100人のプロの43人目のプロ‼️
キャンプファイヤーを囲っているあの瞬間、なぜだか本音を語りたくなる。
あの感じは何なのでしょうか。
モニターで映る火とは違い、本物の火には心を動かす光があります。
人がその灯を、光を手に入れたことから文明は生まれ、
その灯を、光を永遠のものにしようとしたのか…
人は、現代において「電気」が夜を照らします。
夜を夜としない私たちの抵抗。
見え過ぎてしまったせいで見えなくなってしまっている景色に、気づくことができません。
便利になっているのか!?
不便になっているのか!?
…
そんな思いになりながら、火を眺めます。
私が眺めるのは「和ろうそく」が照らす光。
「和ろうそくのプロ」Iさんから頂いた光。
ろうそくを中心に渡りはほんのりと明るく照らされます。
無理なく、自然な灯。
本物の「和ろうそく」は自然のもので、できています。
化学的なものは使用されていません。
自然の素材が、人間の知恵で灯を生み出しました。
気付けていなかった景色に気付かされます。
300年以上も前から受け継がれてきた灯。
昔から、日本の夜に灯をともしてきた技。
Iさんにお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「プロ野球選手」
「そりゃあ、野球選手でしょ」と笑顔で答えてくださいました。
巨人の長嶋選手に憧れ、中学3年まで走り続けていました。
しかし、自分自身の体格で「先が見えた」そうです。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「繋いできた歴史」
大学在籍中は、教職を目指していましたが、教育実習で子どもたちと関わり教員になることを断念しました。
実習で嫌なことがあった訳ではありません。
むしろその逆です。
子どもたちは、Iさんに休み時間を与えない程に慕ってきます。
Iさんもその想いに応え、一生懸命に向き合っていきます。
それと同時に、「言葉」の力にも気付かされます。
「自分の一言が、目の前の子どもたちの人生を左右させてしまうかもしれない。」
その責任の重さから、別の道を選択していきました。
卒業後はIT関係の会社へ就職します。
今でこそ当たり前に存在する「IT企業」ですが、当時はまだ新しい分野。
「インターネット」が普及し始めた頃です。
仕事の内容は「営業」でした。
まだITを詳しく知らない人たちの中で、会社が提供していくシステムを営業していきます。
もちろん、会社も「営業部門」を立ち上げたばかりでした。
話に行っても結果は出ません。
来る日も来る日も…。
「結果が出ないのは時代がついてきていないから」
そんな言い訳をつくる暇は与えられません。
職場で朝を迎えることは何度もありました。
帰って着替える時間がないので、近くで肌着を購入します。
通信の面白さを感じて入社したのですが、気づけば同僚に
「1年笑ってないね」
と言われ我にかえります。
笑顔の印象しかないIさんの、当時の表情を想像することはできません。
同僚の言葉に
「ダメならダメでしょうがない」
と吹っ切らせてもらいます。
ちょうどそんな気持ちになれた頃、営業の成果が出始めます。
まだまだ蕾くらいの成果ですが、その蕾は大きな花を咲かせてくれそうな気配がします。
営業部門に春の到来を感じさせる中、Iさんは仕事を辞める決心をします。
会社にも慣れ、コツみたいなものが身につき始めていた頃。
会社が嫌だったわけではありません。
家が大事だったんです。
お父様がご病気になり、入院されてしまいました。
家業は300年以上も続く和ろうそく屋さんです。
Iさんのご兄弟は閉めてもいいと言いました。
だから…「閉める」という決断をしても、罪悪感を感じる必要はありません。
でも…
そういう問題ではありません。
父親のろうそくを待っているお客さんがいます。
子どもの頃から父親のそばで仕事の様子は見てきていました。
見よう見真似で…
記憶を辿りながら…
集中治療室で療養している父親に
「これでいいだろうか?」
とアドバイスをもらいながら…
一生懸命につくります。
会社の引き継ぎもありました。
最初の6ヶ月間は、勤めていた会社と家業で睡眠時間はほとんどありません。
「出来栄えは悪く、お客さんに渡せるものではない」
今ではそう思えます。
でも必死だったんです。
先人たちが繋いできたものを、自分でやりもせず終わらせたくない
この気持ちが伝統工芸士Iさんの始まり。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「考えられない」
お父様は無事退院することが出来ました。
その後、10年間は一緒にお仕事をすることができたそうです。
与えて頂いた時間。
同じように時間が流れても、この10年間は確かな時を刻んだ時間。
欠かすことのできない時間。
そして今、奥様と共に歩み続けます。
この「考えられない」という言葉に、沢山の想いを勝手に感じてしまいました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「落ち込むのが当たり前になっていく。
これ以上落ちるのか!?
というくらい落ちてもやり続けると…
少しずつ戻る。
『ジタバタ』より『ジッと』。
大変だから一生懸命に何かやる。」
本当の「和ろうそく」は全て天然素材です。
「蝋」にはハゼの実が使われます。
天然素材ということは、自然災害の対象でもあります。
Iさんが26歳の頃、大きな台風が日本を襲いました。
その大きな台風は日本海側へと進路を進め、愛知県に被害を出したわけではないのですが…
日本のハゼが全てダメになってしまいました。
ハゼの実でつくる「蝋」がなければ「ろうそく」をつくることはできません。
取引のあった問屋に問い合わせますが
「ありません」
の言葉で終えます。
ハゼの木を育てている方との面識は一切ありません。
九州地方で生産されていることは知っていても、「誰が」「どこで」までは…。
考えても何も始まりません。
悩んでいても何も解決していきません。
300年以上も続くというのは、ただ続いてきたわけではありません。
様々な苦難を乗り越え、繋いできているから受け継がれています。
Iさんは宛てもなくハゼを求めに旅にでます。
誰もやってこなかったこと。
やらなくて済むように言い訳を並べることは簡単です。
ただ待つのではなく「何かのきっかけ」まで取り組み続けていたら、きっと何かがきっかけに。
今も「和ろうそく」の歴史を途絶えさせていないということは、そう言うことなんです。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「信頼できる人を見つけて。
出会いのある環境を。
信頼できる人と人生を一緒に歩んでくれたら」
溶けた「蝋」の器に時折、温かな「蝋」を入れ固まらないように作業をしていました。
仕事中に私たちは伺い、お話を聞かせてもらっていました。
しかしこの質問の時は、手は止まり、温かな「蝋」を入れることもせずじっくりと考えてくださっていました。
笑顔で過ごせるようにと子どもたちを想いながら。
◯インタビューをして
昨今の移り変わりの激しい中で、10年も続けることができればすごいことです。
必要だからこそ、続いていきます。
止めるのは簡単です。
合理的に。
効率的に。
そんな事ばかりがメディアを中心にスポットを浴びています。
しかし…
私たちはロボットではありません。
一つ一つを手づくりする事は、
自然の材料でつくられている事は、
もしかしたら…
非効率的で非合理的なのかもしれません。
でも!
そこにこそ「人間味」が込められているのではないでしょうか。
非効率的であっても、非合理的であっても、いいものは未来にとっておきたい。
未来で大人になる子どもたちが大人になった時、Iさんの灯を見せてあげたい。
その灯はきっと彼らの誇りとなり、希望の光となっていくものだから。
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