100人のプロの81人目のプロ‼️

学校は何のためにあって、何を目的に通うのでしょうか?



「自分のペースでいいんだよ」

「行けただけでもすごいじゃん」

そんな言葉が学校を渋る子の周りで飛び交います。

でも…

本人たちはその言葉に納得しているわけではありません。

もがいて。

もがいて。

いっそうのこと…

開き直れたら楽なのに。

自分の未来を本気で諦められたら、楽なのに。

優しい心で発せられる言葉たちは、時として冷たくて重くのしかかります。

子どもたちはその声掛けが、永遠ではないことを知っています。

誰からも強制されない現実は、誰からも期待されていない存在のように感じさせます。


「どうして来れないんですか?」

「何が嫌なの?」

そんなふうに聞く教師がいます。

もし分かっていたらその原因のせいにすることができて、少しは楽になれるかもしれません。

自分でも分からないものが複雑に絡み合って、何層にも重なって。

不登校として括られることに

「私はみんなとは違う!」

なんて心の中で大きく叫びます。


だから知ってほしい。

西元祐貴さんを。

「水墨画家のプロ」西元さんのお話です。

◯子どもの頃の夢

「今に至るまで、何かを目指していたわけじゃない」


ずっと絵を描いていた少年時代。

マンガも好きで、よく読んでいました。

西元さんは小学生の頃から、学校への気持ちが遠のいていったそうです。

小中学生では、4分の1くらいは休んでいたといいます。

朝の登校時間、友人が自宅まで迎えに来てくれます。

それでも、その友人の心遣いに応えることができませんでした。

何か特別に嫌なことがあったわけでもありません。

ただ、気持ちが向かないのです。


◯今の仕事に就いたきっかけ

「応援してくれていたお母さんに見せたかった」


昔から絵を描くことが好きだったこともあって、友人から

「絵を描いてほしい」

とよく言われていました。

お願いされたものを描いて渡すと、みんな喜んでくれます。

時には革のカバンにライターで絵を描くことも。

喜ぶ人たちの笑顔にたくさん出会いました。

その笑顔が、西元さんを絵の道へと導きます。


ほとんど行けなかった中学時代とは違い、充実した高校生活を過ごします。

高校卒業後は本格的に絵を学ぶため、専門学校に進学。

特別裕福ではなかったから、学費を稼ぐために新聞配達のアルバイトをしながらの学生生活を過ごします。

少しでも稼ぐために住み込みで働いていました。

朝は3時に起床。

広告の折り込み作業や配達をします。

配達後は学校へ。

学校が終わり帰宅してからは夜の10時まで働きます。

仕事のあと深夜0時まで学校の課題に取りかかります。

そんな生活スタイルを3年間続けました。

西元さんのがむしゃらに頑張る姿に、アルバイト先のご主人は様々な手当をつけてくれていたそうです。

やりたいことをやっている中で、支えられていることを実感します。


無駄にできる時間もお金もありません。

与えられている時間の中で、自分を表現する画材を熱心に探していきます。

それが“水墨画”だったのです。

水墨画は、中学生まで夢中になっていたサッカーと重なりました。


サッカーでは、一つ一つのプレーが得点へとつながります。

油断すればすぐさまボールは取られ、シュートを放たれます。

そんな緊張感がまさに水墨画でした。

白い紙に、やり直しがきかない墨のついた筆を置いていきます。

消しゴムで消えない線。

塗り直して誤魔化すこともできない。

その瞬間のその時にしか生まれない水墨画の、“白”と“黒”の世界。

水墨画のスポーツと向き合うような独特の緊張感に、西元さんは魅了されます。


卒業後の進路は皆さまざま。

絵とは関係のない企業に就職する人。

関係性はあっても、妥協しながら就職する人。

理想を掲げながら共に学んでいたはずのライバルたちは、気づけば現実的な決断を選択していきました。

夢を抱くことを求められてきた子どもの頃。

いつからか、リスクを恐れる社会に。

可能性の低いものではなく、可能性の高い選択が“賢い選択”といわれ始めます。

リスクを回避する選択が、自らの未来に期待しない選択へと変わっていきます。


“そうはなりたくない”


