100人のプロの14人目からのエール‼️
「家具のプロ」Yさんに棚をつくって頂けないかを尋ねる際に対応して下さったのが、道の駅の従業員の方でした。
とっても親切で、私たちが気づかないような事でも、提案し進んで対応して下さる方でした。
「お話を伺えないでしょうか?」と尋ねると…
「私よりも面白いお話を聞けると思います」
と言って裏に行き、道の駅の駅長Mさんを呼びに行って下さいました。
私たちの活動を説明し、インタビューのお願いをした所、快く引き受けて下さいました。
従業員の方の対応やMさんの従業員である仲間たちに対する敬意が感じられるステキな道の駅。
「道の駅のプロ」としてMさんにお話を伺いたい所ですが…
Mさんのお名刺に「茶師」と書かれていました。
「茶師」とは、茶葉の選定やブレンドなどをしてお茶の味を引き出していく方のことです。
どちらのプロとしてお話を伺おうかと迷ったのですが…
東白川なので、
「茶師のプロ」Mさん。
そう紹介させて頂きます。
Mさんのお茶への思い。そして地域への想い。
じっくり伺わさせて頂きました。
◯子どもの頃の夢
「父の仕事を継ぐこと」
お父様は、ある生鮮食品スーパーに卸をしていた水産加工の社長だったそうです。
郷土の味を守り続けていたお父様。
しかし、スーパーは徹底した価格管理。下げれる所は下げていく事で、低価格を生み出しています。
私たち消費者にとっては、生産者の方との直接的なやりとりが無いので、その価格がどんなに大変なものなのかに、なかなか気づくことは出来ません。
水産物の高騰が続いた際には、加工会社にとっては大きな痛手となってしまいます。
低価格を求め続けられることでMさんが20代の頃、お父様は止むを得ず会社を閉めることとなってしまいました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「第6次産業という言葉」
「父の仕事を!」と継ぐことが人生の中での計画だったため、当時は「何がしたいか!?」という問いには答えられない状態でした。
色々なことを挑戦してみよう…という所で布団を売る営業のお仕事。
しかし…
自分の仕事に堂々と胸を張れない状態だったため、辞めてしまいます。
その後は飲食店で働いてみたり、不動産業に勤務してみたりと様々な業種に挑戦してみましたが、「自分の仕事」と感じることがなかなかできませんでした。
「父の仕事」
これに代わる職種がなかなかありません。
「一度原点へ戻ろう」ということで、自分の原点である岐阜に帰ります。
そんなある時、知り合いだったお茶の工場の社長さんからお話が…
社長の会社におけるビジョンに心惹かれます。
思い描く会社の姿は「第6次産業」でした。
1次産業の生産、2次産業の加工、3次産業の販売…
これを融合させたものが6次産業と言われている新しいスタイルの産業です。
Mさんのこれまでの経験が最大限発揮されていく場でもありました。
そのビジョンに惹かれ入社し、工場作業員として働き始めます。
お茶のブレンドを行い、「火入」を行い、お茶をつくっていく作業…
香りや味の違いは漠然としてしか分からなかったのですが、3年が経過したくらいに違いがはっきり分かるようになっていきます。
茶師Mさんの誕生です。
私たちが「常滑出身です」とお伝えした瞬間、Mさんのマスク越しの笑みを感じ取ることができました。
「お時間ありますか?」
逆に私たちに尋ねてくださったMさん。
お茶を淹れるために使う道具である「急須」を常滑焼で揃えてくれていました。
そして、私たちが常滑出身ということで、常滑焼の急須でお茶を淹れて下さいました。
お茶を頂けることはもちろんの事ですが、地元常滑を大切にして下さってることや、私たちを思って淹れて下さることが、とっても、とっても嬉しかったです。
他の産地を混ぜないMさんの所の「東白川のお茶」は、とても美味しかったです。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「お茶は生涯の仕事」
そうおっしゃっていました。
色々なお仕事を転々としながら、「これしかない!」と思えるお仕事に出会えたMさん。
「お茶」という惚れ込む職種に巡り合いながらも、お茶の新たな魅力を引き出そうと様々な職種の方々とコラボをしているそうです。
コロナで自粛の波が訪れましたが、同時に様々な方たちとのコミュニケーションをはかる機会にもなったそうです。
まさにピンチの時にも、必ずチャンスと捉えられる出来事はあります。
どう今の出来事を「機会」として捉えるか!?
その捉え方で自分の行動は、人生は変わってくると思います。
お茶がこの世界から無くなってしまった場合に選ぶとしたら…
「日本酒をつくる麹屋さん」
をやるかなぁとおっしゃっていました。
通ずるものがあるように思います。
そして、Mさんのお茶への強い誇りを感じました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「人に会う」
電話ではダメで、直接会うことで刺激をもらうそうです。
私たちも「プロ100人」を目指すインタビューで、直接会うことの重要性を実感しています。電話や、メールのインタビューでは、プロの方の心の熱を感じ取ることが難しいです。
実際にお会いすることで、情熱を肌で感じることができます。
コロナ禍で道の駅の営業を自粛した時があったそうです。
再開した際にも、今までのような営業スタイルではなく、様々な所でやむを得ずの制限を強いることになってしまいました。
しかし、従業員の方々から、
「せっかく来てくれたお客さんにお茶くらい出したい!」
そんな声が上がったそうです。
お茶の町ならではおもてなし。
人との繋がりを一気に遮断されてしまった時代を、復活させるのもまた人との繋がりなのだと強く感じました。
道の駅の方に
「今年の新茶です。よろしかったらどうぞ。」
暑い時期に訪れた私たちに、冷たいお茶でもてなしてくださるそのお茶は、私たちの心を温めました。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「個性だと思っています。
好きなこと、
とことんやって、
時折、苦手なことにチャレンジしてみたら良いのかなぁ」
色々なことを考えて、親目線としての思いも込めながら、丁寧に大切に答えてくれました。
苦手なことを「みんなと同じレベルに」とかではなく、Mさんのチャレンジには「挑戦する」という意味がしっかりありました。
「苦手」はもしかしたら「食わず嫌い」であって、挑戦してみたら意外に好きなことになるかも知れません。
あらゆる挑戦は、自分の可能性を広げ、自分の未来を信じるからこそできることだと思います。
「やってみなければ分からない」
このことは、Mさんのお茶との出会いが証明してくれています。
◯インタビューをして
東白川のお茶は、生きています。
そんな当たり前のことに気づかせて頂きました。
「新茶」と言えば毎年同じ味か!?というと、そうではありません。
当たり年もあれば、またその逆の年もあります。
まさに農産物です。
Mさんは農家さんからお茶の葉を仕入れる時、かつてお父様の加工品工場を苦しめた「値引き交渉」という安易なことはしません。
適正な価格で取引を行なっていきます。
それは、農家さんの努力の結晶である宝を守ることにもなりますし、東白川のお茶に誇りを持っているからです。
会社を継ぐことは叶わなかったかも知れませんが、お父様の想いを繋ぎ継いでいるように感じました。
そこで育った茶葉たちの空気に触れながら頂くお茶の味は格別でした。
「一生かけて東白川に恩返しをしていきたい」というMさんの気持ちは、その後の私たちの雨が降る帰り道を明るく照らしました。
「よい茶の飲み置き」とはこのことですね。
※「よい茶の飲み置き」とは…
日本のことわざで、「よいお茶は頂いた後も香りや旨味がずっと口の中に残る」という意味です。
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