100人のプロの11人目からのエール‼️
「常滑焼散歩道」を訪れたことはありますか?
とってもステキな所です。
釜の煙突があちらこちらにあって…
子どもの頃は当たり前に感じていたあの風景ですが、そう言う雰囲気のある場所は年々減ってきているのかなぁと思うと、大切にしていきたい街並みです。
空き家を上手にリノベーションして、オシャレなお店やカフェをされている所も数多くあります。昔からそのまま遺る建物も、現代風に言えば「ノスタルジック」な雰囲気で趣があります。
そんなステキな街並みの、ある陶器屋さんで出会いがありました。
常滑焼の「練りのプロ」Hさんのつくったマグカップです。
そのマグカップには、何層にも色んな粘土が混ざり合っていて、ついつい眺めてしまう作品でした。
Hさんの作品は、個性的なデザインなのに飽きがこない「普遍性」を持ち合わせているような作品ばかりです。
もちろん、そのマグカップは購入させて頂きました。
その後、「100人のプロへのインタビュー」のプロジェクトが始まったため…
ダメもとでインタビューのお願いをしてみたところ…
なんと!快く引き受けて下さいました。
本当に有り難いです。
今まで沢山のプロの方々にお話を伺わさせて頂けたのですが、皆さんとは面識がありました。
しかし、今回は初対面での訪問です。
「陶芸家と言えばこう」という私の勝手なイメージで、Hさんを「恐い方」と思って少しドキドキしながら呼び鈴を鳴らしました。
すると…
Hさんが出てきて下さって、今回のインタビューの趣旨などを一通り説明させて頂いたのですが…
私のイメージとは正反対で、とても物腰柔らかで丁寧で親切な方でした。
今回のインタビューでは終始、「私のイメージは当てにならないのだなぁ」と実感させられました。
◯子どもの頃の夢
「なかったです。何でもよかったです。」
高校への入学も、友人と同じ所へと思ったみたいです。
これがしたいから、ここへ行きます!という感じではありませんでした。
お父様が陶芸家なのですが、子どもの頃から「やめておきなさい」と言われていたみたいです。
常滑焼も昔は「作れば売れる」という時代だったそうです。
今は、そう言う時代と比べて全く違うと言う意味で、お父様からの、Hさんを案ずる意味でのご助言だったのでしょうね。
それもあってなのか、陶芸家になる予定はなかったみたいです。
子どもの頃の当たり前に存在していた粘土は、Hさんにとって「生活」の一部になっていたと思います。
むしろ都会が好きで、自然があまり好きじゃなくて、事務系のお仕事を得意とされていて…
何よりも意外だったのが、「手が汚れることがイヤ」だったみたいです。
◯今の仕事に就いたきっかけ
高校卒業後は何となく就職して、何となく生活できればいいかなぁという生活をしていました。
26歳くらいになるとご実家のお仕事が忙しくなってきました。
「特に何かやりたい事がなければ、手伝いに来てほしい」
とのことだったのでご実家の事務作業を担当するため、お父様のお手伝いをするようになりました。
その中で、ただ事務だけやっていても…
と言うことで「陶芸研究所」へ修行に行きます。
ご実家のお手伝いをはじめて2〜3年が経った時、お父様がご病気をされてしまい、その後すぐに逝ってしまわれました。
ギャラリーの建物の中には、一代目として笑顔がステキなお父様のポスターが飾られていました。
私の一目惚れをした作品はお父様が編み出した技だったみたいです。
そんなHさんの作品には何故だか温かみを感じていましたが、それは2代に渡り受け継がれた心があるからなのだと思います。
実は…
お父様が亡くなられた時に、窯を閉めようと思っていたそうです。
しかし、取引先の方たちに「続けてほしい」と言われていました。
この「続けてほしい」と言うメッセージのエピソードを伺って、常滑焼の関係者の方々の温かさを感じました。
Hさんは、
「2年やってダメだったらキリをつけよう」
と決意しました。
あれから…5年以上が経過しています。
今も発注が沢山あって、個人の個別注文を受けることができないくらいに盛況です。
陶芸研究所の先輩として研修をしていた奥様も一緒になって、発注分の作品を制作されるとか…
