100人のプロの62人目のプロ‼️
「茶道のプロ」千さんのもとへ伺った際、お茶室に呼んで頂きました。
初めてお会いする前はいつも緊張するものです。
そこに出して頂いたお茶菓子。
お茶菓子は葛饅頭(くずまんじゅう)でした。
キレイな姿だっただけに「もったいないなぁ」と思いながらも、一口サイズに。
一つ、口に頬張ります。
口の中が和菓子の甘さで満たされた時、私の肩の力は、幾分かほぐれた気がしました。
和菓子の力を知った最近の出来事で…
「『和菓子のプロ』の方にインタビューをしたい」
そんな思いになったきっかけでした。
和菓子といえば、私の中では「松華堂」さん。
「松華堂」さんのお菓子は無添加。
素材にもこだわりを持ち、食べる人の安心安全を考えて下さっているので、贈り物として渡す際、お菓子だけではないものも、贈り物として渡せているような気がします。
インタビューに伺った日は、太陽の日差しと、湿度を強く感じる暑い日でした。
だから、涼しくなるようなものを食べたくなって。
夏といえば「わらび餅」。
しかし松華堂さんでは、湿気の多い夏にわらび餅を販売しません。
「きな粉の風味が夏の湿度で充分に発揮されないから」
と松華堂の内田さんが“こだわり”を教えて下さいました。
一番美味しい状態で食べるための我慢。
我慢することを快く受け入れられたのは、店頭に並ぶ生菓子に涼を感じたから。
どんな食感なのだろうか?
どんな甘さなのだろうか?
何をイメージされたのだろうか?
一つの生菓子に想いが巡ります。
和菓子には、会話をさらうのではなく、和ませる力があるような。
「和菓子のプロ」内田さんにお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「プロ野球選手」
小学生の頃にクラブチームに入って、野球少年として過ごしていました。
中学校に入学し、部活の選択を迫られます。
小学校の頃からやっている「野球部」は選択はしませんでした。
野球部といえば…
土日の休みはなく、先生はとにかく厳しくって…
そんなイメージがあります。
それは内田さんにとって“避けたいこと”でした。
野球部の選択はせず、陸上部を選択していきます。
特別に表彰されたわけではなかったのですが、楽しく過ごせたそうです。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「板長の言葉」
「松華堂」さんの歴史は「松屋」という屋号の時から考えると、江戸時代から始まります。
由緒ある和菓子屋さん。
小学生や中学生の頃には先生や、周りの人たちから「松華堂の息子」として認識され、自分が考えるよりも先に、「跡継ぎ」として周りの人たちからは言われていました。
内田さんにとってそれは“嫌なこと”でした。
家族からは言われなかったのですが、周りから当然のように言われていたことに反動もあってか、「継ぎたくない」と思うようになっていきました。
高校は地元から少し離れた所。
自分のことを、自分の家業のことを知らない人の方が多い環境。
初めて会う人や、友人たちに自分の家が何をしているかなどは言いません。
もし必要に迫られて言わざるを得ない時には
「自営」
とだけ。
「継いでいかなければ」
という気持ちがなかっただけで、家業のことを拒絶していたわけではありません。
むしろ、子どもの頃から自分の家の和菓子は大好きでした。
当たり前のようにある家の和菓子を、純粋に美味しく味わっていただけ。
大学生になり、居酒屋のアルバイトを始めます。
バイト先の板長は少し厳しい方でした。
気づけばその板長は1年間、内田さんに対して全く話してくれなかったそうです。
そんな関係であっても、1年後には一番心を通わせる仲になっていくのですから、人間関係というものはわかりません。
わからないから、面白いのです。
決めつけて、分類して、誤解したまま関係を断ってしまっていては、何も生み出しません。
「嫌だ」と思った人がもしかしたら、自分にとって大切なことを気づかせてくれる人なのかもしれません。
「苦手」と感じた人がもしかしたら、自分の将来を変える言葉を言ってくれる人なのかもしれません。
そう思うと…人間関係はもっと純粋で、もっと単純で、なんだか勇気が湧いてきます。
内田さんは話してくれなくても腐ることなく、文句を言うことなく、一生懸命に仕事をしていました。
「話してくれない」ということで関係を断つことをしませんでした。
その内田さんの姿が、板長の心を溶かしたのかもしれません。
徐々に話すようになり、打ち解けていくようになっていきました。
大学卒業後の就職を考える時期。
内田さんにとって「不自由のない生活」が一つの目標でした。
