100人のプロの85人目のプロ‼️
夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
お手てつないで皆帰ろう からすと一緒に帰りましょ
子供が帰った後からは 丸い大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは 空にはキラキラ金の星
日本で有名な童謡「夕焼け小焼け」。
作詞は中村雨紅さん。
中村さんはもともと小学校の先生でした。
第一次世界大戦後の影響で食べるものが少なく、必死に生きる子どもたちにせめて心だけでも豊かに育ってほしいと願いを込め書かれた詩です。
私は、この歌の背景を考えたことはありませんでした。
考える機会をくださったのは、「天然植物活力液のプロ」川瀬善業(かわせよしなり)さんです。
善業さんは“HB-101”の生みの親。株式会社フローラHDの代表取締役です。
インタビューをさせていただく時、
「子どもの頃の夢はなんですか?」
と尋ねると、
「1曲いいですか?」
と言って突然、歌いはじめました。
広い社内に響く声量。
私は圧倒されていました。
◯子どもの頃の夢
「世の中の役に立つ」
なりたいものは特にはありませんでした。
しかし、いつの頃か
“世の中のため”
“人が喜ぶこと”
そんな思いが善業さんの中心軸になっていきました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「好奇心」
田んぼで農薬をまくおじさん。
「そんなんまいたらあかん!」
少年だった善業さんは、虫のことと、農薬のことを心配して注意をします。
しかし、おじさんは善業さんを追い払います。
ある日のこと。
遊んでいた際、たまたま投げた石が障子を破ってしまったことがありました。
ものの大切さを教えるため、お父様は善業さんを家の蔵に閉じ込めました。
江戸時代から続く川瀬家の蔵。
その蔵には貴重なものがたくさん置いてありました。
まるで博物館。
反省する前に目に入る本を取り出しました。
蔵にある唯一の窓から溢れる光を頼りに本をめくります。
達筆すぎる字は、読む者を試すかのよう。
それでも、限られた時間の中でなんとか読み取ろうと頑張ります。
お仕置きのための蔵だったのが、いつしか大切な時間となっていました。
古文書から読み取れたことは
「杉」「桧」「松」「オオバコ」
がすごいということ。
“すごい”と分かっただけでは好奇心を抑えることはできません。
自分なりに、小学校の理科室で実験を試みます。
何度も何度も試作を繰り返します。
そうしてできたのが「HB-101」の原型です。
善業さんが10歳の時です。
もっと研究したい。
もっと学びたい。
この気持ちは勉強への意欲につながり、大学受験への原動力に。
目指したのは東京大学。
しかし結果は不合格。
浪人への道を選択しました。
三重県の地元で勉強をしている時、急に
「東京に行きたい!」
という衝動が湧いてきます。
気づけば、そのままヒッチハイク。
6台の車で乗り継ぎ、午前3時に渋谷に到着しました。
到着した渋谷にあった屋台のそば屋さんの店主に
「東京で勉強しながら働きたい!」
とまっすぐに気持ちを伝え、相談しました。
思いは伝わり、「そば屋さん」の店主が「釜飯屋さん」の女店主を紹介し、繋いでくれました。
見ず知らずの青年。
それでも何か通じるものがあったのだと思います。
「釜飯屋さん」の女店主は住む家を提供し、勉強部屋まで用意してくれました。
何の連絡もせずに実家を飛び出した善業さん。
近況報告がてらお父様にハガキを送ることに。
慣れない地で、働きながら大学を目指す忙しい毎日。
退屈に感じていた田舎の青年にとって、しゃれた都会の生活は充実を感じさせる力がありました。
知り合いと会うはずのない都会でのバイト中。
見覚えのある姿が目の前に。
お祖父様です。
声の出ないほどの驚きは、胸の鼓動を早めました。
お父様に送ったハガキをお祖父様がみて、東京まで駆けつけてくれたのです。
お祖父様が釜飯屋さんの女店主とお話をした後、バイトを辞めることになりました。
お祖父様は先見の明があった方で、事業をいくつも経営していました。
その中で善業さんのお父様は、映画館の経営を任されていました。
大学卒業後、お父様と一緒に映画館の運営。
お父様からお給料をもらいながらの生活。
しかしそれは、自分の力で何も成し得ていないという現状。
高村光太郎さんの『道程』という詩の中に出てくる言葉を思い出します。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道が出来る」
この言葉が善業さんの背中を押します。
“自分にしかできないことをやりたい”
小学生の頃に開発していた天然植物活力液をさらに改良。
「HB-101」と名前をつけました。
(名前に込めた思いは、「H」は「ハッピー」、「B」は「バイオ」で植物技術、「101」は「100%以上」、つまり、「植物技術で、世の中を100%以上幸せにする」という意味だそうです。)
一人で農家さんに売り歩きました。
突然の訪問。
手には不思議な液体。
売れるわけがありません。
しかし、商品には絶対的な自信がありました。
農家さんの前で「HB-101」を飲んで見せたり、弱った観葉植物に吹きかけ、さらにジョウロで与え、
「明日、また来ます。その時にもし弱った植物が元気になってたら、一本2,300円なので、買ってください。」
それを365日中300日、農家さんのところに行って同じことを繰り返しました。
寒い日も。
暑い日も。
その積み重ねは3年続き、HB-101の噂は気付けば日本全国に。
そして世界50ヵ国に広がっています。
ある日のこと。
学校の休み時間に、生徒たちが教室にやってきます。
植物が元気になると知り、HB-101を毎週のように霧吹きで自分の盆栽に吹きかける生徒たち。
その一方、私の知らないところでHB-101を味見をしている生徒がいました。
生徒たちの好奇心もまた、善業さんの発明によって引き出されているのだと思うと、自然と笑みを浮かべてしまいました。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「世のため。人のため。できることができたらいい。」
大変な時もその思いは常に自分を導く光となっていました。
利己的な社会になりかけている現代において、善業さんの指針は教育が目指す理念のように感じます。
人からの評価は後からついてくるもの。
まずは自分が何をすべきか。何をしたいか。…
それが重要なのだと感じました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「落ち込まない」
人生ですから、いい時も悪い時もあります。
何をやってもうまくいかない時だって。
街行く人たちの笑顔を羨んだり、知人の幸せを妬んだり…。
その負の連鎖は心を狭く、寂しくさせ、見る世界を変えていきます。
でも「悪い時」にこう捉えたらどうなるのでしょうか。
“絶好のチャンス”
逆境も苦労も、善業さんにとっては「素晴らしい経験」だったと振り返ります。
◯未来ある子どもたちへのエール
「どういう場面でも、常に希望を抱いていれば、正しい道に進んでいける。」
“失敗”を恐れ、挑戦できない時は、
「やれるかもしれない」
「成功するかもしれない」
そんな風に自分を信じてみるのもいいのかもしれません。
正しい道であるのなら、その挑戦は経験となって、自分の力となっていきます。
◯インタビューをして
『夕焼け小焼け』の歌ができて105年。
歌が誕生した時に比べ、子どもたちの空腹は満たされた時代になったのかもしれません。
しかし、“心”はどうなのでしょうか?
日本の自殺率が減少傾向の中、子どもの自殺は増加傾向。
上位の原因が「学業不振」や「進路の悩み」。
できないことに絶望するのではなく、分からないことに不安を抱くのではなく、希望を感じてほしい。
“できない”はできる可能性を秘めていて、
“分からない”は分かる喜びに変わるチャンスに溢れています。
先を予想して不安になるのなら、もっと先を想像してほしい。
誰かの声を気にしている場合ではありません。
堂々と。
胸をはって。
歌いたい時に歌う善業さんのように。
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