100人のプロの30人目のプロ‼️
「卵とお米だけは良いものを食べないといけないよ」
料理上手な今は亡き私の祖母が常々言ってくれていた言葉です。
祖母は終戦の「ものがない時代」を生きています。
生活は決して楽ではありませんでした。
当時、働き盛りの祖父の昼飯は大きなトマト一つ。
戦後復興のための力仕事。
食欲がない訳ではありません。
食べ物を買うお金がないからトマト一つなのです。
しかし、そんな状況下であっても祖母は自分の着物など売りながら「卵」と「お米」はちゃんとしたものを買っていました。
祖母が買ってくる卵は決まって赤褐色の卵。
私がお祭り気分で友人とスーパーの安売りで並んで買っていたのは白い卵だったので、赤褐色を見ると…
「おばあちゃんの卵だ」
と思い出します。
なぜ、赤褐色は白色より高いのか!?
「高い」には訳があります。
毎日食べる卵。
本日はその「卵」に立ち返り、深く考える機会となりました。
こだわりを持って卵を生産されている「名古屋コーチンのプロ」Nさんにお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「野球選手」「教員」
Nさんの性格は不安だらけで一つ一つこなしていくタイプだそう。
思ってみたものの続かない。
野球は1年と続かず、教員も大学に入学したもののすぐに諦めました。
「何がやりたいか本当に分からなかった」
自分を振り返ると、そんな言葉が出てきていました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「手を挙げた」
子どもの頃から「これになりたい」と言う思いが特にあった訳ではありません。
なるようになっていく。
自分の希望になるべく近い所へ就職。
そんな進路選択。
仕事は薬の営業。
選んだ理由は、休みが多く、イメージは悪くなく、地元に店舗があったと言う理由。
自分の時間もしっかりと確保されていたので、テレビを見るゆとりも。
テレビをつければ『北の国から』が放送されていました。
『北の国から』の影響力は凄まじいもので、北海道が好きになるのと同時に、農家への憧れもうまれていきました。
憧れがうまれる一方で…
今の仕事について「向いていないな」と感じることが徐々に増してきます。
人間関係のストレスや、思っていたほど楽な仕事ではなかったこと…
その思いがますますドラマの世界観へと夢中にさせていきます。
ある時、営業で通っていた養鶏場のお客さんの所へ鶏のワクチンを持って伺います。
養鶏場の人はNさんに
「そろそろ養鶏場を閉めようかなぁ」
そんな話をされました。
「あ〜。今は色々大変ですからね。そんな気持ちにもなりますよね」
可もなく不可もなく…
そんな返し方で流れていきそうな、よくありそうなコミュニケーション。
…
Nさんは違いました。
真剣に話を伺います。
「気の小さい男」とご自分のことを説明していましたが…
右を見れば自分の手は既に挙がっていて…
私が受け継ぎます
やったことのないことへの挑戦。
今の仕事とは全く異なることへの挑戦。
すごいエネルギーだったと思います。
この時の心情を詳しく伺おうと思ったのですが…
Nさんから当時の心情を細かく聞くことはできませんでした。
きっと、手を挙げたことをNさんが一番驚いていたのかもしれません。
引き継ぎはやったことのないことだからこそ肝心です。
ですが…
前農家の方から詳しく説明されることはありませんでした。
引き継ぎされた事は
・取引先
・ヒヨコの取り扱い先
・餌の種類
くらいでした。
もともと養鶏場をやっていたのなら充分かもしれませんが、一から始める方にとってそれは「やっぱり…」と投げ出してしまいたいくらいです。
…
しかし!Nさんは違いました。
憧れの農家への挑戦に気持ちが入っていました。
野球も1年続かず、教員を目指すも早いうちに諦めるNさんでしたが…
今では養鶏場を引き継いで約25年。
天職だったのだと思います。
最初の頃は起床時間に、休日に苦労をします。
生き物相手の養鶏場に、ほぼ休みはありません。
Nさんは言います。
「嫌なことも毎日続けたら習慣になる」
「休みたい」という感情よりも「やらねばならん」と言う感情が身体を動かします。
自分たちの育てる鶏が産む卵にプライドを持ち、ポリシーを持ち…
自分たちにしかできない「こだわりの卵」をつくり上げていきます。
少しだけスーパーのものより高いその卵。
こだわりを聞けば逆に安く感じるほどです。
白い卵は戦後、アメリカ軍が日本に持ってきたものでした。
もともと日本にあったものは赤褐色の卵。
今では「卵」を思い浮かべたら多くの人が白をイメージするのではないでしょうか。
これも戦後77年間で習慣となった私たちのイメージです。
戦後間もない時は、白い卵を手に取る方はあまりいなかったそうです。
卵は毎日スーパーにあります。
それは毎日に近いくらいに排卵するよう品種改良が重ねられているから可能な事です。
戦前からあった赤褐色の卵も、もちろん改良はされています。
卵自体の成分などは違いはないと言います。
品種改良が比較的されていないものもあります。
昔から、日本にいた鶏。
それが、
「名古屋コーチン」
です。
明治維新をきっかけに武士の一つの仕事として闘鶏などで飼われていた鶏を卵産業としていったのが始まりだそうです。
何がきっかけで物事が習慣になっていくか!?わかりません。
ただ…
いい習慣というのは、つくり出そうとしなければ、うまれてこないのかもしれません。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「サラリーマンは向かない…難しい。
これは分かってる。」
自分に何が向いていて、何ができないのか!?
