100人のプロの51人目のプロ‼️
最近は瓶の蓋を開けることがなかなか難しい。
ペットボトルのキャップもそう。
規格なのでしょうか…。
それとも私の力の問題なのでしょうか…。
キャップや瓶の蓋を開ける時、閉める時…
体はその向きを知っています。
メーカーによって違いはなく、世界共通。
開ける時は右向き、
閉める時は左向き。
年末になるとなんだか世の中が急ぎだします。
12月を「師走」というのも上手な表現だなぁと文化に触れてみます。
大晦日には全ての準備を終え、新年を待ちます。
新年の準備は「鏡餅」や
「しめ縄」
を飾ります。
日本ならではの縁起物です。
「しめ縄」にも向きがあることをご存知でしたか?
「しめ縄」には「しめ」というだけあって、「ギュッとしめ」て結界をはり、神聖な場とする意味を持つそうです。
気づけば「しめ縄」も左向きに捻られています。
左か右かで自然と縄の紋様は変わっていきます。
「しめ縄」は日本の文化なのに、日本原産の「しめ縄」は数が少ないです。
そんな希少価値の高い国産の「しめ縄」を素材から手づくりされているプロがいます。
「しめ縄のプロ」Hさんです。
Hさんにお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「パイロット」
特に深い意味があるわけではなく、純粋に子どもの頃に抱いた夢。
子どもの頃から家のお手伝いをしながら、自然と「しめ縄」には触れ合っていました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「お父様のご病気」
子どもの頃から遊びに行くのは春休み。
夏休みや冬休みは家の仕事がありますから、家族でどこかへ旅行へ行く時間はありませんでした。
年末年始は特に忙しい時期。
でも何も不平や不満はありませんでした。
やりたくてやっているから。
おまけに…お小遣いももらえます。
「やらない」ことの理由を並べれば自然と嫌になってしまいますが…
「やる」理由はなくたってやっていけます。
Hさんにとって「しめ縄」のお手伝いは自然な流れの一つだったんです。
就職は医療機器メーカーの会社へ。
社会人になってお給料をもらうようになっても、休みの日は「しめ縄」をつくります。
大切な家族のお仕事だから。
夏頃は稲刈りです。
お米を目的とするのではなく、「しめ縄」の材料である稲藁のために刈り取ります。
最近のお米は台風対策の品種改良によって、茎の部分は短くなり、根本の方が太い形状なので、「しめ縄」づくりには適していません。
だから自分たちで稲から育てていきます。
秋の田んぼで見かける藁の色と、「しめ縄」の色は異なります。
刈り取った藁の保存の仕方にも技があります。
特にHさんの「しめ縄」は色にも特徴があります。
青々としたエネルギッシュな緑でなければなりません。
年間で数万本の「しめ縄」を制作していきます。
神棚用や一般的なものならばHさんもつくれますが、玄関用のものになってくると技術が必要になってきます。
サイズが60cmを超えてくるものは、お父様の仕事になってきます。
家族のみんなで力を合わせて仕事をしていく姿は、家族だからこそ生み出せていくものがあるのだと感じます。
Hさんに頂いたパンフレットの裏表紙に、お父様とお母様のお姿が。
お二人が別のことを取り組んでいる様子にも関わらず、息の合った作業に映っているのは、文字よりも多くのものを伝えてくれています。
8年ほど前。
お父様がご病気に。
お父様の技術を必要とする「しめ縄」があります。
「技術を受け継がなくては」
自然とその思いになっていきます。
130年以上の技術が今も継がれていくのは、偶然なのか。
それとも、運命なのか。
勤めていた会社を辞め、家業の道を歩み始めます。
「会社に未練はなかったですか」
と尋ねました。
「未練を感じる必要があるのですか?」
と言わんばかりの当たり前のように
「ありませんでした」
と答えてくださいました。
発注や、依頼などをデータで管理していけるように、会社で培った技術を家業に取り入れていきます。
日をまたぐことが通常だった「しめ縄」の組合の会議も、1時間で終えるようになっていきます。
古き良きものは残しつつ、新しくしていく必要があるところは改善していく。
その姿勢が会議を変え、「しめ縄」の価値を高めていきます。
歴史を繋いでいくためには、変えていいものと変えてはいけないものを見極めなければいけません。
何世代もの人たちが、何人もの人たちが繋いできたものをゼロにするのは、たった1世代だけ。
そうならないためにHさんは歩み続けます。
Hさんの技やノウハウは次の世代へ。
