100人のプロの90人目のプロ‼️
「僕にできるか分かりません」
やる前から諦める生徒。
諦めることについて自分自身で納得させる言葉が続きます。
「もしできなかったら、先生に申し訳ないし…」
きっと彼は、
「できなくてもしょうがない」
「失敗してもいいから」
そんな言葉を待っていたのかもしれません。
しかし彼はその後、自ら挑戦する道を選択しました。
失敗が許されたわけでも、“しょうがない”と基準を下げられたわけでもありません。
保江先生から教えていただいた、「思う」ことの大切さを伝えたからです。
今回のプロ「物理学のプロ」保江邦夫先生です。
「思い」は「願い」へと変わり、さらに強く願う“心”は「念じる」ことにつながっていきます。
“できない”と思い込めば、本当にできなくなるし、自然とそのような行動になってしまいます。
心理学の世界でも「ピグマリオン効果」というものがあります。
これは「思う」ことが相手の力になるという現象で、教員が期待した子どもの成績が向上するというもの。
しかし思うことを、偽りでもいいというものではありません。
“心”とは時に厄介なもの。
脳は騙せても、心は本物を見極める力があります。
自然界に存在する癒しのことを「1/Fゆらぎ」というのですが…
「1/Fゆらぎ」の海の様子を忠実にコンピューターで生成し、どう受け止められるかの実験が行われました。
実験の結果、人工的につくられたものに心は反応しなかったそうです。
色々なものがAIによって、脳だけでは本物かどうか区別がつかなくなった時代。
そんな時代に保江先生は
「心の筋トレがこれからの時代、大切になってくるんですよね」
と言ってくださいました。
とても嬉しかったです。
◯子どもの頃の夢
「なかった」
保江先生のお母様は保江家になかなか馴染むことができず、保江先生が物心つく前に出ていってしまいました。
お母様の残した温もりも、お顔も、全く記憶にありません。
“産んでくれた”という事実だけが自分の存在として残っているだけ。
今まで保江先生は、甘えたい時に甘えられるお母さんがいないことを「かわいそう」とか「大変」と感じたことはありません。
それが当たり前だと思っていたからです。
“お母さん”という存在を認識したのは、友人の家に行くようになってからでした。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「塾の先生」
保江先生は合気道の達人。
世界各国へ忙しくご活躍される方。
しかし子どもの頃はというと、走り回るような遊びではなく、おままごとして過ごすような、比較的静かな少年でした。
小学生になり、母親に甘える同級生の姿で“母”という概念を知ります。
家に帰って誰かに甘える環境ではなかった保江先生。
お父様は市役所で深夜までお仕事。
家事をしてくれていたお祖母様は畑でお仕事。
昔から継いできた大きな家は、当時の保江先生にとって独りを強調するような場所でした。
寂しく感じた日や、辛かった出来事たちが孤独を蓄積していきます。
ある時、お祖母様からお風呂の焚き付けを任せられました。
今ではボタンひとつで温かいお湯を沸かしてくれるお風呂。
しかし、昔は火を起こすところから始まります。
ねじった新聞紙を釜戸の中に入れ、マッチを擦ります。
摩擦を手に感じると同時に、目の前に広がる大きな火。
消えないうちに釜戸の中にそっと。
火のついたマッチは新聞紙に引火し、少しずつ薪へと燃え広がっていきます。
張った水がお湯になるまで、火の番をしながら薪を補充。
じっと火を眺めている時間。
辛かった出来事。
寂しかった心。
火をみているうちに、孤独を感じていた心は自然と満たされていました。
雨の日、お祖父様の遺品を探っていた時、昔のタバコの煙管(きせる)を発見しました。
見よう見まねで煙管の先に残っていたタバコのカスに火をつけてみるのですが…
モクモクと煙が立つだけ。
特に面白いことは起きません。
しかし、後に天才物理学者となる人物は、それで終わりはしません。
「マッチの先端を煙管の先端に詰めたらどうなるか!?」
そんなふうに考えます。
マッチの先端を削って、煙管の先に詰めてみます。
マッチに火をつけ、先端に近づけます。
「ピュン!!」
勢いよく引火した炎がエネルギーとなり、煙管がまるでロケットのように吹き飛んでいきました。
煙管は窓ガラスを割り家の外へ。
ガラスを割る音は家中に響きわたります。
