100人のプロの16人目からのエール‼️
心の筋トレ部の部室をつくるのに、様々な方にお世話になりました。
部室を建てるまでに必要なことはある程度イメージしていましたが、建った後の手続きはとても複雑なものでした。
書類の申請などです。
その中で「登記」と言うものがあります。
これはざっくり言うと、
「確かに私のものですよ」
と証明するものです。
私たちの登記の手続きをして頂いたのが、今回の「司法書士のプロ」Hさんです。
Hさんは、私たちが印を押す時などに、サッとご自分の文房具を出して、押しやすくして下さったり、書類を取りに行くために有給休暇を取らなくてはいけないなぁと考えていたら、パッと機転を利かして「ついでに」と取ってきて下さったり…
とっても親身で親切な方です。
私の大学はかろうじて法学部という感じでしたが、「司法書士」がどれだけ難しい試験か噂はかねがね聞いておりました。
様々な基準があるので一概には言えませんが、問題数に対しての制限時間から見れば、日本一難しい国家試験と言われています。
子どもたちへのエールを頂くと同時に、教育者である私たちは教育を振り返させて頂く機会にもなりました。
親切で、難関資格に合格をされている「司法書士のプロ」Hさんのお話です。
◯子どもの頃の夢
「野球選手や通訳」
いくつかある中で少しずつ取捨選択をしていったそうです。
通訳を志すも、英語が得意でなかったので別の夢を抱いたり…。
色々なものに触れることで、「なってみたい!」と思えるものに出会っていきました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「司法書士は勉強すればなれる」
子どもの頃の夢には、法律関係のお仕事を挙げていませんでした。
いつ、
「法」を学びたい!
という思いになったのかというと、おじい様の会社が危機に陥ってしまった際のことがきっかけだったそうです。
「今考えたら当たり前の事だったんですけどね」
司法書士という「人を救う」立場になったからこその感想ではありますが、当時のHさんにとっておじい様の会社の危機を救った弁護士の方は救世主でした。
「法」が人を守る道具であると言うことの実感が湧き、目標が「法律家」という方向性へと徐々に繋がっていきました。
法律家の中でも「弁護士」を目指していました。
「弁護士」になるためには…
大学在学中にちょうど転換期が訪れます。
「法科大学院制度」と言うものが始まりました。
今までは司法試験に合格すれば「弁護士」になることができたのですが、「法科大学院制度」では、アメリカの制度と同じように大学院を卒業しなければ受験資格が与えられません。
また、その制度での司法試験を受験できる回数は5年以内に3回までとされており、それ以上の挑戦をしたい場合は、再度大学院に入学しなければいけまん。
Hさん自身、法科大学院への挑戦をしたのですが、残念な結果になってしまいました。
自分の進路について予備校の先生とお話をします。
その際に、先生が「弁護士は試験を受けるまでがややこしいけど、司法書士は勉強すればなれる資格だぞ」
と言って頂いたことをきっかけに、弁護士から司法書士へと転換していきます。
勉強に関して苦に感じていなかったHさんは、司法書士に向けて努力を始めます。
生活のためにバイトもしながら、いつものように勉強します。
私たち教師は子どもたちがテストに臨む際、
「ゲームばかりやっているから、成績が上がらないんだ」
と言うことが多いように感じます。
私はその言葉に説得力を付けるため、Hさんに同調してもらうように
「やっぱりHさんはゲームなどはしませんよね?」
と尋ねました。
すると…
「します。します。」
とすぐに。…
「昔は、テレビにつなげて〜だったり、ゲーム機につなげて〜など、色々と準備するものが沢山あったけど、今ではスマホの電源付ければすぐにできる時代です。」
ゲームをやっているから成績が上がらないのではない!と教えて頂きました。
成績が上がらないのは「テスト」そのものへのアプローチの仕方がよくないからではないか!?と分析する必要があるとおっしゃっていました。
勉強には適度な休憩も、運動も一つ一つが大切になってきます。
「ゲームをやっているから」
という理由づけでは、問題を解決へと発展させていくのは難しいと思いました。
しっかり、目の前の子の勉強に対する向き合い方を知ることが大切な一歩のように感じます。
Hさんの初めて受験する司法書士試験。
結果は残念でした。
日本一難しいと言われている試験ですから、簡単に合格はさせてはくれません。
2回目の受験。
2回目の結果も残念な結果になってしまいます。
