100人のプロの67人目のプロ‼️
久しぶりにテレビを見ていました。
誰もが知っている芸能人が、ゲストのこれまた誰もが知っている芸能人をインタビューをする番組です。
そのゲストが、今気になっている方を招くコーナーがありました。
招かれたのは「日本伝統武道を研究する達人」の日野晃さん。
何気なくつけたテレビなので、いつもならそのまま流れて、そのままの流れで見なくなるテレビです。
でもその時は違いました。
芸能人が日野さんの腕を掴みます。
力に自信のある人なのに、「力が入らない!」と叫び、日野さんではなく掴んでいる人が倒れていきます。
日野さんは何もしていないかのように見えました。
体験したことのない人には、信じられないような光景です。
「ウソだ!」
と決めつけることは思考を止めていることと同じです。
何が起きていたのか知りたくなった私は、日野さんの書籍を買い、読んでみました。
書籍では雰囲気や感覚での表現ではなく、より具体的に言葉となって説明されていました。
すぐに習得できるわけではないことは充分に分かってはいるものの、一度試してみたくなってくる解説でした。
日野さんは言葉で表現することにも長けていました。
その日野さんは、海外でも武道を広め、また国内では講演活動もしています。
武道家ですから、「本当の事」を追求しているので、本当の事しかお話になりません。
日本のある高校の創立記念事業で講師として招かれた時のことです。
校長先生が前説で「未来あるあなたたちのために」と想いを話されました。
校長先生が壇上を降り、司会者が次の講話をする日野さんを案内します。
日野さんは壇上に上がり、時の挨拶をし、依頼されていた話の内容は「世界に誇る日本の文化」だったのですが、校長先生の話を受け、話す内容は少し変えると高校生に伝えました。
こういった突然の変更は、日野さんにとっては珍しい事ではなく、その場の雰囲気や参加している人達によって即座に変更するそうです。
それは、時間や空間を共有しているからこそできることです。
「皆さん。まずよろしいでしょか?」
…
「あなたたちに未来はない!未来というものはないのですよ!」
きれい事ではなく、ストレートに子どもたちに贈った言葉。
日野さんから頂いたエールを、皆さんにお届けします。
◯子どもの頃の夢
「目的、夢は持ってなかった」
1945年の終戦から3年後に生まれた日野さん。
10歳になった時でも、まだまだ今のような日本ではありませんでした。
破壊された国を、国民皆で一生懸命回復に向けて頑張っていく…そんなエネルギーに溢れた時代です。
いいものも、良くないものも全部一緒に集まっている時代に過ごしていました。
例えば、小学生がタバコを吸っていても、普通の風景ですから、注意する人はいませんでした。
しかし、逆に学校で知らない子でも、他の学校の人から殴られたり、恐喝されたと聞けば、みんなで一斉に敵討ちに行きます。
つまり、困っている人をほっとくようなことはしない時代だったそうです。
同じクラスの子が、目の前で嫌がらせを受けていても、見て見ぬふりをする今とは違います。
困っている人を見かけても、手を貸すよりも先にスマホを用意する今とは違うのです。
終戦後は大変な時代だったと思います。
けど…日野さんのお話を聞けば、人間味溢れたコミュニケーションが当たり前にできることを考えると、今より温かいのかもしれません。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「先が見えない事が面白い」
“イクメン”
そんな言葉は当時ありませんでした。
戦後の復興のために働ける人は全員働いていました。
日野さんのご家庭も、友人のご家庭も、近所のご家庭も皆一緒。
子どもたちは、ほったらかされて育っていきます。
甘えたいのに甘えられないと、嘆く子どもはいませんでした。
一生懸命にお仕事されている親の背中を見て育っているからです。
逆に
「自分もどうやって稼ごうか!?」
そんなことを小学生の頃から考えていたそうです。
新聞配達をする子、牛乳配達をする子、みんなそれぞれに何かをし家計を助けていたそうです。
また、日野さんは、中学生の頃は独学で器械体操に取り組み、オリンピックの強化選手に選抜されるまでのものになっていました。
高校へ進学する時は、当然のように高校側からオファーが来ます。
しかし、日野さんは高校卒業後の自分について想像してみます。
高校卒業後はきっと日本体育大学へ進学して、その後はきっと学校の先生に…、当時の選択肢はその路線に乗ると、それしか無かったそうです。
“イメージできる未来なんて面白くない”
そう感じ、高校のオファーを断ります。
人生初の決断は親にも相談せず、自分で決めたそうです。
中学時代にキャバレーのボーイのアルバイトをして、お金を稼いだ事もあるそうです。
当時のサラリーマンの月給が約1万3千円ほどでしたが、日野さんの月給は1万7千円でした。
それにプラスしてお客さんたちからチップをもらい、なんだかんだで月に3万円近く稼ぐことができていました。
そういった体験があるので、中学卒業後はバーテンを目指し見習いになり働きました。
それは自分で店を持ち商売しようと思っていたからです。
見習から、一つの店を任されるようになります、それが16歳の時です。
今で言えば、店長です。
その1年後17歳の時、借金をして自分の店を持ちました。
アイディアが当たり、順調に売り上げを伸ばし、1年で借金を返し2軒目の店も出しました。