心配したのは畑作業をしていたお祖母様。
「何事!?」
と慌てて来ました。
当たり前のことながらこの日以来、煙管は取り上げられます。
それからはトイレに鍵をかけ、新聞紙に火を灯し、便器の中に落とすことが日課に。
昔のトイレは汲み取り式。
便器の下にはタンクがあるため、燃え広がる心配はありません。
“大きな火を見たい”
“家を燃やしてみたい”
そんな気持ちは全くなく、純粋に火を眺めていたかったのです。
お風呂の焚き付けをして以来、火の心地良さにはまっていた保江先生。
この「火」にも癒しの効果、「1/Fゆらぎ」が存在します。
ご自分の名前がついた数式があるほど、著名な物理学者である保江先生。
実は勉強が嫌いで、高校進学についてお父様を悩ませていたとか。
お父様の希望としては、「東大に進学して、国家公務員になって…」
そんな期待をしていました。
何とかテコ入れをしていきたいと思い、塾に通わせます。
しかし厳しい塾の先生に心が折れてしまいます。
勉強嫌いの保江先生にとって、苦痛でしかない環境に
「行きたくない」
と泣きながらお祖母様に訴え、塾をやめます。
その後、別の塾で評判のいい、優しい先生がいる情報が届きました。
そこの先生は、元々教育学部で教員を目指していらっしゃったとか。
学生の頃、活動していたボート部の事故をきっかけに下半身不随になってしまったものの、子どもたちに教えていきたいという思いから塾を開いていました。
警戒しながらもその塾の門をたたきます。
最初の塾とは違い、保江少年のことをよく理解し、受け入れてくれる先生。
先生の授業は教科書をただなぞったものではなく、生活の中から自然と学んでいく授業スタイル。
例えば、学生服の襟についているカラーを題材にした授業がありました。
昔のカラーはよく燃えます。
それを細くハサミで切り、一つをピンセットでつまんで火を近づけます。
すると大きく燃え上がり、
「酸素があるから燃えるんだよ」
と教えてくれます。
火が好きだった保江少年にとって、興味を抱かないわけがありません。
好奇心を抱いた状態の中、
「次に“酸素”がないとどうなるか」
ということも実演してくれました。
酸素を少なくした装置で燃やしていくと、薄い青色の煙が見えはじめます。
「これは青酸ガスっていう毒。吸ったら危ないぞ!」
好奇心がさらに刺激され、次から次へとアイデアが保江少年の頭の中で浮かんできます。
そのアイデアを先生は快くやらせてくださっていました。
アルミでできた鉛筆のキャップの先端をキリで穴を空け、実験していたカラーの破片を入れます。
キャップの入り口をペンチで閉じ、火で炙ります。
少し経つと、キリで空けた部分から青酸ガスがキレイに出てきました。
その実験からヒントを得て、キャップを木工で使用するバルサ材に変え実験を試みます。
すると、そのバルサ材がロケットのように飛んでいきました。
実験をして、成功して、その次に思いついた実験を行う。
こうしたサイクルに少年たちのアドレナリンは高まる一方。
塾の先生の話は、面白いほどに記憶に残っていきました。
学校の成績はみるみる上がっていきます。
県内トップクラスの高校も夢ではないレベルに。
しかし、塾で扱っていない「英語」はどうしてもダメでした。
ある時、市内の大きな本屋さんにいつものように宇宙関連の本を見に行くと、面白そうなタイトルに引き寄せられます。
「宇宙英語」というテーマの本。
英語で宇宙を語るというかっこよさに、すぐ購入します。
読み進めていくと、どんどん英語が頭に入っていきました。
もちろんテストでも格段にいい点数を取るように。
あまりの変化に学校の先生も驚きます。
無事に志望校合格。
高校のクラブ活動では「物理部」に入部。
手作業で望遠鏡をつくったり、車の実物大をベニヤ板でつくったり。
夜の学校で天体観測をして、校長先生に呼びださたりもしました。
今となっては、どれもいい思い出。
かつては学ぶことに抵抗感のあった少年。
実験への情熱が止まらずに、塾の先生の高価な机を焦がしてしまったこともありました。
それを優しい笑顔で見守ってくれていた先生。
先生のそのお姿は、保江少年に科学の楽しさを教え、学ぶことの意欲を育てました。
机を焦がした少年が、今では“最もノーベル賞に近い”と言われるようになっています。
子どもたちは自分にどんな可能性を秘めているかを知りません。
