100人のプロの93人目のプロ‼️
念願の車。
定着してきたファッション。
40歳にも近づけば確立してくる自分の生活スタイル。
その全てが今…
過去のものになろうとしている。
インタビューをさせていただいた翌日、私は車を買い替えるためにディーラーに問い合わせた。
明日はデニムを買うためだけに京都へ行く。
異常かもしれない。
でも、我慢できない好奇心が私を動かす。
出会ってしまったのだ。
辻本仁史さんに。
辻本さんのインタビュー記事を何度も書き直す。
入力してはやり直しての繰り返し。
辻本さんに「すごいね」と言われたい思いと、またお会いして、色々なお話を伺いたいという欲が、心を支配する。
純粋ではない文章に胸焼けが止まらない。
そんな時、辻本さんの言葉が頭をよぎる。
“金が絡むと審美眼がブレる”
まさに今の私のようだ。
「伝えたい」という純粋な気持ちの前に、自分の欲が前へ、前へと出てしまっている。
辻本さんをマネたいのではない。
すごい車に乗ってる…。
すごい趣味がある…。
著名人が遊びにくる…。
私が感じる辻本さんの魅力はそこじゃない。
ものの考え方や捉え方が魅力的なのだ。
会えば分かる。
私がこう話す理由もきっと、理解できるはず。
失礼を承知で、書かさせてもらおう。
辻本さんは…
「人ったらしのプロ」である。
◯子どもの頃の夢
「体育の先生」
THE REAL McCOY'Sは昔のアメリカの洋服を忠実に再現するメーカーです。
ボタンやチャックなど細かな部分も、効率化や利便性に左右されないために、自分たちで工場を立ち上げ、こだわりをもって製造、縫製、販売を行っています。
だから100年経っても愛用することのできるアメカジブランド。
そんなTHE REAL McCOY'Sも辻󠄀本さんが受け継ぐ前には、多額の負債を抱え倒産していました。
その状態から復活させ、さらに成長させたのが辻󠄀本さん。
その辻本さんが高校生の頃に目指していたものが体育の先生。
体格も良くて運動も得意でした。
しかし、肺を患ってしまったことで、諦めざるを得なくなってしまったのです。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「好奇心」
辻󠄀本さんは岡山県の、のどかな所で幼少期を過ごしていました。
工場勤務で一生懸命に家族を支えてくれるお父様と、
「何が出てくるか分からない山でも…
山よりでかい猪はいないからな。」
そんなふうに怖いと感じていた世界を、ユーモアに話してくれるお母様のもとでたくましく育ちます。
小学6年の頃には、大人に間違えられるほど大きく成長した辻本さん。
同時に型にはめられたルールの中の学校に窮屈を感じていました。
ある時、辻本さんは中学に進学する際に、
「中学に入学するときは大阪に転校する」
とご両親に報告。
唐突な言葉に戸惑いと心配する心が押し寄せたはず。
どんな思いでご両親は見送ったか。
決心する辻本さんもすごいですが、子どものその言葉を受け止める親の覚悟もすごい。
「可愛い子ほど旅をさせろ」
なんて言葉はありますが、子にGPSを持たせる現代において、それはなかなかできない選択です。
自分の知っている範囲で子が成長してくれればと願う親たち。
普段は関心がないくせに、冒険しようとする度に止めに入る大人たち。
周りと違うことを防ごうとし、ないはずの子育てのマニュアルに従わせようとすれば、必ずイレギュラーなことは起きます。
分かっていてもそのイレギュラーについ発してしまう注意の言葉。
「何が基準?」と聞かれれば当たり前のように言ってしまう“みんな”というセリフ。
“みんな”と違うことがまるで悪かのように。
いつの時代にも危険な人はいて、どんな状況でも警戒する心は大切です。
辻本さんも何も問題がなかったわけではありません。
ある時、「スキーに行ってくる」と嘘をついて遊びに行ったことがありました。
しかし、トラブルに巻き込まれ警察に補導されしまいます。
未成年だった辻本さんの身元引受人としてお母様が迎えに来てくれることに。
「なんでこんなことしたの!?」
他の子たちが親から責められている声。
怒られて当然のこと。
嘘をついた挙句、面倒をかけさせてしまっていることに、自然と反省する気持ちが湧いてきます。
「えらい、長いスキーやったね」
お母様に言われた言葉はこれだけでした。
でもこの言葉が心にささり、申し訳なさで涙が込み上げます。
一歩間違えれば事件の可能性は充分にある中、親戚も知り合いもいない大阪で中学1年生になろうとする少年が、旅に出ます。
住む所のない辻本さんが行った先は、繁華街の中の「ゲームセンター」。
そこで通りがかった人や、お客として訪れた人たちの中で、知らないおじさんたちが声をかけてきます。
「何してるの?」
何人かとコミュニケーションをしていく中で
「うちに来なよ」
と言ってくれる人と出会います。
その言葉のまま、付いて行くとパチンコ屋の2階に。
そんな生活をしながら住む場所を転々としていました。
住民票の変更や転校の手続きは全部自分で行います。
転校した中学では初めこそ注目されますが、数日も経てば違和感もなく過ぎていきます。
身体能力が高かったことや、体が大きかったことで高校からアメフトの選手として推薦枠をもらいました。
推薦を利用して高校へ進学すると、次第に体育の学校の先生を志すように。
