100人のプロの50人目のプロ‼️
私たちにとって1分でも…
子どもたちにとっては1日。
私たちにとって来週は…
子どもたちにとって、何日に相当するのでしょうか。
不安を抱えた子どもたちは、嫌な思いをしている子どもたちは、その長い時間を待ち続けます。
学校には不安や悩み事を相談する機関として「スクールカウンセラー」がいます。
多くの学校でスクールカウンセラーは、週1日の勤務。
その1日でも、予約が埋まって仕舞えば次の週に回されてしまうことも。
子どもたちにとって身近な存在であるはずの「学校の先生」。
その先生と子どもの関わる時間がつくられていけば、もっと子どもの話せる環境が。
その先生が、もっと専門的に心理学を学べば、
「自殺率も減少し、不登校生徒も登校できるようになっていく!」
そう言い切ることは、難しいですが…
少なくとも、子どもたちへの支援は確実に変わっていきます。
令和5年1月30日の国会で、元文部科学大臣の萩生田光一先生は「教師の専門性の必要性」について、子どもたちのことを想った主張をして下さいました。
それは、現場の声です。
現場の声は、「子どもたち」の声です。
「仕事」をする者の利害関係にまみれた声ではありません。
「スクールカウンセラーの勤務を増やそう」
そんな主張もカウンセラー側からあります。
時間給5,000円というスクールカウンセラーもいると話を聞くなかで…
日本全国のスクールカウンセラーを週5日勤務にした時、どれ程の予算が必要になるのでしょうか!?
確かに子どもたちの「力」となっていらっしゃる方も、もちろんおります。
しかし、子どもたちを中心に考えた時、何がベストなのか。
萩生田先生の国会質疑で、子どもたちのことを中心に考えた姿に、私はとても嬉しく感激しました。
同じ子どもたちのことを考える者として居ても立ってもおられず、感謝の手紙を送らせて頂きました。
すると…
週明けにはお返事が。
国家は様々な方が支えて下さり、今があります。
その方々を支えるのが政治家。
「政治家のプロ」元文部科学大臣の萩生田光一先生にお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「プロ野球選手」
プロの方々にインタビューする時はいつも緊張します。
今回もいつものように緊張を。
その緊張は隠しきれないほどに。
大きな部屋に案内されます。
担当の方が
「こちらに萩生田が座ります」
と教えて下さいます。
待っている時にその椅子に座ったことをイメージします。
その度に心臓がドクンと。
その緊張状態でこの質問。
「夢ですか〜」
と笑顔でお話して下さった瞬間、私たちの心は落ち着きました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「ぼっとん八王子」
八王子出身の萩生田先生。
萩生田先生が高校生の頃、地元の下水道普及率は22%でした。
なので当時の自宅のトイレは汲み取り式。
私の地元も下水道の普及率は令和3年度末で54.6%なので、「汲み取り」と言われてもすぐに理解できます。
逆にトイレは「汲み取り」が当たり前なものだと、3年前まで思っていたほど。
高校の授業でトイレのことが話題になります。
「汲み取りトイレの人?」
と聞かれ、高校生だった萩生田先生も当たり前のように手を挙げます。
手を挙げたのは45人中、自分ただ一人。
それをきっかけに
「ぼっとん八王子」
と友達から、からかわれることも…
「何で俺だけ汲み取り?」という思いと同時に
「世の中の不便を解決するのはどういう人?」
萩生田先生にとって、この答えが「政治家」でした。
大学進学を視野に入れ、目標のために頑張ります。
目指したのは「市議会議員」。
自分でも国会議員になり、今も政治家として仕事をしているとは想像もしていなかったと言います。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「ん〜。政治がやっぱりやりがいがある」
今回、スクールカウンセラーについての発言をしたことで、一部のカウンセラー関係の人たちから批判も頂いたそうです。
常により良い政策を考え行動をしても、必ずどこかからは批判をされます。
その攻撃は時には、人格の否定であったり、事実でないことで言われてしまったり。