期待をかける周りの存在は、本人を支える大きな力となっていくのだと感じました。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「映画俳優」
“身勝手”
“冷たい”
“ロボットみたい”
保江先生が学生の頃、お付き合いしたことのある女性からこのように言われたことがあったそう。
解決しない出来事のウップンを、女性はただ聞いて欲しいと思う時があるといいます。
「もし、お母さんという存在に子どもの頃から触れ合うことができていたのなら、きっと女性のこうした心に、もう少し寄り添える人物になっていたのではないか…」
色々な人の気持ちに寄り添うことのできる俳優業への気持ちを、そんなふうに教えてくださいました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「落ち込みそうな時は、落ち込まないように空元気にして、意地をはる」
優しくお話をしてくださる保江先生。
意外にも価値判断は“勝ち負け”とのこと。
もし、仮に負けそうになったとしても、自分の勝てる分野に持ち込んで
“勝つ”
ことにこだわります。
「もし負けた時…」
と例え話を始めた時、
「負けない!」
とおっしゃる保江先生の気迫、確かに強かったです。
◯未来ある子どもたちへのエール
「とにかく何があっても、自分の気持ちは自分でしかコントロールできない。
自分で自分の気持ちに向かって。
じっくり。
じっくり。
穏やかになるまで、向き合って。
それでも無理なら…火をつけろ〜!」
職場の方と雑談をしていた時、ある方の子育てについて話になったそう。
その日はお休みをしていた、いつも一緒に働いている仲間の子育て。
今まで知っている姿とはまた別の母親としての姿に、保江先生は深く感心します。
聞けば、兄弟喧嘩での出来事。
喧嘩や泣き出したりすれば、周りの大人はすぐに仲裁に入ります。
場合によっては
「お兄ちゃんなんだから〜」
や、大人の判断で、まだ反省の心ができる前から
「ごめんなさいしよう」
など、年齢や立場だけで結論をつけてしまうこともしばしば。
しかしその職場の方は、仲裁しようとする大人たちを止め、子どもたちの感情を待ちます。
自分で納得する感情が見つかるまで待ち続けます。
それぞれがそれぞれに振り返り、互いに折り合いをつけられるようになっていく姿は、自らが解決していった証。
それがまた、心の強さになっていきます。
◯インタビューをして
保江先生が小学2年生だった時の話。
友人と自転車の二人乗りを練習していた夕方5時。
西の空にオレンジ色の長い物体が「ヒュー」っと東へと飛んでいきました。
まだテレビも家にない時代。
飛行船とも違う得体の知れないその光に、友人と無我夢中で追いかけます。
「追いかけたい」という気持ちが、知らず知らずのうちに二人乗りを習得させるほど、ただひたすら光を追いかけます。
流れを止めない川が、少年たちの足を止めます。
そのまま立ち尽くす二人を前に、光は山の方へと姿を消していきました。
“あの光は何だったのだろう”
知りたいという気持ちが、空を見上げる習慣をつくりました。
自分の部屋の2階の窓から1階の屋根部分の瓦へと出て、毎日空を眺めます。
心配したお祖母様がやめるよう注意をしてもやめません。
その姿を見てお父様が、「安全に観察ができるように」とテラスをつくってくださいました。
これで好きなだけ空を眺められます。
「未来は明るい」
そんな校長先生の言葉で入学式を迎えた子どもたち。
何年か経ち、進学や就職を選択していく中で、できない自分に嫌気が差し、
「考えたくもない未来」
となってしまっている子どもたちがいます。
学校は、保護者との話に夢中になり、本人の素質や能力と向き合うことをしません。
教員にしかなったことがない者たちが多くを占める学校現場で、子どもたちに人生を語ります。
内申点や定期テスト、そして保護者の意向をもとに、システム的に受験校をあてがいます。
クレームを恐れ、足踏みするしかない学校では、ただただ子どもたちの経験や挑戦の機会は失われていってしまいます。
空を眺めたいと言った時、テラスをつくってくれるような人がいたのなら…。
実験中に大切な机を焦がしても笑顔で見守ってくれるような先生がいたのなら…。
期待をしてくれる存在が近くにいたのなら…。
子どもたちはきっと、未来を希望の光として眺めることができるのではないだろうか。
0コメント