体育といえば「日本体育大学」。
先生を志し体育大学の受験準備のため健康診断を行うと、肺に異常が。
やむを得ず「体育の先生」を断念します。
絵を描くことも好きだった辻󠄀本さんに
「美術の先生になったら?」
と誰かが声をかけてくれました。
先生は変わらないからと芸術大学を受験し、無事に合格。
学校で「美術の先生」の枠が限られていることもあり、あまり魅力を感じていませんでした。
それでも芸術大学の仲間たちとは感性を刺激し合います。
小遣い稼ぎに数人の仲間たちとフリーマーケットへ。
そこで売るものは洋服。
工場を巡り、商品にならない縫製に失敗した服を回収。
ボタンをつけたり縫い合わせたりして、古着っぽく加工したものを売っていました。
自分たちが加工した服が飛ぶように売れていく。
仕入れから販売を通して面白く感じます。
“もっと学びたい”
“もっと知りたい”
その心は、古着の聖地アメリカへと飛び立たせます。
当時、英語を話すことはできませんでした。
もちろん、アメリカに知り合いはいません。
でも“好奇心”が話せないはずの英語を補います。
中学の時に大阪で挑戦した経験が、行動力へとつながっていました。
話せなかった英語は話せるようになり、知らなかった知識が分かるように。
帰国して立ち上げた古着ショップブランドが「NYLON」。
感謝する心と好奇心が、結果を残し、資産をつくりあげます。
NYLONとの取引のあったTHE REAL McCOY'Sの危機に、社員ごと守りぬくだけの力を、辻本さん自身が築き上げていました。
今では恒例となっている差し入れ持参の全国の工場への挨拶周り。
そこで働く方たちと過ごす笑顔の時間。
会社を引き継いで最初の頃は、辻本さんのどんな言葉も、みなさんは硬い表情で受け止めていたそうです。
「僕は従業員のことを家族だと思っている。
家族だからこそ、気持ちが入るし、厳しいことも言っていると思う。」
働いていらっしゃる方の中には、障害を持っている方も。
障害の方を雇っているからといって国からの援助を受けているわけではありません。
自分たちはもらわなくてもやっていけてるから、援助が欲しい会社に支援金が回ればいいと思って申請をしていないだけでした。
偉業を成し、成功を収める辻本さんに私が“成功者”という言葉を投げかけると
「僕は成功者と言えるだろうか?
まだ何も、誰にも施すことができていないように思う。」
と話します。
病院も色々な方が利用する施設もつくっている方が、“まだ何も”と言う。
それが辻本仁史さん。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「料理屋さん」
服屋さんをしていて、お客さんから“ありがとう”と言われることはあまりないとおっしゃいます。
“いい服を買えた”
という喜びは、家に帰った後や、着初めた時に噛み締めることの方が多いように思います。
一方、料理は食べてすぐに
“美味しい”
と言います。
お客さんの反応をすぐに聞けることは、とても魅力的だとおっしゃっていました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「成長できる時」
“憂鬱(ゆううつ)”と思っている時、それは成長する時。
困難を感じた時、それは自分がもう一歩進むための機会となります。
初めて行った“メモをしないインタビュー”。
「電話すればいい」
と言っていただいたものの、そのまま甘えてかけるわけにもいきません。
しかし気づけば、お話していただいた内容は頭の中に入っていました。
もちろん、辻本さんのお話が分かりやすいということもあります。
忘れないよう帰りの車の中で必死に行ったメモを、ほとんど見ることはありませんでした。
「できない」という制限をつくりだしていたのは、自分自身なんだと気づかせていただきました。
◯未来ある子どもたちへのエール
「人間は文句を言いたい放題。
言い出したらキリない。
文句言ったらダメ。」
親のせい。
環境のせい。
友人のせい。
最終的には遺伝子のせい。
言い出せば必ず、何かあります。
できない理由を重ねることよりも、できるようにするための方法を考えた方が、どれほど楽しいか。
誰かの歩んだ道をただ進むことは挑戦とは言いません。
まだ、誰も知らない自分の未来を、好奇心という光を持って挑み出してほしい。
◯インタビューをして
お父様が亡くなられた時、“皆の前で話す喪主”というのをやりたくなくて
「5万円で喪主やって」
とお母様にお願いしたそう。
無事に葬儀が終わる頃、強く、張り詰めていた心は、最後の最後で溢れ出します。
涙する辻本さんの前にお母様が手を出し
「はい。5万。」
その姿に皆、笑ったそうです。
でも、お母様がくださったのは、きっと辻本さんがお父様のことを、思う存分に偲ぶことのできる時間だったのだと思います。
言葉にしなくても伝わる思いやり。
従業員を思う優しさや、初めて会う私たちへの気遣い。
お金になるかならないかの価値判断で合理的になり過ぎてしまっている世の中に…
クレーム対策で溢れる文字の世の中に…
必要なのは辻本さんのような“粋”な姿なのだと思う。
その姿に、私は憧れたんです。
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