それは実際にやってみないと分からないことです。
それと同時に、分からないからこそ挑戦できることもあります。
養鶏場は大変だったと気づいている今、同じように自分から手を挙げることができるだろうか!?…
「知らないからできない」
なんて事は「ない」のだと思います。
挑戦していくうちに仕事を知っていけばいい事。
学びながら生活。
Nさんのお話を伺ってそう感じました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「広い視野で見て、過去の自分を見て、エネルギーにする」
「今は地獄の22丁目です」
と話された時、面白い表現だなぁと正直に感じました。
辛いことも変にポジティブに切り替えようとするのではなく、素直に表現をするのですが、ちょっとコミカルな部分も含められる表現。
その表現とは反対に、実際はとても大変なことが起きていたりします。
大変なことが起きているから
「大変だ!」
と嘆いているだけでは何も改善されていきません。
ちょっとコミカルに表現をしながら、冷静に物事を見極める。
それが次につながっていく力になるのだと思います。
そして、1丁目からの経験はしっかりと自分のノウハウにちゃんとなっていきます。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「大変ですよね。…
いい言葉が出てこなく…
すみません」
Nさんは言葉少なく発していましたが、私には充分伝わってきました。
それは言葉だけではなく、Nさんの私たちに対する姿勢です。
10月から鳥インフルエンザの注意報が出ていると言います。
渡鳥の時期になると、どうしてもそうした警戒の必要性は出てきます。
にもかかわらず、細心の注意を払いながら私たちとの時間をつくって下さいました。
誰のためにか!?…
未来ある子どもたちのため。
最後にNさんはこう言いました。
「私が話せる事は全てお話ししました。こんな話でよかったですか?」
ご自分ができる最大限を私たちに託して下さいました。
ただの言葉ではありません。
このエールにはしっかりと背景があったんです。
その「心」をぜひ皆さんにも感じ取ってもらいたい!そんなエールでした。
◯インタビューをして
今はウクライナのことで鶏の餌であるトウモロコシがあまり入ってこないそうです。
また、コロナ禍の影響で飲食店に卸す量は激減しています。
少しずつは飲食店も以前のように営業を再開しているのかなぁと思っていたのですが…
ランチは良くても、ディナーの集客は未だ戻っていないそうです。
様々な品が値上がりしている中、卵に関しては値上がりになかなか踏み切ることはできそうにありません。
それは…
私たちの食卓に直接、影響が出てきてしまうから。
餌などの高騰だけでなく、暖房器具等のガソリンの値上がりもあります。
だからと言って、卵の価格を上げることは直接的にお客さんたちの生活にダメージを与えてしまいます。
だからギリギリのところでやって下さっています。
私たちの気づかないところで、私たちが会った事のない人たちが、私たちのことを想って頑張って下さっています。
「私たちの健康は、喜びは誰かが支えてくれている」
そんなことを感じました。
生きとし生けるものを頂く時の感謝の言葉。
同時に、私たちを支える全ての関係者に気持ちを込めて。
「いただきます」
そして、
「ご馳走様でした」
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