100人のプロの47人目のプロ‼️
何度も何度も書き直す。
伝えたいことに私の文章が追いつきません。
私のイメージが単なるイメージでしかなく、想像する力が足りていなかったことに気付かされます。
自衛隊の方々が護りたいものはもちろん
「家族」です。
家族の生活を護るために、
「日本」を護ります。
台風の時も、地震の時も…
災害があってご家族のそばにいてあげたい気持ちをぐっと抑えて。
災害の時にはまず被災地へと向かいます。
太平洋戦争において大敗してしまった日本人にとって、「戦」に少しでも関係する言葉はトラウマ的反応を示すようになってしまった日本。
知人の話では、自衛隊の方々が歩いていると石を投げられることもあったそう。
それでも…
投げている人も含めて、自衛隊の方々は護ります。
「態度が悪いアイツはやめておこう」
なんてことは絶対にしません。
自衛隊への意識が変化していったのは、「阪神淡路大震災」の救助活動からだそうです。
徐々にイメージが変わっていきます。
実際に関わっていくことで、変わっていきます。
「国歌は歌いません」
「国旗に正対できません」
と言う教員が少数でもいることに恥ずかしさを感じます。
個人の思想の前に子どもの未来を育む責任を自覚すべき教員。
不登校だった子どもたちも自衛隊へ入隊し、立派に職務を遂行していると聞きます。
学校の様々な問題は、教員としての自覚が不足しているから…
そう言われても否めません。
4月の上旬に入隊式が行われます。
入隊式のために10日ほど前から訓練に入ります。
たった10日の訓練で、保護者の方々は我が子の見違える成長に驚きを隠せません。
そこには体罰や脅しなど、恐怖での指導は一切ありません。
自衛隊の組織は一通でもそのような内容の報告が入れば、すぐに監査が入るほどの厳戒態勢。
学校現場よりも徹底されているように感じます。
「航空自衛隊のプロ」出田さん曰く
「1週間あれば子どもたちは変わります」
同じ教育に関わる私たちにとって、自衛隊への研修の必要性は充分にあると強く感じました。
私たち自身の振り返るきっかけをくれた出田さんに、お話を伺います。
◯子どもの頃の夢
「警察官」
高校卒業後は大学へ進学したいと考えていた出田さん。
ご両親に伝えますが…
金銭的にダメだと言われてしまします。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「大学進学が叶わなかったから」
出田さんのお話を伺って、改めて感じます。
希望した通り、全て叶ってしまうことよりも、
うまくいかなかった時にどう決断していくか!?
というハングリー精神の方が、人生のエネルギーになるのだと。
高校卒業後は、子どもの頃の夢であった「警察官」の試験を受けます。
同時に「自衛隊」の試験も。
自衛隊は自衛隊でも「航空自衛隊」の試験は一番難しいとされており、出田さんはそこを選考していきます。
勉強も運動も得意なら…と薦められたこともありましたが、航空自衛隊を選んだ理由は純粋に
「かっこいい」
から。
だから合格後の選択は「航空自衛隊」でした。
「航空」と言えばすぐに「パイロット」をイメージします。
出田さんも初めは「パイロット」を希望していましたが、実際に入隊してみると…
操縦士だけで戦闘機は動いていないことを実感します。
通信を担当する人。
気象を担当する人。
整備を担当する人。
それぞれの職域の人たちが力を合わせ、初めて発進できます。
他の職業に比べ、自衛隊は細かく分業されています。
細かく職域を分けた方が仕事はスムーズだそうです。
自分の担当に関してはプロフェッショナルになっておく。
その職域の幅が広ければ広いほど、作業自体が増えてしまい、効率的な仕事の流れを手に入れるまでに、時間がかかってしまいます。
学校現場でも「担任」という職域だけが確立していけば、もっと子どもたちとの時間は確保されるんだろうなぁ…
と、お話を伺ってイメージしました。
出田さんは「補給」という職域を選択します。
「補給」はミサイルから鉛筆まで調達していく部署。
選考した理由は、全国各地に赴任することができ、色々な所で色々な経験ができるから。
様々な経験を積んだ頃、防衛省での勤務になります。
希望制だったりしますが、希望すれば叶うものではもちろんありません。
確かな能力があるから勤務ができるんです。
出田さんが希望した理由は
「人生一度はチャレンジしたい」
とのこと。
その出田さんの背中を押してくれたのは「イラク派遣」での活動や、「東日本大震災」での救助活動の際に関わった方々。
「イラク派遣」や「東日本大震災」では多くのことを学び、経験をしてきました。
助けに行っているつもりで、力をもらって。
その力が「自信」となったり「やりがい」となったり…。
海外派遣や、災害救助は自主選択だそうです。
自分が手を挙げなければ派遣されていきません。
どの任務に行ったのかを示すものとして胸のバッジがあります。
出田さんも有本さんも、胸に多くのバッジがついていました。
しかしそれは他人と比べるためのものではないと言います。
自分自身の証として心に刻んでいくもの。
一つ一つの確かな経験が自信に。
国民一人一人の感謝の言葉が、出田さんたちのエネルギーに。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「体育教師か航空自衛隊」
大学には進学してみたかったとおっしゃいます。
後輩育成として、壇上に上がり講義を任されたことが。
その経験からの「教師」。
人を教えることの大切さや魅力を知ります。
教える「もの」は見る視点によって大きく異なります。
出田さんのように、日本を大切に考える教員が増えたとしたなら、もっと未来は明るく見えてくるのではないかと思います。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「失敗しないために努力し、失敗した時は『何で失敗したのか』を分析する」
表ではサラッとやってみせるのですが、その陰で並々ならぬ努力をしているそう。
出田さんは
「二度目の失敗はない」
と努力と分析を重ねる方。
昨今の学校現場では、子どもたちに「絶対失敗をさせない」そんなふうな関わりをしている場面を見かけることがあります。
小さな失敗を無かったことにするのではなく、小さな失敗から何を学ぶかが重要。
しっかり分析していれば、その失敗は学ぶためのものになり、学んだ後の改善は努力となっていきます。
「分析」と「努力」を重ねてくうちに、落ち込むことはほとんど無くなっていきました。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「人生の主役は自分。
自分を諦めないで。
脇役じゃない。
努力したら『夢』が叶うわけじゃないけど…
なった時には必ず努力する必要がある」
どれだけ能力があっても、チャンスが「ちょうどその時」に来るわけではありません。
しかしチャンスが来ていても、努力を続けなければチャンスはチャンスで終わってしまいます。
どんな時に、どんなシチュエーションでチャンスが来るかはわかりません。
ただ、自分がドラマの主人公であったのなら、どんな毎日を過ごしていくのか!?
面白いドラマになっていくのか!?
はたまた退屈なドラマになってしまうのか!?
全ての出来事は、人生というドラマのクライマックスか、またはきっかけとなるものかもしれません。
◯インタビューをして
出田さんがおっしゃいました。
「家族の安全を護りたい」
「護りたい」と想う気持ちの最初はそこです。
家族を護るために、日本を護ります。
国旗を見て家族を想います。
「日本」という国の名前に家族を浮かべます。
戦時中、日本の若き青年たちはどんな気持ちだったのか。
想いを馳せます。
彼らには護りたい家族が。
護りたい恋人が。
それぞれがそれぞれに想いを持ち。
立ち上がります。
「日本」という代名詞を使いながら。
もっと見なければいけない。
もっと知らなければいけない。
先人の方々は何を護ろうとしていたのか!?
私たちに何を託したのか!?
自衛隊の方々の笑顔のその奥にある強い強い覚悟が、私の心を震わせました。
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