100人のプロの21人目からのエール‼️
安心安全を求めて食材を求めている昨今。
スーパーの野菜も売り方が変わってきているように感じます。
「産地直送」や「自家栽培」という看板に興味をそそられます。
スーパーに行けば、生産者の作業している写真が飾ってあり、
「この方がつくっているんだぁ」
と安心したりします。
顔を合わせずとも成り立っている現代において、私たちが求めているのは案外、対面することのなのかも知れません。
お供えの御神酒(おみき)を求めてスーパーに行きました。
私が求めているものがなく、店員さんに尋ねると…
「店頭になければないです」
と少し寂しい返答が。
久し振りに酒屋さんに行ってみようと思い訪ねてみることに。
私の祖母が生前よくお邪魔していた酒屋さん。
勝手ながらの話ですが、私の祖母は親戚から頂いた好みではないビールを自分の好みのビールに変えてもらっていたとか。
親切な酒屋さんなんです。
私があまりお酒を飲まなかったこともあり、祖母が亡くなってからはなかなか伺ってはいませんでした。
代が変わった現在も、とっても親切に対応して下さる酒屋さん。
御神酒について尋ねても詳しく教えて下さいました。
また、そのお店の「旬」のお酒も伺うことができて…
それをきっかけに、何度かお邪魔させてもらい美味しい日本酒とも知り合うことができ、
あまり好んでお酒を飲まなかった私も、今では「旬」を待っているお酒があります。
そんな「酒屋のプロ」Tさんのお話です。
◯子どもの頃の夢
「学校の先生」
中学生の頃の部活は「体操」だったらしいです。
体操というと個人の美しさを競う個人主義的なスポーツなのかなぁと思っていたのですが、そうではないらしいのです。
個人の技を磨くという大切な努力も必要ですが、同時に仲間との切磋琢磨することが大切なスポーツだとか。
確かに、オリンピックの選手の方々を見ていてもチームメイトへの思いやりある仕草が伝わってくる場面を見たことがあります。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「お父様の大切なお仕事だったから」
Tさんは実際に中学校と高校の体育の先生の免許を持っていらっしゃるとか。
中学生の頃から「先生になりたい」と考えていたこともあって、一度は教員採用試験に挑戦したそうです。
とにかく体育の先生の枠は少なく、「現役で採用される人はほとんどいない」と、私が教員採用試験を受ける際、仲間に教えてもらったことを思い出しました。
今でこそ、教員になる倍率が一桁で成り手が減少してきていると言われていても、体育の先生に関しては、未だ高い倍率のままです。
ましてやTさんの頃は人気の職業でもありましたから…
Tさんは将来を考えた時に、採用されるか分からないまま過ごしていくよりも、一般企業に就職をしようと決心されたそうです。
企業に就職し仕事を任され月日が流れていくと同時に、体操の頃のチームワークの精神が沸き起こります。
「個人」で仕事をこなしても、会社と言う「チーム」で互いに支え合うはずの職場。
しかし、現実はというと…成果は全て上司一人のものになっていました。
皆で頑張ったからこそ得られた成果であっても…。
自分自身が大切にしてきた「チームワーク」と言う精神も、その会社では全く感じられなかった状態に我慢ならず、退社します。
「次の就職先は!」
そんな気分にもなれず、取り敢えず失業保険をもらえているうちは、家のことを手伝おうと…
しばらくして、お父様の体調に異変が。
急遽、入院することになってしまいました。
お医者さんからは
「もう永くはない」
と告げられてしまいます。この言葉ほど冷たく力を失わせる言葉はありません。
いつまでも元気で笑顔でいてくれるものとばかり思っていた当たり前に、当たり前ではないのだと気付かされ、力を奪う言葉です。
しかしTさんは
「一生懸命に頑張ってきたお父さんのためにできること…」
考えます。
「せめて食べたいものを食べさせてあげたい」
そんな思いから、お父様の食べ慣れた家庭の味をお弁当として病室へ。
毎日続きます。
実はお父様も同じ病棟にいた方にお裾分けをしていたそうです。
思いやりは伝播していきます。
Tさんの優しさはお父様のDNAなのかも知れません。
その甲斐あって、宣告よりも沢山の笑顔を見ることが出来たそうです。
