100人のプロの38人目のプロ‼️
もうすぐ卒業式の時期です。
中学校3年生の子に
「今年は全校生徒で卒業式できるといいね」
と話をすると、不思議そうな顔をしていました。
この子たちは中学生になってから、卒業式というものを体験したことがありません。
もうそんなにも経つのだと改めて気付かされます。
コロナ禍の影響で、卒業式は卒業する生徒のみの出席というのが徐々に慣習化していってしまいました。
時代の変化と言いますか…。
どちらも見てきた私からすると、やはり後輩たちの先輩を送るあの空気感は、卒業式の醍醐味のように感じます。
あの頃のような卒業式にならないものかと…思っていたりもします。
多くの卒業生の表情を、私は見たことのないまま送り出すことになるのも、不思議な気持ちに。
マスクでなかなかわからないんです。
…
マスクと言えば学校では教員は
「不織布マスクをするように」
と言われ不織布をするのですが…
私の肌はどうも不織布が合わなくて…
「布じゃなきゃダメだな〜」
と思っていたら…不織布も「布」でした。
「織らない布」である不織布は、化学処理や熱処理で繊維を絡ませていく「布」。
今回は「織布のプロ」Uさんにお話を伺いました。
伺った際にUさんがすぐに織り機の作業場へ案内して下さいました。
「ガタンガタンガタン」
絶え間ない織り機の音。
その中で、一つの機械の調子が良くないことに気づきます。
Uさんが作業されていた女性に大方のことを聞き、調整していきます。
見た目とは違い、機械の繊細な動き方に驚きました。
作業場にはもう一人の男性の姿が。
Uさんの息子さんです。
他の機械を調整をされていました。
作業場では大きな声を出して話しても、私の感覚では小さな声しか出ていないような錯覚をするほどの機械音。
教科書で見たことのある明治時代の「富岡製糸場」では、こんな音を響かせていたのではないか!?
と新鮮な気持ちになりました。
Uさんの所にある機械たちは、博物館に展示されるほどのものらしいのです。
時代を超え、今もなお動き続ける織り機から話は始まりました。
◯子どもの頃の夢
「何もなかった」
終戦の8年後にUさんは生を受けます。
江戸時代から続く家業もあり、幼少期は特に苦労なく育ちました。
一方で、日本の経済復興と共に重化学工業が盛んになると、繊維業は海外の輸入に取って代わるものになってしまいました。
繊維業の力が失われていくのを身近で体感していったUさんにとって、家業に好意的な見方はできなかったそうです。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「知り合えていなかったという奇跡」
時代の煽りもあり、お父様は廃業する気持ちでいました。
大学では機械工学を選考し、就職先もIT関係に。
このまま江戸時代から続いてきた織物業は、幕を閉じてしまう。
そんな時、Uさんのお母様から
「帰ってきて欲しい」
と言われます。
廃業を覚悟していたお父様は「帰ってくるな」と言います。
お父様は廃業する気持ちでいたため、Uさん自身「織物」に対する知識や技術を引き継いできていませんでした。
知らないことの連続。
分からないことの連続。
しかし、ご両親の色々な気持ち、「家業」という当たり前にある有り難さ、様々な思いがUさんの「継ぐ」という決断を導いていきます。
しかし、お父様が倒れ一線を退いたこともあって、家業での収入は減る一方。
就職していた時と比べ四分の1に。
従業員を雇うゆとりもなく、銀行へ融資のお願いをするも、繊維業の時代の流れから門前払いに。
機械を動かさなくては、商品は作れません。
商品を作らなくては、収益を上げることはできません。
仕方なく、作業を一から自分で行えるようにしていきます。
全ての工程を自分一人でできるようになっても、時代は人件費の安い海外のものへとシフトしていきます。
地場産業としての価値を思えば、無くすことのできない大切な伝統産業。
交通の便が向上すれば、全国各地に広めることもできたのですが…
近くに高速道路の誘致はありませんでした。
地元の意見を吸い上げ、国家として支援するよう手立てを講ずるのが国会議員。
地元の代表者として、代表者が集まる場でUさんの地元にスポットを当てる。
それはなかなか叶いませんでした。
代表者である国会議員の方も一生懸命、地元の声を届けようとするのですが、所属する党であったり、派閥であったりで上手く立ち回れないと、なかなか声を上げることも難しくなってしまいます。
Uさん曰く、地元の議員さんは、そうした場を上手くつくれなかったそうです。
良いものを作っても、それを売る場を作れないまま、収入のためにと機械修理などの下請けを始めました。
依頼された場所に行き、依頼されたように仕事をする。
「自分がやりたいことなのか」
「自分でなければいけない仕事なのか」
そんなふうに自問自答し、すぐに辞めたくなっていたそうです。
以前、働いていたように企業に戻ろうか!?
