100人のプロの88人目のプロ‼️
たくさんのエールを頂き、伝えたい気持ちが溢れそう。
伝えたいことは山ほどあるのに、書いては消して、消しては止まって、それを繰り返します。
一滴たりとて、こぼしたくないエール。
受けた感激を、感じた感謝をそのままに。
『家庭画報』の総編集長を務めるのは千葉由希子さん。
「家庭画報のプロ」と書いてみるものの、何かしっくりこない。
チャーミングな笑顔からは想像つかない芯の強さ。
清楚な見た目からは連想できない行動力。
千葉さんは私たちに会うということでカバンには、なんと4冊もの本がありました。
家庭画報の雑誌を含めれば5冊。
しかし、それらの本で紹介するのはどれも一節のみ。
どの時代の千葉さんからも感じるものは“ギャップ”。
「まさか」
「意外」
その言葉をなしに振り返ることはできません。
まさに千葉さんは「ギャップのプロ」です。
◯子どもの頃の夢
「なかった」
卒業文集や学級掲示に夢を書かされる時があります。
夢がない人はただ「ない」と書くか、無難なものを書くか。
千葉さんは周りを見て、とりあえず書いていたそうです。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「拘束されるものがなかった」
皆さんは運動会の徒競走で、逆走をしたことはありますか?
授業妨害や学級崩壊がニュースになる時代、「私は私」と貫くことはできますか?
企業の歓迎会に「違うな〜」と感じたら、そこを離れることはできますか?
入社してすぐ、上司に「確かに私は新人でまだ十分な仕事ができませんが、言葉で説明してくださったらわかります」と自分の正しいと思うことを発言することはできますか?
…
これらは全て千葉さんのお話。
誰が決めたか分からない空気に、呑まれることなく、自分で自分の正しさをまっすぐに貫いてきた人生。
だからといって、傲慢ではなく、柔軟性のある考え方を持ち合わせているところが、千葉さんの魅力の一つのように感じます。
幼少期の運動会で1位が決まり、2位や3位が決まっていく中、千葉さんはいつもドベ。
千葉さんのお母様は「あ〜」と驚きながら、逆走していることを本人に伝えます。
すると…
「一番ゴールに近い道を走ったの!」
そんなふうに言うものですから、お母様も納得してしまいます。
普段の生活では、自分の靴箱の場所を覚えることはできず、日ごとに感覚で場所を決めていました。
中に入っていた誰かの靴は、
「間違えてる!」
と思い、外に出していたそうです。
小学生になると、商店を営んでお忙しいご家族は、千葉さんに毎日100円のお小遣いを渡していました。
千葉さんはその100円を握りしめお菓子屋さんへ。
毎日食べる駄菓子。
気づけばクラスで一番ポッチャリした子になっていました。
見たものをそのまま言葉にしてしまう小学生にとって、千葉さんの姿は格好の的。
「デブ」や「ちび」と陰であだ名をつけられるようになってしまいました。
言った本人たちにとっては面白おかしいこと。
しかし、言われる千葉さんは「確かにそうだけど、何だか嫌だなあ」と感じていました。
仲の良いと思っていた子たちに突然仲間外れにされたこともありました。
でも、今よりおおらかな時代だったこともあり、一つのグループに冷たくされたら、もう一つのグループが受け入れてくれました。
鼓笛隊では指揮者をやりたくて立候補したものの、先生や友達から「あなたはそんなタイプじゃないから」とその他大勢の小太鼓に。
私ってどんなタイプ?
私ってどんな人なの?