お父様が旅立たれる前から、お母様とお店をお手伝いしていたTさん。
そのままの形が今も続いているという感じでした。
それは…
「特別」なことではなく「日常」。
息をするようにお店のシャッターが開き、息を吐くように片付けをする。
私が
「いつから継いだのですか?」
と尋ねたのですが…
Tさんにとってお父様のお店を継いでいくことは「特別」なことではなく、「日常」だったのだと思います。
呼吸を普段意識していないように、継ぐことを当たり前のように感じていらっしゃったような。
それは自分を犠牲にした選択ではなく、自分が自分であるための選択。
そんなふうに私は勝手ながら感じました。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「子どもに関わること。食に関わること。」
学校現場とかではなく、子どもたちのために食事を作りたいとおっしゃっていました。
ジャンクフードと言われるものは、たまに食べたくなります。
しかしそのほとんどは、年齢別に味の調整がされている訳ではありません。
私が食べてちょうどいい塩加減は、子どもたちにとって濃い味となってしまうことも。
低価格を売りにしているお店の場合はもちろん、多くのお店で年齢に応じた味の調整をしていたらお店の利益として難しいものがあります。
それをTさんはやりたいそうです。
「味覚は3歳までに育つ」
そうおっしゃっていたTさんのつくる卵焼きは優しそうな形をし、美味しそうな色をしていました。
酒屋さんでありながらランチも提供するTさんのお店は、なかなかお忙しく営業することが難しいらしいのですが…
出汁からこだわりを持ってつくってらっしゃるTさんのお料理を是非とも頂きたいです。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「後悔してもそこに留まっていても先に進めない。
基本に戻る。」
Tさんは基本的に負けず嫌いとのこと。
しかし、「留まる」ことをしていては何も解決しないと常に冷静な考えも持ち合わせていました。
基本に戻りながら自分を俯瞰してみる姿は、まさにスポーツウーマンだったことがうかがえます。
心理学の世界においても「俯瞰する」と言う考えは大切だと言われています。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「無垢なだけに…
ちょっとしたことだから…
なんて言えばいいんだろう…」
そう言うと、
「家庭でもギュッと抱きしめてあげて欲しい。ちゃんと伝わる。」
「ダメ、ダメじゃなくて、『できた』と言う経験を早めに。教員でも親でも教えてあげてほしい」
と周りの人たちへの思いを伝えて下さいました。
強く気持ちを込め、子どもたちへの言葉を真剣に考えるその姿は、教員である私たちも大きな言葉として受け止めました。
きっとTさんにとってエールは「愛」なんだと思います。
常に子どもたちの未来を大切に思って下さる方がいます。
それはその地域にとって、また私たちにとってどれだけ心強いか。
「貴方たちは貴方たちのままでいい」
そんな言葉が隠れているようで隠しきれない言葉となって伝わってきました。
◯インタビューをして
「僕が高校生の頃にね…」
「先代のお父さんからお酒を買っていたのだけど、昔はツケで…」
お父様のご生前の頃のお話をお客さんたちに教えて頂くことがあるそうです。
Tさんは
「父との話をして下さると嬉しい」
家業を引き継いで感じている事です。
お父様が旅立たれて月日は経っているのですが、まるで今も一緒にお店をしているかのように、お父様のお話が尽きることはありません。
人と人との関わりがあるから、気づけること、感じることがあります。
法改正されたことで、お酒を売ることに対する規制が甘くなってきています。
その結果、コンビニでもスーパーでもお酒の販売が許され、価格の競争が激しさを増しています。
利益だけで考えるのなら、とても難しい商売です。
しかし、Tさんは繋いでいきます。
お父様の真心。
お母様の想い。
酒蔵さんとお客さんとの出会い。
利益だけで測れないものを持ちお店を開けます。
だから…Tさんのところで頂くお酒は格別なんです。
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