100人のプロの92人目のプロ‼️
ハゲワシは死肉を食べる動物、いわゆるスカベンジャー。
このスカベンジャーの存在は自然界においても重要で、病気の蔓延を防いでくれたり、公衆衛生を整えてくれたりと様々。
実はこのハゲワシ、今、インドでは絶滅寸前の危機的な状況になっているとか。
ハゲワシの危機に連鎖して、人間も2000年〜2005年の5年間で50万人も死亡していることが2024年に発表されました。
ハゲワシの死亡原因は、牛のために使用されていた鎮痛剤。
インドは生乳生産国で世界1位。
牛が痛みで動けなくなっている際、鎮痛剤が処方されていました。
鎮痛剤を処方されたことのある牛の死体を食べたハゲワシが、内臓痛風と腎不全で死んでいることが2004年の論文で証明されています。
ある公園では2000羽いたハゲワシが11年後の1998年には4羽にまで減少。
スカベンジャーがいなくなってしまったインドでは、不衛生な状態によって病原菌の蔓延や新たな動物の増加による感染症被害の拡大が問題となりました。
鎮痛剤が原因であると発表された研究論文によって2年後には全面禁止に。
しかし、20年経った今でもハゲワシの個体数の回復は確認はされていません。
一つの出来事が取り返しのつなかない連鎖へと繋がっていく象徴的なものです。
日本では熊出没の多さが社会問題となっています。
そのことで様々な意見が飛び交います。
中には「全て駆除すればいい」という人まで。
では…
駆除したその先に何があるのでしょうか?
人を襲うものを片っ端から駆除していく未来に、何が待っているのでしょうか?
熊もまた山を守る動物の一つ。
ハゲワシと同様にスカベンジャーの機能も果たします。
社会問題となる前に、いち早く山の異変に気づき、情報発信をしてきた一人の猟師さんがいます。
「猟師のプロ」杉本一さんです。
杉本さんの活動は波の波紋のように、今、多くの人に影響を与え社会を動かしはじめました。
◯子どもの頃の夢
「猟師」
ラジオ放送では日本が勝っていると放送していた太平洋戦争。
杉本さんは子どもの時、校庭の雪雲の上で1機の戦闘機が追われている空中戦を見たことがあります。
追われているのはアメリカ軍と思っていましたが、実際は日本軍。
終戦で日本が負けたと知った時、子どもながら
「なぜちゃんと情報を流さないんだ!」
と思ったそう。
当時のニュースでは敵機を何機落としたとか、勝っている情報しか流さなかったからです。
杉本さんのお父様である正晴(まさはる)さんは戦時中、徴兵されずに地域の安全を任されていました。
正晴さんは幼少期に、石垣を登っていたら先に登った人に石を落とされ、右手の小指を失っていました。
なので兵隊検査で甲種合格にならなかったそうです。
終戦後、学校で授業を聞いていると、ぺったんこのリュックを背負った3〜4人の大人たちが校庭を歩いて来ます。
1枚のメモを片手に教室を覗き込むように
「杉本さんのところに行きたいのだけど…」
と言うので、学校の先生も慣れたように、杉本さんの顔を見ます。
「家まで案内してあげなさい」
そんなふうによく頼まれていました。
杉本さんは、8人兄弟の5番目。
お父様は大勢の子どもたちのためもあって食料を人に分けてあげられるくらい、つくっていました。
終戦後も地域の人たちのために、お父様が畑で育てた芋や穀類を、尋ねに来た人たちに分け与えていました。
戦争が終わろうとも、とにかく食料はなく、全国はひもじい思いをしていました。
3〜4人の大人たちは、杉本さんの住所を記したメモを別の人たちに渡し、色々な人たちが杉本さんの元へ訪れます。
まるでそのメモが命のバトンのように。
案内する度に授業を抜け、帰宅後はそのまま犬たちと山で過ごしていました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「みんなの喜ぶ顔」
海のことをよく知っているのは、海の漁師さん。
山のことをよく知っているのは山の猟師さん。
