100人のプロの42人目のプロ‼️

小雨が降る中、インタビューへ向かいます。

最近できた建物に圧倒されながら、警備員の方に

「今日Hさんとお話しする予定になっていた者ですが…」

「Hさん?ちょっと前に会館へ向かったよ」

Hさんの名前を出すと、皆がすぐに反応。

皆から慕われていることがすぐに分かります。


時間ぴったりに伺うと2階の窓から駐車場を眺めている方が。

多分Hさん。

多分…早めに来て下さっていたようです。

会館に入ると…

「今日、インタビューする人?」

と声をかけて下さり、エレベーターの場所を口頭で説明して頂きました。

会館自体は休日ということもあって、静かな雰囲気。

口数の少ないHさん。

会館には私たちが出す音だけ。

地面を踏み締める音が力強く会館に響いてきます。

部屋に着くと、外とは違い暖かい空気。

Hさんの思いやりに肩の力が柔らかくなります。


「本日は子どもたちにエールを頂きに参りました」

インタビューの趣旨を改めてお伝えすると

「じゃあ僕じゃない方がいいよね〜。

 しまったなぁ。」

今の子どもたちとの関わりが少ないことを理由に恐縮するHさん。

「いや。是非ともHさんに伺いたいです」

と伝えると…

「今の子と僕らの時代では全く違うからね〜。

ん〜。難しいね〜。」

そうして話が始まっていきました。

Hさんの人生を体感させて頂きます。

「調教師のプロ」Hさんのお話。


※厩務員:調教師の指示のもと、担当する馬の身の回りの世話を行う方

 厩 舎:馬の飼育や調教する所

 調教師:競走馬の監督コーチとしてトレーニングする方。それぞれが自分の厩舎を持ち、

     厩務員などを雇ったりします。


◯子どもの頃の夢

「騎手」


Hさんは84歳。

当時はまだ戦争中でした。

友人が亡くなったり、知人が亡くなったり…

そんな時代。

Hさんは東京大空襲の被害にも遭いました。

避難し、戻ってきた時には家は無くなっていたそうです。


今では家の戸締まりは当たり前の話。

知らない人が家の近くを歩いていただけで不気味に感じてしまう世の中。

しかし当時は…

戸締まりをしている家は一軒もなかったそうです。

それは、空襲があった時、すぐに避難できるように。

「家の人が外に」ではなく、外にいる人が避難するためにです。


お父様は軍人として戦地へ。

お母様は畑へ。

弟の面倒はHさんが。

1日6時間おぶって面倒を見ていたそうです。

当時の食事は「ふかし芋」。

「焼き芋」は贅沢品。

そういう時代です。


◯今の仕事に就いたきっかけ

「遊び場だったから」


学校から帰ると近所にあった馬のトレセン(トレーニングセンター)へ遊びに行っていました。

馬に乗せてもらったり、厩務員(きゅうむいん)さんが食事をご馳走してくれることも。

厩務員さんにしてみれば、手伝いに来てくれた感覚。

しかしHさんにとっては、その一つ一つの作業が充実していて、Hさんの遊び場でした。

ご馳走してくれるものは「チャーハン」や「ラーメン」。

たまに「映画」もみせに連れて行ってくれました。


「中学を卒業したらここで働きたい」


そう思うのは自然な流れ。

戦争が終わって8年くらい。

お父様も無事に帰って来てくれていました。

しかし、お父様は映画館や飲食店に行ったことはありません。

そう言うことが好きではありませんでした。

そんなお父様は

「厩務員の仕事に就きたい」

となかなか言い出しづらい性格をしていました。


中学卒業間際。

Hさんは倍率5倍以上の所の就職試験に挑戦します。

担任の先生からは

「お前は無理」

と言われた企業でした。

でも…いいんです。

それだけ無理な所なら、ちょうどいいんです。

落ちた時に「やむを得ず」という体で厩務員への道に進むことができるから。

何事にも手を抜かないHさん。

試験もつい真剣に取り組んでしまいました。

結果は「採用」です。

「やむを得ず」その会社で勤めることになってしまいました。

中卒ということで、午前は勉強し午後からは仕事。

大手の会社です。手厚く、社員を大切にしてくる企業でした。


周りは安心して見送ります。

しかし…

「そんなはずではなかった」

と思っているHさん。

2日目からは厩舎へ。

その次の日も。

お父様にありったけの勇気を振り絞って伝えます。

「あの会社へは行きたくない」

するとお父様はHさんを案じ、

「覚えてから辞めなさい」

と助言します。

一刻も早く厩舎で働きたかったHさんは、「覚えてから」なんて悠長な時間はありませんでした。

お父様と喧嘩になった挙句、Hさんは裸足で家から飛び出してしまいます。

それから2年間帰ることはありませんでした。

厩舎とご実家は近所。

銭湯に行くと鉢合わせになることも。

しかし、お互い気づいていても一言も交わすことなく、背中合わせの浴場。

嫌なことから逃げた訳ではありません。

「やりたい」と心から思えたことをまっすぐに貫いているんです。

厩舎の親方の所では給料は一切支払われず、掃除、洗濯など直接関係のないようなことまでもが仕事になっていきます。

その代わり、食事や寝る場所が確保され経験を身につけることができるといった具合。

騎手になってもそれは同じこと。

