。
むしろ嫌な気持ちでいっぱいです。
もう少し、嫌な思いが強くなっていたら…
周りに休むことを選択していた子がいたら…
しかし、自分は「学校は毎日行くものだ」と思っていました。
そんなふうに当時を振り返ります。
原因は「体育」の授業でした。
体育はどんなに頑張っても5段階評価で「2」。
マラソンではビリ。
球技大会では全く活躍できず。
運動会のカウントダウンが始まれば
「雨ふれ〜」
と願っていました。
おまけに集団生活で過ごすことにも苦手意識があり、修学旅行というものは苦痛だったそうです。
できたことがあっても、幸せを感じる時間があっても、全て嫌なことに飲み込まれていきます。
生きづらさを感じる学生時代でした。しかし、小学校では、うろ覚えですが、体育の先生が「常田、体育が苦手でも、お前には別のところで素晴らしいものがある気がする」と皆の前でいいました。これが、その後、ずっと励みになりました。
高校へ進学します。
苦手な体育は、「人によりレベルが異なり、できないことをもって悪い点はつけない」という学校側の捉え方だったため、中学校の頃とは違い幾分か穏やかに過ごすことができました。
しかし数学や理科は頑張れるのですが、いわゆる文系科目に身が入りません。
興味が湧かないのです。
世界史、日本史は落第にならない程度の成績をとっていくのに精一杯。
しかし“科学者”への憧れは、一貫して抱き続けています。
子どもの頃から好きだったものづくり。
「科学」と「ものづくり」が重なった時、天文学への興味へと移り、大学進学の意識が芽生え始めます。
もっと学びたい!
しっかり実験をしたい!
その願いを叶え、とことん学べる場。
それが東京大学でした。
一度目の挑戦は、文系科目が進む道を阻み落ちてしまいます。
合格したいから勉強するのではなく、東京大学で科学を学びたい。
その思いから、文系科目を一から必死に“学び直し”ていきます。
英語ができない大学生が、アルファベットを一から学び直すことだって、何も恥ずかしいことではありませんでした。
理由はわからないのですが、科学者への気持ちは、日に日に強くなっていきます。
「想像していたのと違うでしょ?」
生きづらさを感じていた小中学生。
失敗談のように語る大学受験。
「私なんかより優秀な方は他に沢山いらっしゃるんですよ」
笑顔を交え、そう私におっしゃる常田さん。
私の腕には鳥肌が。
想像していたことと違っていたからです。
“できないこと”に囚われ、失敗することを恐れる子どもたち。
何をやっても失敗ばかりだと思い込み、自分を否定し続ける子どもたち。
彼らを思い出すと…
「今すぐにでも伝えたい!」
感情が湧き起こります。
常田さんがようやく世の中とつながった気がしたのは、専門分野で活躍し始めた20代後半の頃。
太陽観測衛星「ようこう」で太陽のコロナと太陽フレアの観測。
その15年後の2006年に、可視光望遠鏡の開発責任者を任された太陽観測衛星「ひので」の打ち上げ。
大きな成果を納めた二つの観測衛星。
「ひので」は17年以上経った今も、我々のために宇宙で挑み続けています。
子どもの頃に好きだったものづくりが、知識を身につけることで想像もしなかった成功を手に。
可能性の芽を咲かせるのか、摘んでしまうのか。
それは…
自分次第なのです。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「やっぱり科学者」
世界史を学んだ上で科学に取り組んでいたら、違った角度で物事を考えることができていたかもしれない。
「もっと世界史を学んでおけばよかった」
と今ではそう思っているそうです。
高校の世界史の教科書を買い、今もなお学び続ける常田さん。
常に探究心をもっていらっしゃるお姿に、私自身の襟を正します。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「一理ある時は受け止める。
そして、耐え忍ぶ。」
学生生活の間でも、社会に出てからも、
時には、思いもよらないことで非難されたり、
自分の責任ではないことや事実ではないことでも、批判を浴びたりすることもあります。
それによって周りが離れていったりすると、
ますます辛く、落ち込み、孤独になります。
そんなときはどう乗り切ればよいのか、、、正解はありません。
それでも、ひたすら忍耐強く、辛くても、真っ直ぐに向き合って・・・
事実でないことについては感情的にならず、決して安易で楽な手段を選ばず、
悪いと思ったことに対しては、心から真摯に謝り、
辛抱強く対応することが大事ではないでしょうか。
また、去っていく人たちがいる一方で、
寄り添ってくれる人も、きっとあらわれます。
その人の言葉や、気遣いにどれほど救われることでしょう。
何をしても、どこへ行っても批判する人はいます。
100%同じ意見はありません。
だからこそ、自分が正しいと思うことを曲げずに、ただ真っ直ぐに。
◯未来ある子どもたちへのエール
「気づいた時が遅すぎることなんてない。
気づいた時に勉強を始めてもいい。
人生終わりと思わないで。」
小学校は、教員が袖を軽く掴んだだけで“体罰”と言われてしまうことがあります。
大学でも学生の論文を読み、分野を変更した方がその子にとって才能が開花するに違いないと思っても、それを伝えると“パワハラ”と言われてしまうことがあるそうです。
アドバイスは、“されづらく”なってきました。
それは気づくことが難しい時代でもあります。
だからこそ、自分自身で気づかなくちゃいけない時代。
“できない”
“分からない”
は「終わり」ではありません。
できないことに、分からないことに、“気づけた”瞬間です。
勉強だけじゃない。
“気づけたこと”に“気づけた時”、あなたの人生はまた一つ、始まります。
◯インタビューをして
「生きている意味を見出せない」
中学生にして、そんなことを言う生徒。
15年間の中で、何を知り何に気づけたのか…
希望を持つことができないその子に、生きる
“意味”
を知ることは、答えのない問題と向き合っているかのようでもあります。
しかし多くの大人たちも、自分たちの人生に“意味”を見出して生活しているわけではありません。
私が生まれる前から、常田さんは太陽の研究をしています。
宇宙の起源を解明したことで、私たちの生活に直接的に影響があるわけではありません。
日本の宇宙事業の予算は減る一方で、インドや中国は急成長をしてきています。
韓国も台湾も伸びてきています。
宇宙事業は、国の豊さに比例するそうです。
意味があると分かっているから、事業を行うのではありません。
知らないから、知ろうとする。
解明されていないから、研究する。
意味があるのか!?
ないのか!?…
それは、生きてきた軌跡に、やってきた歴史に、意味は生まれてくるのだと、私は思います。
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