そう思っていた千葉さんに、叔父さんは1冊の本を渡します。
“人間はいつ自分になるのか”
この言葉で始まる本。
その一節に千葉さんは、はっとしました。
何度も、何度も読み返します。
私はまだこれからだ。そう思えたそうです。
中学校へ入学するころ、お母様が、家庭教師の先生をお招きします。
成績を気にせず小学校時代をのんびり過ごしたためテストで順位がつけられてしまうことがどうしても心配でした。
家庭教師の先生にその不安を伝えます。
すると先生は、
「あら、いい番号を取るのはとっても簡単なことよ。いい点数を取ればいいのよ〜」
と当たり前で端的な答えを優しい笑顔で千葉さんに伝えました。
複雑に考えていた千葉さんにとって、意識を変えてくれる大切な言葉となりました。
先生の言葉をきっかけに、学ぶことの楽しさを実感していきます。
しかし同じ頃、授業を妨害する人たちがクラスで増えていました。
それが流行った時代でしたが、
楽しく感じていた授業はなかなか進みません。
イタズラ決行。
注意する先生。
それに反発する生徒。
授業は徐々に潰れていきました。
しかし誰かのせいや環境のせいにしたところで、何かが変わるわけでもありません。
千葉さんは考えます。
どうすれば、授業を真剣に聞くことができるのか…
千葉さんの答えは、「勉強を頑張る人たちが集まる環境に身を置く」ことでした。
変わらないのなら、自分が変わればいい。
千葉さんは努力を積み重ね、難関の高校や大学に進学することできました。
高校や大学では、授業をいい加減に過ごす人はいません。
高校では周りの優しさに驚き、大学では更に優しい人たちで溢れ、充実した学生生活を過ごします。
楽しかった大学生活も終盤になり、就職活動が始まります。
千葉さんを語る上で“就職”のエピソードは欠かすことができません。
コンパが好きで、アルコールが強い方だからという理由でビールの会社を受け内定を貰います。
しかし、千葉さんがビールの会社を内定までもらっていたにも関わらず、断った理由が会社主催の飲み会でした。
嫌な扱いをされたわけでもなく、むしろ優秀な人材を囲い込むため、企業があの手この手で自社の魅力をアピール。
そうした歓迎ムード一色の中、一堂に会した他の内定者たちに驚きます。
どれほど飲もうとも、誰一人顔色ひとつ変えずビールが消化されていく光景。
「私より強い人が多いな」ただそれだけでビールの会社を断念。
次に選択したのが鉄道会社でした。
そこも人材確保のため、就職内定者のために旅行を実施していました。
いわゆる“拘束旅行”です。
旅行中は連絡手段を断たれ、就職する時までひたすら旅行三昧。
毎日のように会社から旅行や食事会の召集があったそうです。
もちろん費用は会社負担。
会社は楽しませようと登山やパラグライダーなど、アクティブな企画をしてくれていました。
羨ましい状況。
しかし千葉さんは、そうした旅行に気が進みません。
それでもパラグライダーに挑戦してみることに。
気持ちが入っていなかったからなのか…
コントロールを失い藪の中へ。
体中に葉っぱがつき、複雑に絡み合ったパラグライダーの紐を回収します。
絡んだ紐を解きながら感じたことは、
「ここじゃない」
でした。
すぐに切り上げて帰る支度を始めます。
帰り道に公衆電話を見つけ、内定が決まっていた最後の企業「世界文化社」に電話をかけます。
「他社の拘束旅行に参加中なのですが、やっぱりそちらに行ってもいいですか?」
駆け引きもなく、ストレートで失礼な電話。
しかし、寛容な人事の方は上層部とうまく掛け合い、世界文化社への就職が決まります。
ゆくゆくは総編集長として確固たるキャリアを積んでいく会社への入社。
しかし、千葉さんの社会人としての歩みも決して楽なものではありませんでした。
どんなに環境が変わろうとも千葉さんは千葉さん。
正しいと思うことにまっすぐな姿は、誰もが目指したい姿勢。
入社してすぐ、厳しい上司の方の元へと配属が決まります。
聞けば前任者はその上司とうまくいかず、異動希望を出したことで空いたポストだとか。
上司の方はいくつものテーマを抱え、とても忙しい方。
忙しいと心にゆとりは生まれず、つい周りに厳しくしてしまいがち。
時にその厳しさは、誰かを思うものではなく、自分の心を優先してしまっていることも。
今なら時代の流れがその厳しさを幾分か和らげてくれたのかもしれません。
しかし、当時は仲裁に入ってくれる人もいませんでした。
いわゆる空気がそうさせ、おかしいことを「おかしい!」と言葉にする人はいません。
その上司から逃げた先輩は、自分の選択を確かめるかのように千葉さんを食事に誘います。
どれだけ嫌な目にあってきたかを延々と語り、
「千葉ちゃんは頑張ってね!」
と食事中に言われる応援の言葉は、なんだか虚しく聞こえてきます。
嫌な雰囲気。
嫌な上司。
“辞めようかな!”
と思ったことは何度もありました。
その度に救ってくれたのは、お母様の存在。
千葉さんが辞める人ではないと感じながら
「たいへんすぎるなら、辞めてもいいよ」
と言ってくれる言葉が何度も心をほぐします。
そして、お母様の決まり文句は
「え〜、そんなことがあったの?それってネタになるじゃない!