猟師(りょうし)というと海に近い人たちにとって、あまり馴染みのない職業かもしれませんが、もともと海の「漁師」も「猟師」の漢字で表記されていました。
お父様の本業は乳牛を飼う酪農家でありながら猟師さんでもありました。
ある時、お父様から猟に誘われます。
一つ一つを教えられるのではなく、お父様の所作を見て自然と山との向き合い方を学んでいきます。
獲物を獲るだけではなく、山で小さな苗木を植えながら歩くお父様に、何をしているのかを尋ねます。
「この木はえらい実がなるんだ。
あそこじゃあ後ろに大きな木があって大きく成れないから、こっちに出してやったんだ。
山鳥がこの実を食べにきて、落ちた実を4つ足の動物が食べにくる。
山のあちらこちらに、こうやって森をつくっておけば、また獲物に会えるんだ。」
と教えてくれました。
中学2年の時、色々なことを教えてくれていたお父様が事故に遭い、帰らぬ人となってしまいました。
もっと色々なことを教わりたかった。
お父様との思い出のつまった山。
使用していた猟のための銃も大切に保管したままでした。
大切な猟銃を担いで、思い出の山へ一人で猟に出かけます。
小学生の頃から一緒に行っていただけあって、猪を仕留めることができました。
まだ、食べるものが少なかった時代。
自分で獲った猪の肉を、近所の人たちに分けに行きます。
すると…大人たちが本当に喜んで受け取っていました。
その大人たちの笑顔を忘れることができないほどの表情。
“もっとみんなのために”
そんな思いから何度も猟に出ては、その度にみんなに分け与えていると、次第に警察から目をつけられ呼び出されることもあったとか。
しかし皆のためにしている行動。
役場に就職していた9つ離れたお兄さんの声掛けで、村長が直々に警察署まで迎えに来てくれていました。
そのお兄さんに中学卒業後は高校へ行くよう勧められます。
15人の学年で高校に進学したのは杉本さんだけ。
進学先は農業高校。
猟師の道へ行きたかったものの、その進学のお陰で山についてもっと深く知ることができ、接木の方法等も勉強し、今でも梅、柿、桃、栗、プラム等果樹の切接、芽接など役に立ってるとおっしゃいます。
高校卒業後は農薬会社に就職。
でも1年で辞めてしまいます。
猪の肉を分けた時に喜ぶ大人たちの顔を、どうしても忘れられなくて。
もちろん、お母様は大反対。
しかし、
「自分の人生は自分のもの!」
として反対を押し切り、念願の猟師に。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「ない」
コンクリートから人へ。
そんなスローガンのもと、15年ほど前に国の公共事業は突如、削減されました。
ダム建設などのために動員されていた人材も、仕事を失うことになりました。
その頃神奈川県では、水源林整備事業という水を守る山造りが行われたそう。
県外の土建業者が神奈川の山にスコップからチェンソーに持ち替え入山。
林業関係の仕事をしていた人は、どの木が大切な木かを知っています。
しかし建設関係の人は山のことを、木のことを知りません。
知らない人たちが山に入り、大切な木を切っていってしまいました。
それが、山に実のなる木が減少した一つの原因です。
また、神奈川県では、鹿が増えすぎたということで、かなりの頭数を駆除した過去があります。
それは今も続いており、捕獲した鹿は写真だけ写し山に置いてきています。
この事業は20年間継続して行っているんだとか。
その結果、熊がその鹿肉を食べ、より積極的に肉食行動をとるようになってしまいました。
現代の社会問題は、まさに人間が作り出している面が大きくあります。
この現状をなんとかしたいと杉本さんはずっと行動していらっしゃいます。
「どこかで元年をつくらないといかんのです。
少しでも『いい方向に向かっている』としないといけない!」
そのために、昔、農業高校で学んだ接木の方法で実のなる木を栽培しています。
「どんぐりだけではいけない」といって、栗や柿の木も同じように育て、植林をしています。