決して楽なものではありません。

家を飛び出して2年が経ちました。

Hさんは騎手に。

ちょうどその頃、お母様が厩舎に尋ねにきました。

「従兄弟が来てるから日曜日においで。日曜はお父さん、釣りに行っていないから」

間を常に取り持ってくれていたお母様。

年が離れている従兄弟は、一目置く大切な存在。

父親と会うことを避けてきたHさんですが、久し振りに帰ることに。

少し早めに実家に着き、懐かしい風景と共に本棚にしまってあった漫画を読み始めます。

玄関の開く音が…

目を向けると、ずっと避けてきた父親の姿が。

お母様の策略ではなく、偶然の出来事だったようです。

気まずい空気がその場に漂います。


「元気にしてるか?」


お父様の唐突な言葉。

この言葉に張り詰めていた心が溶け出しました。

2年という長いようで短い。短いようで長い。

自分がやってきたことに悔いがないHさんにとって、しっかりとお父様と向き合うための準備ができた期間に、なっていました。


ただまっすぐに。

自分のやりたいと思えたことをまっすぐに。

愛知に来てからは調教師会会長を務めます。

途中辞退することもあったのですが、皆が呼び戻します。

務めた月日は30年。

3年ごとに選挙が行われますが、皆が必要とするため再選し続けます。

「自分のために」ではなく、「皆のために」本気になって行動できる人。

誰に対しても正しいと思ったことは貫いていける人。

だから皆がHさんを求めました。


どんなことにも「後悔」を残さなかったHさんは

「自分の人生、大満足」

と振り返ることができるんです。


◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか

「やっぱり競馬。競馬以外はしたことがない」


厩務員として、騎手として、調教師として…。

様々な経験を積んでいらっしゃいます。

自分の立場だけで物事を考えず、常に「競馬界」全体を視野に入れています。

だから地方競馬だけの問題ではない時は、日本全国の競馬関係者と一致団結して、改革を起こしたこともありました。

馬が競走するほんの数分間。

その姿はとても美しい。

それは、一つのレースに様々な人たちが関わり、様々な人生の物語があるからだと、初めて気づかされたような気持ちに、私はなりました。


◯落ち込んだ時、どう乗り切るか

「そんなない」


生き物相手です。

落ち込んでいる「暇」と言うより「場合」ではなくなってしまいます。

しかし、馬が故障した時は別。

落ち込み、何とも言えない気持ちになります。

競走馬が故障してしまうと、延命治療も難しいみたいで…

故障は「死」を意味してしまいます。

大切な馬たち。

何ともやるせない気持ちに少しでもと言う心を込めて、Hさんは手を合わせます。


最近新しくなった名古屋競馬場には、亡くなった馬たちを供養する観音様が。

Hさんは毎朝お花をお供えし、手を合わせているそうです。


◯発達個性を持った子どもたちへのエール

「いい答えは見つからんなぁ…

 本人がしっかりしていかないと。

 気強く。」


どんな逆境にもめげることなく、立ち向かったHさんの言葉。

自分を基準に、自分の価値観を当てはめることはしませんでした。

「最近の若いもんは〜」

「現代っ子は〜」

そう言う言葉も使いませんでした。

今、厩舎に来ている人たちを思い浮かべながら、自分の周りの若い子たちを思い浮かべながら…

丁寧にエールを贈ってくれました。


◯インタビューをして

子どもたちの自信を失わせているのは私たちなのか!?

はたまた自分自身なのか!?


今の厩務員さんたちの中で、4分の1の割合でインドの方が働いていると言います。

厩務員さんのお仕事は朝早く、肉体的にも大変なお仕事です。

「大変だから」と離職する日本人がいるので、ドバイで経験を積んでいるインドの方の就労する機会は増えていきます。

人材不足はどの職種でも起きていること。


中央競馬の騎手の方でインドの方の名前はまだありません。

それは日本の騎手になるための試験は「日本語」で行われるからです。

騎手も命懸けの仕事。

すごいスピードで駆け抜けていかなくてはいけません。

少しの油断が命取りになります。

そう言うこともあってなのか…

騎手の成り手も減ってきています。

昔は、努力に努力を重ねても馬に乗るチャンスが来ないこともありました。

しかし、今は競争をしなくても乗ることができています。

このまま騎手が減り続ければ、試験も「日本語」に限定されなくなってくる可能性はあります。

人口減少が叫ばれる日本社会において…

日本にいながら、多くの仕事は海外の人たちが取って代わる。

可能性はゼロではないように感じます。


自信を失っている「暇」ではなく…

「場合」では無くなってきているのかもしれません。

未来の希望の光となる子どもたち。

「やりたい」と思えることを。

「なりたい」と思える自分に。


心の筋トレ部

教員であり公認心理師である片野とさとぶーが「心の筋トレ」を実務で実践させていただいています✨皆さんの自己免疫力💪を上げ‼️予病に貢献できるよう、情報発信していきます✨

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