ほら、心のメモ!」
でした。
暗く捉えようとしている自分の視点を、いつも変えてくれます。
ある日のこと。
我慢の限界がきた千葉さんは、上司を喫茶店に呼び出します。
目の前に座った上司に
「先輩のその態度が続くようなら、続けていけません!」
と思いを伝えます。
今まで誰も注意をしてこなかった上司の態度に、新人である千葉さんはストレートに注意をしました。
あまりのストレートな表現に、意外にも上司の方が反省。
“新人のくせに”
そんな言葉が耳に届くものの、言いたいことも言えず、自分を抑え込むような人生よりも、自身に嘘のない人生の方がどれほど心は平和か。
反省した上司に
「もう一度チャンスをあげます。」
と生意気なことを言い、関係は修復。
それでも時が経てば同じような態度は繰り返されます。
しかし、今まで我慢して過ごしていた自分とは違い、堂々と思ったことをハッキリと言えるようになっていました。
出世の道から外れたこともあった千葉さん。
人を立場で見るべきではないと分かっていても、千葉さんの起伏の激しい道程を聞けば、その立場にいてくださることに多くの方は希望を感じませんか。
幼少期、千葉さんにお母様はよく
「人よりできないのは2月生まれだからしょうがない」
と声をかけてくだっていました。
大人になって悩みがあればお母様は
「ネタだよ」
お父様は
「君は君の人生を自由に生きなさい」
と言ってくださいました。
親になって気づく「寛容」でいることの難しさ。
不安でいる時に、不安を煽る人の多い世の中で、千葉さんの歩んでこられた姿は子どもたちに伝えてくれます。
「あなたなら、大丈夫」
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「子ども食堂」
今の学校はすぐ保護者に連絡をします。
学校が決めたルールに少しでも違った行動をすればすぐに。
誰のためか、何のためにあるのかを忘れた学校のルールは、中身ではなく文字だけが使われていきます。
千葉さんも保護者として、学校に呼ばれたことがありました。
子どもの安全に関わる内容ならまだしも、注意した内容について同意を得るための呼び出し。
他人に迷惑をかけたとか、犯罪行為があったとかではありません。
本人のちょっとした不注意に対しての注意。
会社の大きな記念事業の中、千葉さんはやるべきことを終えて学校へ。
子を心配しない親はいません。
そんな親に「来てください」という言葉の重みを、私たち教員が深く考えなくてはいけません。
どんなに忙しくても、子どもたちと向き合ってきた千葉さん。
子育てを振り返って
「何もしてあげられていない」
とおっしゃっていました。
そんな思いで答えてくださった「子ども食堂」。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「ネタになる。
全て心のメモ。」
千葉さんが単行本の担当になった時、価格の設定の仕方が分からず困っていました。
いくらで設定すればいいのか。
高すぎても売れないし、安すぎても利益は出ません。
特に教えてくれる人はいなかったため、見よう見まねで価格を設定。
もちろん甘い世界ではなく、結果は大失敗。
失敗の責任を取るため異動を余儀なくされてしまいます。
お給料も減額されるわけですから、いわゆる左遷です。
自分の失敗が招いたことだからと納得できる一方で、同じようなミスをした人は何のお咎めもなし。
理不尽なことに気持ちが沈みます。
家に帰りご主人に伝えます。
お給料が下がることも伝えます。
すると、ご主人は
「月々の趣味を一つ我慢すればいいだけじゃん」
と言ってくれたそう。
深刻に捉えていた出来事も、簡単にカバーできるような表現に心は救われます。
どんな出来事も自分をつくりだす物語。
世の中はネタで溢れています。
◯未来ある子どもたちへのエール
「人生は思った通りになる。
いいことも。
悪いことも。
だから、いいことだけ、いい未来だけを想像してほしい。」
“思った通りになるわけがない”
と思っているのなら、それは自分に対して諦めているのかもしれません。
想像することに怠惰になってはいけません。
自分への期待に臆病になってはいけません。
まだ見ぬ未来。
思いは必ず叶います。
◯インタビューをして
ある日の、私のある生徒の話。
クラスは騒がしく、まともに授業を聞くことができないクラスに不満を抱く生徒が言います。
「うるさい!静かにして!」
騒がしくしている生徒に注意なんてするはずのない空気の中で、その生徒が大きな声で伝えます。
注意する声は響くことなく、皆の雰囲気によってかき消されてしまいました。
その生徒はめげることなく
「落ち着きなよ」
と騒ぐ子の腕を掴みました。
しかし押さえた手は“暴力”として認識されます。
学校では
“怒りのコントロールのできない子”
として扱われ、掴んだことを謝罪し、注意の仕方を反省させられます。
目立たないように。
見つからないように。
いつしか、自分にしかない大切な“自分らしさ”は、見えないくらいに抑え込んで、
「自分は変な奴だから」
そう思うようにして、日々を過ごしていきます。
千葉さんにお話を伺った際、その生徒の話をしました。
すると、常に笑顔で話してくださる千葉さんの表情は変わり、真剣な目でその生徒へのメッセージをおっしゃいます。
「変な奴なんかじゃない。
ダメな奴なんかじゃない。
正しいことが正しいと言える心を大切にしてほしい。」
自信を失い、自分を否定する生徒の心を和ませることはとても難しいこと。
しかし、千葉さんの言葉に生徒は救われました。
環境がいつか変わってくれる。
周りがいつか気づいてくれる。
いつか誰かが助けてくれる。
…
そんな「いつか」はいつのことになるのか。
環境が嫌なら自分で変えていくしかありません。
気づいて欲しいのなら、自分から声をあげていくしかありません。
助けが欲しければ、ただ待っているだけではいけません。
誰のものでもない自分の人生。
世間体という名の空気に埋もれないために。
私が私であるために。
誰よりも自分の可能性を信じてほしい。
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