それを実現するための手段として選択したのが、企業に就職してサラリーマンになること。
板長に話します。
甘いものが得意でない板長に、実家から持参した生菓子を持って。
生菓子を食べた後、板長が内田さんに怒ります。
「この味。守らないかん。
こんな美味しいもの」
今まで家業を「守る」という捉え方をしたことがありませんでした。
当たり前のようにあって、なぜか当たり前のようにずっとずっと先の未来でも、家の和菓子を食べている気でいて。
内田さんにはご兄弟がおられます。
でも内田さんが継がなければ、「この味」は無くなっていたところでした。
自分の「やらねばならぬこと」という使命感は、内田さんの決意となっていきます。
心ある言葉が、内田さんに大切なことを気づかせてくれました。
大学卒業後ご家族と相談し、様々な経験を通して一から和菓子を学ぶことに。
お祖父様の紹介で名古屋の和菓子屋さんへ。
そこで3年間の修行を。
屋号を「松華堂」と改めた11代目当主と同じように、名古屋の地で修行をします。
最初は和菓子の基本である餡子をつくるのも大変な思いをしていました。
先が見えなくて、熱くて、重くて…。
小豆をどれくらいに煮ていったらどうなっていくのかが分からない状態。
それがより一層体力を奪います。
あの甘味を出すために、大変な労力を必要としていました。
でも決して「抜け出したい」と思ったことはありません。
コツコツと着実に。
一つ一つの取り組みが内田さんの力になっていきます。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「AIを使った仕事」
プログラマーやアプリを作ったりすることを“すごい”と感じていらっしゃいました。
手づくり製法にこだわりながらも、機械化してクオリティが上がれば積極的に取り入れている内田さん。
しかし、
「いい!」
と思ったことを無理に押し通すことはしません。
手づくりを大切にしたいと考える職人の方々の気持ちも大切にしています。
皆が納得した上で初めて進めていきます。
意見が割れた時には、しっかりと話し合います。
調和のとれた、バランスのとれた和菓子。
最新技術の「AI」についても、否定から考えるのではなく、柔軟に物事を捉えていました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「自分で考えて自分で行動」
考えることの多いお仕事。
松華堂さんでは、毎週のように生菓子のデザインが異なります。
それは先代がお客さんに
「また同じ?」
と言われたことに対する誠意から、毎週違うデザインのものを店頭にお出しするようになったことがきっかけでした。
今日という同じ日がないように、「例年と同じように」というものでは、まかないきれません。
また経営者として、従業員のモチベーションを上げていくことも考えることの一つです。
考えて、考えて。
それがベストな答えなのかは、過ぎてみないとわからないもので。
でも…
考えるから挑戦ができます。
その挑戦がダメならダメで、また次の挑戦をしていきます。
経験を積み、その経験が歴史となっていきます。
◯未来ある子どもたちへのエール
「最終的に自分がどんな人間になりたいかをもっていれば、
後はなんとでもなる」
目標が一つあれば人生は楽しくなっていきます。
その目標に向かって突き進むことができるから。
目標を決めることを目標とせず、
「どんな人間になりたいか」
漠然としたものであっても、それが道標になっていくのだと思います。
経験を積み、色んな感情を抱いた時、その漠然としたものが磨かれ、具体的な言葉となって、自分を支えてくれます。
もっと素直に、もっと柔軟に…ぜひ考えてみて下さい。
◯インタビューをして
お茶会でおもてなしの一つとして、生菓子の注文が入ります。
イメージを告げられます。
それぞれの方たちにとって、それぞれ大切なお客様。
2〜3個のデザインを用意して、それを表現していきます。
それぞれ込められた心を表現していきます。
砂糖だけで10種類以上。
粉だけで30種類以上。
少しの分量の違いで、完成は異なります。
それでも内田さんは、今までのつくってきたものの記録をとったりはしません。
ほとんど頭に記憶をしているから。
味だけを継承していけばいいわけではありません。
昔から地元に愛されてきたことは簡単なことではありません。
歴代の松華堂の職人たちが大切にしてきた真心。
それは内田さんの技となって、形となって、味となって、私たちに届けられます。
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