そうなると、面白くなくなってきます。
それは「未来が見えるから」です。
高校のオファーと同じです。
未来をイメージできてしまったからです。
一度きりの人生。
一日一日をただこなしていくだけでは勿体無い。
分からないから楽しい。
「ピンチの時に、工夫をする自分を好きだから」日野さんは言いました。
新たな発見に新たな出会い。
その一つ一つが活力となり“生きがい”となっていきます。
次なる挑戦はジャズドラマー。
こちらもまた、“やったことがないから”が理由です。
生活するために、ジャズドラマーになるために特訓します。
ライバルは自分より早く音楽の世界に入っている、子どもの頃からやってきている人たちです。
やれない為の言い訳は、逃げるための口実になります。
「今までそんな人はいない」と言われるのなら、初めての人になればいい。
誰かの人生を真似るようなものは面白くありません。
数年でジャズドラマーとして生計を立てられるようになっていました。
同じような時期、新しいことも始めます。
それが武道です。
きっかけはジャズを通して日本文化に触れたことでした。
日本の文化の素晴らしさを肌で感じます。
建築物もその一つ。
日本には、地震や台風などあらゆる自然災害があるのに、それでも建ち続けていることに感動します。
日本の伝統文化、その文化としての武道とは、疑問も好奇心も広がり、また武道に昔から言われている言葉「柔よく剛を制す」とはどんなことか?それを見つけ出そうと決心しました。
武道の深みや意義に気づくと共に、新たに分からないことは増えていきます。
ジャズドラマーを辞め、武道に専念するため日野武道研究所を設立し専念していきます。
それから約40年。
未だ武道には先が見えません。
それが続いている理由です。
◯今、自由に仕事を選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「ない」
自分のやっている武道を探求しきっていないから、別の事など浮かんでこない。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「おらぁ!っていうくらい。
次!いこ!!ってなる」
何かあった時に1日考え込む時もあれば、30分で済む時もあります。
その時々に応じて色々。
でも最近は…一瞬だそうです。
◯未来ある子どもたちへのエール
「絶対!未来なんてないから。
未来をつくっていける自分になれ!
お前がつくらな誰がつくるの!?
自分が“生きる”ということさえすれば、何かできる」
「宿題が多い!」
こんな問い合わせはよくあります。
宿題のせいで学校に行きたくなくなったと言われれば、今の時代
「〇〇くんは出さなくてもいいから。まずは学校に来ることを頑張りましょう」
そんなふうに配慮してくれます。
先生が怒って怖くなったと言われれば、今の時代
「〇〇さんに言った訳じゃないから、気にしなくていいからね。先生も反省している」
と電話連絡して、先生の方から謝ってくれます。
時代は変わりました。
子どもたちの未来のために。
のびのびした未来へと歩んでもらうために。
そんな大義名分の元、その場しのぎの対応をしていきます。
未来を想像して、あらゆる障壁を大人が勝手に取り除こうと試みます。
傷つかないように。
落ち込まないように。
嫌われないように。
…
1年後の未来も想像することが難しくなってきたこの時代。
にも関わらず、子どもたちの未来を語りながら、乗り越える力ではなく、遭遇するであろう障壁を事前に避けていきます。
敢えて伝えます。
日本の未来はない。
あなたたちの未来は用意されてはいない。
だから、あなたが築き上げていくのです。
◯インタビューをして
海外はカテゴリーする能力に優れています。
そのカテゴリーする習慣にあやかって、日本にも様々な言葉が生まれました。
働き方改革。
ワークライフバランス。
ユニバーサルデザイン。
ラーケーション。
SDGs。
…
新しい言葉たちが本質を彩っていきます。
職員室では当たり前のように耳にしていた
「子どもたちのために!」
という言葉は、いつしか当たり前ではなくなってきました。
校長が優先しているのは
職員の“人間関係”と“働きやすさ”。
何かあれば「働き方〜」といい、業務に向き合わなくても済まされていきます。
働き方改革の名の下、学校の先生たちが子どもたちと関わる時間はどんどん減っていきます。
「ワークライフバランス」という洒落た言葉は、職場ではなくプライベートに意識を向かせていきました。
どんな子でも生活や学習がしやすい取り組みをしていく、ユニバーサルデザイン。
どんな子どもがいて、どんな思いを持ってるか…関わりが少なくなってきている状態なのに“とりあえず”一般的なものを実施していきます。
魅力ある学校づくりを意識していく一方で、「学校だけが学びではない」という趣旨で、欠席扱いをしない欠席を、1年間の間で生徒が自由に二日、設定できます。
各学校で男女の制服を統一したり、男女混合名簿を中心にしたりと、区別は男尊女卑として差別として扱われ始めていきます。
想像してみてください。
自分はどうありたいかを。
想像してみてください。
今、何をすべきかを。
※今回、本当に丁寧に校正して頂きました。
子どもたちへの想いが伝わり、とても嬉しかったです。
プロの方々は皆さん、本当にお優しい。
感謝です。
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