100人のプロの49人目のプロ‼️
日本のある農業関係の会社のYさんにインタビューをさせて頂きました。
その会社は日本全国にあるので、
「大きな力を持っていて…」
と聞いたことがあります。
農家はその会社に虐げられている、なんて言っている人もいました。
しかし、農業関係のプロの方々にお話を伺うと
「その会社は大切」
「その会社があるからまわっている」
そんなことを教えて頂きました。
とても有名にも関わらず、どんな役割をして、どんなことをしているのかを知りませんでした。
Yさんがよく言っていた言葉は
「農家さんにとって良いことなら」
でした。
Yさんはとてもお優しい方。
プロの方は皆お優しい。
「農業の会社のプロ」Yさんにお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「フードショップの店長」
昔から食べることが大好き。
地元にはファストフードのお店やファミリーレストランなどはありませんでした。
友人と食べに行くのは近くの駄菓子屋さん。
そこで食べる時や、家で食事する時は、みんなが笑顔に。
美味しいものを食べるとみんな笑顔に。
その表情を見るのがYさんは好きでした。
笑顔のきっかけづくりとなるスーパーは憧れの場所。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「『なぜうちに来たの?』の言葉」
子どもの頃はよくお祖父様、お婆様の農業を手伝っていました。
お小遣い欲しさにやっていたのですが、家族みんなで一緒に取り組んでいく作業は大好きでした。
もちろん、進学先は「農業高校」。
お祖父様の農業を継いでいくという強い気持ちがありました。
15歳の夏くらいでしょうか。
その強い思いは悔しさへと変わっていきます。
「農業高校」への進路決定に対して、お母様が反対されます。
「まずは『普通科』に」
お母様の意見でした。
Yさんの強い思い以上に、お母様には覚悟がありました。
「農業への興味を忘れられないと言うのなら、大学で選考しなさい」
お母様がこうして強くおっしゃられるのは、ご自分が「普通科」へ進学したかったにも関わらず、ご両親に農業科への進学を強く勧められたから。
同時に今後の世の中でご実家の農場の広さでは、仕事として成り立つかどうかの心配もあったからです。
それでも当時のYさんは納得できませんでした。
今となっては、その選択は正しかったと振り返ることはできますが…
農業科への道をやむなく断念していきます。
大学進学を考える頃には、プログラミングなどにも興味が湧いていきます。
ご実家の農業を職業とするには厳しさもあり、そこへの情熱は年々減っていきました。
就職活動の時期には、農業を全く意識しなくなっていきます。
興味のあるプログラミング。
趣味としての娯楽施設。
就職は幼少期からすると真逆の方向へ。
ある娯楽施設での面接。
卒業論文についての話になりました。
Yさんの卒論のテーマは
「サスティナブルアグリカルチャー」
です。
面接官が尋ねます。
「そのテーマでなぜうちに来たの?」
「うちではそういうことできないよ」
それに対してYさんは
「…」
何も言い返すことができず、自分の心は農業から離れていないことに
「ハッ」
と気付かされます。
卒論のテーマを日本語にすると…
「持続可能な農業」
農業科へ進学しなくても。
農業に従事していなくても。
心の中心軸はいつも農業でした。
Yさんの描く農業はもしかしたら…家族みんなで笑って過ごす未来なのかもしれません。
本当の自分の心に気づいたYさんは、急遽就職先を探していきます。
農業に関わることができ、仕事として成り立っていくもの。
それが、今の会社でした。
しかし、その会社はちょうど合併の真っ最中。
大きくなっていく一方で、大変な時だったため、新規採用は受け付けませんでした。
Yさんは悩みます。
しかし妥協をしたくはありません。
中学生の頃もそうだったように、なかなか諦めることをしませんでした。
お母様とお話をします。
新規採用を募集するまでの期間、必要となってくる知識を、身につける時間に充てていくこと。
そうアドバイスされました。
アドバイス通り農業大学校へ。
農業のことを本格的に学ぶことのできる所。
多くのことを学びました。
どんな会社員となっていくのか!?
自分の目標が定まっていきます。
その目標は今も変わっていません。
「農家さんのためになることを」
就職して現場で従事している方と連携していく部署に。
Yさんは特に農家の方と密に連携して、最善の方法などを考えていきます。
農家の方たちも世代が変わっていき、効率を優先するようになり、自分で販売から管理を行うような方も現れてきました。
それでもYさんの理念は変わりません。
「農家さんのためになることを」
ご家族も含めた農家の方々の未来を一生懸命に護っていきます。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「農業」
農業を本格的に学び出した頃、完熟した桃を食べたことがあります。
その桃に勝るものを未だ食べたことがないそうです。
最後の最後まで栄養を蓄えていた桃の甘さは、表現しようがないそうです。
好きなものを好きなだけ。
そんな農家になれたらなぁとお話ししてくれました。
お父様がお仕事をしながら農業をやられていたそうですが、仕事をする身になってその大変さに気付かされます。
それでも農業に惹かれていくのは、原風景であり原体験だったからでしょうか。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「悩みすぎる前に周りの人へ相談、発信」
困っている時にはなかなか発信することはできません。
困っている人に限って
「大丈夫」
と言ったりします。
「困っている」と自分で気づくことは勇気のいること。
「困りすぎる前に発信」は大事なことです。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「一つ一つ小さな成功を積み重ねていくと自分のしたいことに繋がっていく。
ほんの小さな一歩でもいいので、踏み出してほしい」
中学生の頃は
「高校進学が全て」
かのような雰囲気が作り出されます。
その雰囲気に飲まれると
「落ちたらどうしよう」
「ダメだったらどうしよう」
不安ばかりが、焦りばかりが目の前を散らつきます。
目標のために努力していくことはステキなことです。
不安より希望を。
焦りより情熱を。
中学生の頃に落胆したYさんが、ずっと持ち続けたのは信念でした。
◯インタビューをして
時代が変わっていくように、組織も変わらざるを得ない部分は変わっていきます。
その変化を良きものとするために変わっていきます。
大きな組織が農家の方々の代弁者となるために、農家の方々と共に歩みを始めます。
会社を通さずに売る所も出てきました。
しかし、そのことを嘆いたりはしません。
なぜなら、同じ農業者だから。
営利だけを目的とし、利益だけを考えている会社ではありませんでした。
今は、一丸となっていく時。
マスクが取れ始め、笑顔が見える機会が増えた今日この頃。
こんなにもみんなは、優しい顔をしていたんだと気付かされます。
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