その苗をお金儲けではなく、無料で全国に分けようと取り組まれています。
今、まさに杉本さんの挑戦がはじまっているのです。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「自分が目指してきたもの。
これが基本になる。」
ノーベル賞を受賞した山中教授は幹細胞を“失敗の中から見つけた”と言っているのをテレビで見て
「神様からのご褒美だ」
と思って聞き入ったそうです。
細胞の研究では山中教授の前を歩む人はいない。
猪のことなら誰よりも詳しいと思っていた杉本さんにとって全くの異業種でも、どこか自分と重なって聞こえてきます。
昭和45年頃から猪を飼い始め、40〜50頭も飼い、猪の習性を勉強。
しかし、なかなか上手く猟ができない時もありました。
猟犬は最初に出会った動物を追いかけて行ってしまう習性があるため、犬たちと一緒に猟に出ても、山の中で一人になってしまうことがありました。
戻るわけにもいかず、仕方なく一人で探し足跡をたどります。
山の中。
ただ一人でひたすら歩く中で、声が聞こえます。
きっとその声は神様の声。
その言葉に杉本さん自身、考えさせられることがありました。
猪の足跡を犬を使わずに目で追って、寝ている猪を射止めることができるようになるまで30年。
腕を磨き続けます。
ひたすら努力を積み重たことで、気づけば国の狩猟部門で名人・達人の称号を認定されるまでに。
困難な時に成長できる鍵は必ずあるのです。
◯未来ある子どもたちへのエール
「自分で“これが進む道だ”と思ったら進むこと。
きっと誰かが後押ししてくれる。
失敗したことをバカにする人もいるかもしれない。
でも自分が一生懸命にやった結果。
自信を持つことが大事。」
猟の世界でも的を外したことで周りから笑われたり、バカにされたりして自信を失う人がいます。
そんな時、一緒に猟に出かけて基本的なことをただ教え、
「もしダメだった時は、俺が後で止めてやる」
と伝えるそうです。
でもほとんど、杉本さんが手伝わなくても大丈夫になるんだとか。
一生懸命にやってきたことに成果を出そうとしすぎて、
「これがもしこうなったら…」
「ああなったら…」
と成果を気にし過ぎて一歩を踏み出せなくなってしまうことがあります。
そんな時、力を少し抜くくらいが丁度いいのかもしれません。
一生懸命に取り組んできたという時間が、もうすでに充分な成果なのだから。
◯インタビューをして
1905年。
奈良県東吉野村で最後となる“ニホンオオカミ”は捕獲され、絶滅しました。
家畜の被害が出ているという理由から、明治政府はオオカミの駆除に乗り出したのです。
江戸時代、オオカミは庶民の間で神様と崇められていました。
鹿や猪から捕食者として農作物を守ってくれる守護神。
その守護神なき後、人間がオオカミに代わり鹿や猪を捕獲していきます。
街は整備され、山は切り崩され、農産物への被害は減少していきました。
私たちは生きるために何かの命を奪う。
それは動物であったり植物であったり。
ただ…
私たちにその自覚はあるのだろうか。
肉や魚が食べたければ、スーパーに行き、食べるばかりの状態になっているものがいくつも並ぶ。
その肉がどの動物のどこの部分から得られたものなのかも気にすることなく、カゴの中に入れられていく。
杉本さんは狩りで得た鹿の肉を、決して地面に放置することはしません。
それはきっと、一つの命として、畏敬の念を抱いているからだと思います。
私たちに必要なのは、杉本さんのように自然に対する敬意ではないだろうか。
賛成か反対かで二つに区切れるほど自然は単純ではありません。
2025年は熊を例年よりも多く駆除しています。
それがどんな影響を及ぼすのかは10年や20年後にしか分からないこともあります。
山をハゲ山にしてしまうほどの食欲をほこる鹿や猪も、山にとって大切な生命。
重要なのはバランス。
失っていいものなど一つもないのです。
0コメント