「流れ、流れで今の職に就きました」
そうおっしゃいますが、私自身個人的に…
お父様の想いを継いでいらっしゃって、大切に家業のことを想っていらっしゃるのだと感じました。
そうでなければ、今の作品たちは生まれていないと思いますし、何よりも続けられないと思います。
ご家族が一丸となって制作されていく過程を知った私は夜、そのマグカップで飲むカフェオレの味は、とても味わい深かったです。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「東京に行ってみたいです」
何か特別に就いてみたいと言う職業があるわけではないみたいです。
強いて言うなれば…と言う感じでした。
また…
「やり直せるなら、大学に行ってみたいなぁ」と何となく生活していた自分に対して言っているかのように、昔のことを思い出しながらおっしゃっていました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「一人になります」
好き勝手に食べたり、パチンコを打ちに行くそうです。
「無」になるような状態になっていくと、
「やらなきゃな」
と言う気持ちになって、乗り切っていくとのことでした。
デジタルな世の中によって、常に情報が入ってくる時代では、「無」になる時間というのはなかなかの至難な技なのかも知れません。
しかし、頭の中が「無」になることで一旦整理され、俯瞰(ふかん)して自分を見つめることで、冷静に考えることもできますし、解決策も見つかっていきます。
大切な時間ですね。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「子どもの学校で配布していたチェックシートを見ると、自分も引っかかるなって思います。
…
そんなに気にすることないような気がする。」
発達障害だから変なのか!?そうじゃないです。
Hさんが学生の頃はわざわざ分けて考えていなかったとおっしゃっていました。
「集団で動くことが強制されている会社なら、はみ出さないことは求められると思いますが、社会に出ればそんなに気にしなくてもいい」
Hさんは色々な所で勤務されて感じたことは…
「世の中は変な人で溢れている」
でした。
決して、批判している言葉ではありません。
愛のある言葉です。
みんな自分とは違っています。共通点もありますが、他人と共通点しかなければ、面白くありません。
違うから「個性」になり、「面白味」になるのだと思います。
Hさんの作品もまた、手作りだからこそ、同じ表情の器はありませんでした。
違うからこそ、選ぶ楽しさがあります。
唯一無二の存在を。
◯インタビューをして
Hさんは私たちの
「そ〜なんですか〜」「なるほど〜」
と言う反応に
「そんなに良いように解釈しても(私には)何にもないんですよ」
と笑いながらおっしゃいました。
私は、上辺で納得や関心をしてお話を伺っていた訳では決してありません。
嘘なくHさんの言葉に深みを感じていました。
この作品たちを作った作家さんはとても自然体で、そして想像とは真逆な方で驚いていました。
言い換えると、ご自分を主張し過ぎないように感じました。
「土の保管がめんどくさいだけで、誰でもできますよ」
そんなふうにご謙遜を交えながらお話をして下さったり、
「流れ、流れでこの仕事です」
と話して下さったりしましたが…
作品についての話になると、真っ直ぐに表現をしてくれます。
「恥ずかしくないものを作りたい」
お父様の伝統を引き継いで、主張し過ぎずどんなお部屋にも自然と馴染む作品をつくっていきます。
「誰でもできます」
に対して
「私もできるかも」
なんてことは思える隙を与えない作品ばかりです。全て手作業。
子どもの頃から当たり前に触れてきたからこそ、手に取る私たちに「癒し」を提供できるのかも知れません。
主張し過ぎない、でも嬉しくなる陶器。
生活に馴染むのは、まさに思考を凝らし練られてきたお父様から続く技術と心があるからです。
Hさんはまさにプロフェッショナルでした。
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