お父様にも支援をして頂いていたのですが…
そのお父様が、
「このままで本当に受かるのか?」
その言葉に一瞬イラッとしてしまったそうです…
「自分の努力も知らないくせに」
…
しかし同時に、自分を振り返れば胸を張れるような取り組み方ではなかったと反省します。
3回目の受験は、今までにないくらい頑張ったそうです。
バイトも辞め、ゲームする時間も減らしました。
自分の満足のできる勉強内容へと変えていきました。
結果は見事に「合格」です。
「あの父の言葉があったから合格できたと思います」
お父様への感謝の気持ちを言葉にしていました。
でも…この言葉をまだお父様は知りません。
司法書士試験に合格後は、すぐに独立はせずに事務所で就職をします。
そこで実務経験を積んでいきます。
「独立」
なかなか踏み切る機会がありませんでした。
いつかは…と言うような気持ちで目の前のお仕事に真剣に取り組んでいらっしゃいました。
タイミングが訪れます。
揃う時はしっかり整っていくのだと、様々なプロの方へのインタビューをさせて頂き感じる所であります。
タイミングは突然やってきます。
事務所の所長が自分の事務所を閉めようと思っていたらしく、声をかけられます。
時を同じくして、親戚の方が店舗として使用していた場所が空き、使用させてもらえることになりました。
「今が独立のタイミングかな」
と感じ、Hさんの事務所が始まります。
誰かの言葉や誰かとの時間が、人生に転がるチャンスとなっていました。
それは、「チャンス」と捉えて受け取ったHさんだからこそ今に繋がっているのだと感じました。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「サラリーマン」
休もうと思えばいくらだって休めるし、やりたくないこともやらなくて済むかもしれません。
しかし、それが自分の収入に直結して、自分の責任が大きくなるのが「独立」です。
ある意味で、勤務時間は24時間。365日。
勤め人であれば、休む「権利」があり、労働時間の「保護」があります。
もちろん「サラリーマン」だから楽!ってことではありません。
安定した収入があると言うことの当たり前の有り難さを私自身感じさせて頂きました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「やるべきことをしたのなら、後は考えない」
書類一つでも複雑なものがあります。
後々で問題にならないために残す書類や、公的機関への提出する書類など様々です。
ミスをしたのならそのミスを改善する。
今あることに最善を尽くせば、それ以上、「ああしていれば」「こうしていれば」と引きずることは何も生み出しません。
学べば、次に生かすノウハウになります。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「今って発見したがる。
分類するのは好きじゃない。
生命に関わる?って思う。
その子たちにと言うのはない。
あなただけじゃないから。」
私たちの「発達個性」と言う言葉にすごく共感をして下さっていました。
生命に関わることなら、その子への配慮をしてあげなくてはいけないことだと思います。
しかしながら、性格を「障害」と一括りにしていくことでどんな安全を確保できるのか!?そんな疑問を持っておられました。
「生きづらさを感じる」
と言う発達個性の特集記事を見かけることがありますが、その子たちを特別視することが生きづらさを助長してしまっているのかもしれません。
社会に出る時、個性を持った子に多く関わることで、より個性を尊重できるようになるのではないでしょうか?
同時に、自分の個性の表現方法を子どもの頃から身につけることができているのなら、自分という存在も尊重できるのではないでしょうか?
学校がその社会性を身につける良き場となるように私たちはもっと、もっと頑張っていきたいと感じました。
◯インタビューをして
私は大学で法を学びました。
1年生の頃は法についての基礎的なことが多くあり、今までの高校の授業とは異なり専門的な講義に心躍りました。
法がどのような目的でつくられ、何を目指しているのか!?
それこそ、国家試験に出題されるような事柄ではなく、理念について教えられていました。
その中で理想の法律家についての話があり、「思いやる心の重要性」を知りました。
Hさんと接する中で、そんなことを思い出しました。
頑張ろうとすることに自然体で応援をして下さる優しいHさんとの、あっという間のインタビューでした。
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