新しい何かを始めようか!?
そんなことも思いました。
しかし、飛びつくだけの知り合いもいなかったですし、ノウハウもありませんでした。
目の前に機械がある。
繊維の機械がある。
「うまい」話に出会うことがなかったからこそ、家業を守り続けられたそうです。
自分の持ち味や特性は見慣れてしまえば当たり前に感じます。
その持ち味や特性は磨けば才能へと輝き始めます。
Uさんは繊維とは関係のない仕事を辞めていきます。
繊維としての特性がブレてしまうから。
輝き続ける技術は、その光によって新たな出会いを生み出していきました。
時代が変わったのなら、自分たちも変わっていけばいい。
それが生活産業の理念。
着物を着なくなった現代において、ノスタルジーという新たな角度で再認識されていく着物。
続けていくことは難しい。
だから「継続は力なり」と昔から言われています。
変化する時代に変化してはいけないもの。
それが理念なのかもしれません。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「ソフトウェア開発」
充電しているスマホを見つめてUさんは
「昔は…ワンフロアを占めてやっていた内容を、あれ一つでやっている」
IT企業に勤めていたからこそ気づくスマートフォンの驚異。
どうやったらその一台に収まっていくのか!?
そのメカニズムを勉強し直して、「理解したい」とおっしゃっていました。
知的探究心を持ち続けているからこそ、織物業の新しい発想へと繋がっていくのでしょう。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「七転び八起き」
何回転んでも次に起き上がればいい!
そのような気持ちで突き進んで来られました。
銀行に手の平を返されたこと、織物業として先が見えなかったこと…
色々なことを乗り越えて来たからこそ、今があります。
ピンチだと思った時には、次なる行動で起き上がる時。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「みんなそう。
完璧な人間はいない」
診断があるのか!?
ないのか!?
大切なのはそこではないのかもしれません。
自分のことをわかってあげられることが重要で…。
完璧な自分になってしまったら、「向上する」、「成長する」楽しみは無くなってしまいます。
完璧でないから補ってもらって…
完璧でない人を自分が補って…
そうやって「自分」を分かってあげられるようになっていって…
だから
「ダメな子」
は誰一人いません。
◯インタビューをして
Uさんは真剣に私たちのインタビューに答えて下さいました。
気持ちを込めて、一言一言。
作業場から息子さんが真剣な表情で戻ってきました。
それを見たUさんは一度意識が全てそちらに向きます。
「どうした?」
息子さんの表情を見てUさんは堪らず発します。
「大丈夫」
息子さんは、自分の力でやりきろうとします。
インタビューが終わるとまず向かったのは息子さんのところ。
「一度、俺が見てくるよ」
私たちに自分たちの織物で作ったマスクを見せることを忘れ、作業場へ。
またすぐに戻ってきて
「ごめん。マスク忘れとった」
と言ってマスク担当の方をわざわざ呼びに行って下さって…
しばらくすると、作業場から戻ってきて息子さんに
「あの機械は〜」
と解決策を伝え作業場へ修理に。
息子さんは少し悔しそうな、そうでないような。
私たちがUさんの所の織物でできた品物を購入する際、息子さんは丁寧に説明や対応をして下さいました。
私たちが帰る時、お見送りして下さった息子さんは
「本日は遠い所から有り難うございました」
と言って深々とお辞儀をして下さいました。
江戸時代から続くお店の看板に相応しいその出立からは、熱い心を感じました。
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