自分の絵で勝負できる人になりたい。

1万人に一人といわれても、その一人になりたい。

西元さんはそんな社会に、環境に、状況に、抗います。

たとえ夢を諦めた者たちが、自らを正当化するために

「叶わない」

「無理」

と言葉にしようとも、夢に向かいただ前へと歩みを進めます。

「もっとうまくなりたい!」

この思いを胸に、ひたすら自分の作品と向き合っていきます。

卒業後1年かけてようやく名刺変わりの作品集ができました。

しかし、売り込んでもなかなか受け入れてもらえません。

不安や焦りはなかったといえば嘘になります。

でも、その当時に自らの感情を言葉にする余裕はありませんでした。

どんな時も応援してくれるお母様。

いつも温かなお父様。

その存在は大きな力となって西元さんを支えてくれます。


売り込んでダメならと、公園で水墨画を描くパフォーマンスをしてみます。

すると、

「うちのTシャツをつくってくれないか」

と経営者の方に声をかけられます。

依頼を受けると、それを知った経営者の知人の方から別の依頼が。

知人から知人へと西元さんの評判が一気に広がっていきます。

“1万人のうちの一人になれるかもしれない”

そんな兆しが見えてきた頃に、一番応援してくれていたお母様とのお別れ。



あと少し。

あとほんの少し。

その時間さえあれば…。

見せてあげることができたかもしれない。

喜ばせてあげることができたかもしれない。

自分のことを心から自慢してもらいたかった。

母の子どもであることを。

でも親になったからこそ分かります。

子どもは、生まれてきてくれただけで、「ありがとう」の心で溢れることを。

でも…見せてあげたかった。

一番尊敬しているお母さんに。


子が教えてくれる、親としての気持ち。

親として一番の幸せは、我が子が幸せであるということ。

だから絵で勝負できる人になるまで、頑張ることができたんです。

◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか

「寮の食堂のパート」


学生だった頃、大人たちがしてくれたことを、今度は子どもたちに返していきたいとおっしゃる西元さん。

福岡の自宅には、お子さんの友人たちによく料理を振る舞っているそう。

西元さんの自宅近くには学生寮があります。

そこでは実際に食堂のパートさんを募集していたらしく…

「朝6時〜9時の勤務か。

その後に描くこともできるなぁ…」

と生活リズムに組み込むなど、真剣に考えていました。


◯落ち込んだ時、どう乗り切るか

「誰かと話す。

どっかとコミュニケーションをとる。

笑うことが大切。」


学校の先生は、残業時間が多いから少しでも負担を軽減するために、学校の電話を18時以降は留守番電話に切り替えます。

保護者と話す際は、上司に内容を必ず確認してから電話するように。

お子さんの欠席連絡はメールでお願いします。

全国的にみれば一部かもしれません。

しかし、私の知っている学校のほとんどはこのような対応に変わってきています。

大切な子どもを預けているにもかかわらず、学校とすぐに連絡を取れません。

どんな人が先生で、どんな話し方をする先生なのか。

ある市町では、苦情のある際の専用ダイヤルを設置したと聞きます。

学校と家庭の距離はますます離れていきます。


クレームや苦情をどう対応するかを考えるより、どう信頼関係を築いていけるかを考えることの方が大切なはず。

人と人とが関わるからこそ大切なこと。

意見の違いがあったっていい。

無理なことを言われたっていい。

コミュニケーションを取らなければ、何も進まないのですから。

◯未来ある子どもたちへのエール

「自分を愛せるから、他人(ひと)を愛せるようになる。

 ありきたりだけど…

 自分を大切にして、周りの人に分け与えるっていう気持ちが大切なのかなって思う。」


自分に愛を分け与えてくれている人に気づいてみてください。

その気づきが、自分の力となっていくはず。

されたことより、してもらったことを探す方が、心は豊かになりそうです。

◯インタビューをして

「もっと上手くなりたい」

西元さんはプロの水墨画家となった今もそう思い続け練習を重ねています。

その努力が時に予想を越えるものをつくりあげることもあります。

アイデアが浮かばない時は、ひたすら描き続けるそうです。

描いて、描いて、描いて。

努力を積み重ねていきます。


予想できない未来に“不安”を抱くことだってあるかもしれない。

「大丈夫だろうか」

「私にできるだろうか」

でも…予想できないことは悪いことばかりではないはずです。

ミステリーも漫才も始めから見るから面白い。


誰にも分からない未来を、せっかくならワクワクした気持ちで。

どんな可能性を秘めているか分からない自分を誰よりも信じてあげてください。

心の筋トレ部

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