攻撃は家族や秘書の方々にも及んでいきます。
「楽しい老後を…」
そんな風に辞めることだって。
それでも続けるのは純粋に…
「まだまだ国民の皆さんに還元できていないから」
萩生田先生が文部科学大臣の時、学校現場は大きく変わりました。
より子どもたちのために、先生たちのためにという想いが伝わる数々の政策。
学校だけではありません。
様々な場所で、様々な関係で。
充分に還元されています。
充分に恩恵を国民は受け取っているはずです。
それでも「まだまだ還元できていない」とおっしゃる方が、日本の政治を担っています。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「乗り越えた時のことを想像して乗り切る」
もっと国民のために。
もっと快適に。
それをイメージして立案していきます。
内容を吟味して…吟味して。
政策に理念を込めて。
ある宗教との関係性が深いと言われたことがありました。
信者の方が密接な関わりがあるとマスコミにコメントしました…。
しかし、その信者の方は萩生田先生とは一切会ったことがありません。
後でわかったのは、その信者の方が
「会ったことがある!」
といった方は萩生田先生ではなく、その方の地元の別の議員の方でした。
しかし、その話が訂正されていくことはありません。
一度、世間に流れてしまった話は、事実でなくとも止まることがありません。
私なら、「事実は違う」と言い続け時間を割いていってしまうかもしれません。
萩生田先生が見ているところは、自分自身の評判ではありませんでした。
それに割く時間があれば、一つでも多くの「国民のため」となる施策を考える方でした。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「いい所を伸ばすのが日本の教育。
発達や個性じゃなくても
『いい』『悪い』はあるし、
『障害』ではなく、『得意』や『苦手』」
苦手で、できなくなったことを「障害」と片付けてしまえば、その人の特徴を見失ってしまいます。
苦手なことがあったって、何か必ずできることがあります。
できないことを見つめるよりも、できることを探し、自分自身の可能性を信じて欲しい。
温かく贈って下さったエールでした。
私たちの「発達障害ではなく発達個性」という言葉に深く頷いて。
「未来ある子どもたちは国の宝」
と言って下さった心。
一つ一つに深い深い愛情を感じました。
◯インタビューをして
「私が政治をやってきて、ただ一つ自慢できることがあってね」
そうおっしゃる萩生田先生。
ご活躍は身に染みて知っていただけに、
「ただ一つ」
とおっしゃる内容に、
「ただ一つではないですよ」
とちゃんとした相槌を打てずに、
「ただ一つ」
が何なのか!?
呼吸することを忘れたかの状態で聞き入ってしまいました。
その自慢とは、ご地元で不登校特例校という仕組みを使って不登校の子どもたちを支えるための学校をつくり、そこの子どもたちが立派に卒業をしていったこと。
「かえって不登校が増えたらどうするのか!?」
との批判が、学校をつくる際にありました。
しかし、何よりも…
「学校に行けずにいる子どもたちが、ただ年月を待ち続け、時期が来れば卒業証書が授与される。
その機械的な状態を打開していくことの方が重要だ」と感じていました。
子どもたちにとっての待ち続ける年月は、どれほど長いものなのか!?
「時期」と言うだけで、社会に放り出される子どもたちの不安はどれほどのものなのか!?
子どもたちを護りたい!
と言う想いが伝わってきます。
開校してからも様々なことがありました。
「変わりたい!」
そう感じ登校してくる子どもたち。
思いと想いがぶつかります。
教育する側と、される側が共に歩みを始めます。
「卒業生はいろいろな分野で活躍しています。先生になった方も8人いるんですよ。」
優しい笑顔で語ってくれました。
萩生田先生にとってのエネルギーは、子どもたちの胸を張って成長していく姿。
日本の未来のために。
子どもたちのために。
あげているようで与えられて。
当時の話をしている萩生田先生の表情は、とても温かく。とても、温かく。
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