その歩みは、Hさんのご子息へと繋がっていきます。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「今の仕事がベスト」
家業だけでなく他の業種も経験されての言葉。
今回この質問をするまで、「他の仕事」を考えたことはありませんでした。
「しめ縄」は材料を自分たちで入手できたり、必ず年末には需要が高まるといった安定性を兼ね備えているとHさんは言います。
材料確保のために自分たちで稲藁をつくりますが、農業をやっている時は「無」になって取り組むそうです。
その間に、他のやらなければならないことを考えます。
パソコンでの仕事も必要になってきますが、農業の作業中に考えているので、作業はすぐに取り掛かれます。
会社で勤められていた時は、何か企画しようとしても実行までに様々な部署での許可が必要になってきます。
その点個人事業は、責任も大きいのですが、すぐに実行できます。
Hさんにとってこれ以上の職業はありません。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「解決するまでとことん向き合う」
お酒が好きで、毎日飲んでいるそうです。
しかし、やけ酒というものはしたことがありません。
嫌な出来事や問題点が見つかり、それを避けようとしてもついて回ります。
だからこそ、向き合います。
不安を持ったまま過ごすことは辛い。
不安を抱いたまま飲むお酒は美味しくありません。
充実した日を過ごすために。
美味しいお酒を飲むために。
Hさんは「しめ縄」の組合を支えています。
昔は40軒近くあった組合員も、後継者不足のために5軒ほどに。
輸入品は増えても、国産を求める需要は減ってはいません。
需要に対しての供給で悩みます。
避けていては、伝統工芸品として維持することができなくってしまいます。
困った時には声を上げる。
それは大切な力です。
引退された方々に声をかけ、協力してもらいます。
一人で抱え込まず、問題から目を逸らさず…
その取り組みが日本の「しめ縄」を護っています。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「自分のことどう思っているか分かんないけど…
思っているより卑下してない?
自分の個性を大切にしていってほしい」
自分自身のことを理解することは難しい。
一度自信を失えば、持っている可能性に気づくことも難しくなってきます。
自分を大切にできているか!?
自分を好きでいられているか!?
自分の価値は数値で表しきることはできません。
簡単に分類することなんてできません。
唯一無二の存在。
それがあなたですから。
◯インタビューをして
「縄」と言えば私は「縄文時代」を連想します。
日本の歴史を勉強する時、最初に学ぶ時代。
昔は特に詳しく扱われなかったのですが、徐々に遺跡の解析が進むにつれ、重要な時代としての位置付けがなされるようになってきました。
よく授業で
「縄目の紋様がある土器が使われていたから『縄文時代』と言います」
と説明されます。
農耕が始まった時代でもあります。
全国的に農耕が広まったのは次の時代である「弥生時代」。
農耕が全国に広がったかどうかで区別される二つの時代ですが…
二つの時代の大きな違いは他にあります。
それは「争い」です。
弥生時代の遺跡は、他からの侵入を防ぐために頑丈に防御されていました。
一方で縄文時代からはそのような遺跡はありません。
人の遺骨からも分かります。
縄文時代の人たちの遺骨からは、争った形跡は一切出てきていません。
大きな集落があっても、権力争いはなかったかもしれません。
少なくとも、相手を殺めることはしていなかった時代です。
そんな縄文時代の縄目の紋様は、いったいどのような意味を持つものなのか!?
未だ解明はされていません。
犬とも良好な関係を築いていた縄文時代。
きっと…
心優しい人たちで溢れていたのではないかと想像します。
「しめ縄」のプロHさんもまた、心優しいプロです。
「伝統産業はビジネスだけをやっていくものではない」
その理念から「しめ縄」の飾りを障害により就職が難しくなってしまった方々の施設に依頼し、仕事を提供しています。
ただやらせるのではなく、自分自身現地に赴きます。
実際に活動の様子を見て、より良い貢献を今も模索していらっしゃいます。
人々の暮らしに根付く「しめ縄」。
それを制作している方は、暮らす人の幸せを願いながら大切につくっていらっしゃいました。
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