100人のプロの46人目のプロ‼️
私が思っていた自衛隊に対するイメージ。
・怖い
・大変そう
・給料が安い
・パワハラは当たり前
・感謝されない
こんな所でしょうか。
最近ではテレビの取材を受けていることで、「怖い」と言うイメージは大分なくなってきましたが、
「あれはテレビ用でしょ」
と言う気持ちもありました。
「感謝されない」と言うのは、よく反対派の人たちが横断幕を掲げ練習場所で批判的な言葉をブツけている様子から連想します。
日本のためにと日夜活動して下さっている自衛隊の方たち。
どのような思いで、どのような心で勤務されているのかを、お二人の自衛隊の方に伺いました。
「陸上自衛隊のプロ」有本さんから、お話を伺います。
◯子どもの頃の夢
「大工」
3人兄弟の次男として生まれた有本さん。
お父様の大工を継いでいきたいと考えていましたが、長男さんが継ぐことに。
農家もやっていたので、農家をと思ったのですが、三男さんが継ぐことに。
お婆様からは、村で仕事の奪い合いにならないための策として
「出て行かないとダメ」
と言われ、地元を離れていく決断を迫られていました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「子どもの感謝」
なんで僕だけ…
そんな思いになりながらも、自分自身の将来を模索します。
就職難の時代。
家業があるけれども、自分自身は別の道を探さなくてはいけない。
様々な感情が巡らされる中、ご実家に大きな人たちが自分を訪ねて来ていました。
有本さんはレスリングがとても強かったそうで、新聞に載るくらい成績を残していました。
その身体能力を期待して、自衛隊の方がスカウトに。
やりたいこともできず、卒業しても就職できない現状…
スカウトを受けます。
「陸上自衛隊」へと入隊していきます。
「陸上自衛隊」と言っても様々な「科」があり、全ての方々が銃を持って戦闘へ向かう訳ではありません。
有本さんは様々な分野がある中でも「施設科」に入隊します。
最前線へ行き、施設をつくったり皆が渡るための橋をつくったりする科ですが、レスリングで鍛え上げた体力を活かせると思い選考。
しかし、大会で優勝の常連である有本さんでも、訓練は凄まじいものだったそうです。
訓練は泊まり込みで行われるのですが最高で7泊8日の訓練。
有本さんたちは「7泊8日」とは表現しません。
意味が変わってきてしまうので。
有本さんたちは「7夜8日」と言います。
「夜」を使う理由は
「寝ない」
と言う意味を持っているから。
寝ずに8日間、敵味方で分かれ訓練を行います。
草むらに入り仮眠を取ることもありますが…
それを「寝る」と表現するにははばかれてしまいます。
この「寝ない訓練」がなんのためになるのか!?
最初は意味がないのではと感じていたものの…
意味のないことなどないと気づけたのは、
2011年3月11日の東日本大震災での救助でした。
活動拠点となる基地設営のために大きな重機で夜中の2時に愛知を出発します。
大きな重機と言うこともあって、スピードはそんなに出せません。
東北までは20時間を要しました。
快適なバスであっても20時間の移動の後は少し横になるか、ゆっくりしたいです…
しかし、誰一人として休もうとはせず、すぐに活動に取り掛かります。
「72時間」と言う救助で助かる可能性のリミットに間に合わせるために。
1分1秒も無駄にできない有本さんたちは、そのまま寝ずに施設をつくっていきます。
睡魔に襲われていたり、頭がぼーっとしていては大事故につながりかねません。
「寝ない訓練」の重要性はこう言う時のためだったんです。
「助けたい」
「救いたい」
純粋にその思いが突き動かしていきます。
有本さんにとっては娘さんが生まれる時期でもありました。
そばにいたい。
帰ってあげたい。
それらの思いを丸ごと胸に。
自衛隊の復興活動完了までずっと、任務に就き活動します。
私たちが感謝の念を送るそのお一人お一人に家庭があります。
家族がいます。
大切な人がいます。
その当たり前を感じさせない姿の背負うものの多さに、ただただ
「有り難うございます」
の言葉。
毎朝、
「自衛隊さん ありがとう」
と言う紙を持って立っていた子どもの姿は、有本さんの自衛隊への気持ちを確かなものにしていきました。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「陸上自衛隊の施設科」
今と同じ仕事。
訓練も大変で、子どもの頃に描いていた未来とは違う職種ですが、震災の頃の子どもの姿は、有本さんにやりがいを感じさせました。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「原因を考え込まず、別の好きなことをする。
家族に相談して励ましてもらう」
私自身、3月の下旬にボランティアで東北に行ったことがあります。
バスで行けるところまで。
公共交通機関で行けるところまで。
まだまだ震災の爪痕はハッキリと残っています。
現地で知り合った方と共にボランティア活動へ。
「大変なところは全て自衛隊の方たちがやって下さっている」
と一緒に活動していた現地の方が教えてくれました。
現地の方が安心して助け合えるのは、自衛隊の方の活動があるから。
その最前線に立つ有本さんたちにとって、精神的にとてもキツいものがあったそうです。
支えとなってくれたのが、「輸送科」が届けてくれる家族からの手紙。
電話ができる時には家族の声を聞きました。
少し落ち着いてきた頃は半月に一度、4〜5日の休暇を取り、家族に会いに行きます。
日本の安全を支える自衛隊の方々を支えるのは、自衛隊の方々のご家族でした。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「 『こんなだからこれができない』と思わず、
挑戦してほしい。
これだと思ったものを諦めずに。」
こう伝えて下さった後に
「夢を諦めないでほしい。それがダメでも何かしら似た職に就ける」
と重ねてエールを頂きました。
ご自分が家業を継いでいきたいと思っていたものの、ご兄弟に譲る形になってしまった有本さん。
そのことを後悔なんかしていません。
今のお仕事に誇りを持ちやりがいを感じています。
ご兄弟に家業を譲られた有本さんの姿勢。
家族を想う心だからこそできた行動。
常にご自分の心は真っ直ぐに。
誰かのために真っ直ぐに。
そんな有本さんにとって自衛隊というお仕事は、一番求めていたものが得られるお仕事だったのかもしれません。
◯インタビューをして
私たちとの会話は全て敬語で接して下さる有本さんたち。
伺った日も有本さんたちの休日でした。
一階は会館自体が閉まっていたため、インターホンを鳴らすと職員通用口からサッと。
嫌な顔一つせず出迎えて下さいました。
ピシッとした制服に磨かれた靴。
向かい合うだけで私の背筋も幾分か伸びたのを覚えています。
まだ得体の知れない私たちに、誠心誠意向き合って下さるその姿は、警戒心ではなく安心感を抱かせました。
安堵した私は終始笑顔と驚きの表情で過ごしています。
自衛隊の方が守って下さっているのものは…
もしかしたら「命」の手前にある「笑顔」なのかもしれません。
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