100人のプロの54人目のプロ‼️

職場体験。

各地域でさまざまな呼び方があると思いますが…

コロナ禍で多くの中学校が取り組まなくなった行事の一つ。

私はよく子どもたちに

「せっかく体験に行くのだから、なかなか体験できない所へ行った方がいいんじゃない」

と言っていたことを思い出します。

中学生の頃は当たり前のように体験先の事業所があり、体験を受け入れて下さった場所で、遊園地に行くかのようなワクワク感を抱きながら体験していました。

地域と学校と家庭がつながる、教員になっても私の大好きな行事でした。

そして、子どもたちにとっても、「働く」意義を少しでも気づくことのできる大切な時間です。


今回お話を伺った「畳のプロ」Oさんは、中学生の体験を受け入れて下さっていました。

Oさんは、体験に来た中学生の家の畳を…

張り替えます。

体験に来ている中学生を中心に、一緒に作業に取り掛かります。

畳を家から一旦持って来る時は、子どもたちに

「自分の家として行くのではなく、お客さんのお宅として」

と伝えます。

自分の家の畳を自分自身で張り替えていくことは、なかなか経験のできることではありません。

その分、Oさんのお仕事は普段の倍になっていきます。

張り替えた後も、ご家庭からお代は頂きません。

藺草(いぐさ)のいい香りと共に、少し大人になった子どもたちと、畳を届けに行きます。

輸入品の畳では、このいい香りは出づらいそうです。

輸入品は腐らないために薬品を使うので、藺草よりも薬品の匂いが強いとか。

だから、中学生の家の畳はちゃんと国産で張り替えていきます。

職場体験では、本来ならお店の片付けや整頓とかでも充分なはず。

なぜそこまでして下さるのか。


「毎日見る畳。自分で最後まで張り替えたっていうのが、自信になるかもしれないからね」


子どもたちのために。

ただそれだけでした。

まっすぐなOさんのお話です。


◯子どもの頃の夢

「特にない」


ぼーっとしているタイプだったOさん。

学校では友人と遊んでいたりもしましたが、特に「これになりたい」という熱い思いはありませんでした。

中学生の頃、お祖父様の代から始められた「畳屋さん」を、やってみたいという気持ちになったことはありましたが。

一から今のお店をつくりあげたお父様は、自分にも他人にも厳しい方だったため、Oさんには「反発心」が芽生えてしまい、気持ちが自然と離れていってしまいました。

強い思いのないまま大学生の時に

「とりあえず」

という感覚で教員を目指していきます。


◯今の仕事に就いたきっかけ

「職場環境が変わり嫌だった」


大学で教員課程を修了し、教員採用試験を受験します。

今は各地域で教員が不足していますが、Oさんの時はなかなかの倍率。

愛知県の試験は特に面接が重視されていて、その「集団面接」でOさんはつい個性を出してしまいました。

その結果、不合格。

予想はしていたため、来年度にもう一度挑戦することを決めていました。

しかし、心配した大学の先生が職を紹介してくれます。

断る訳にもいかず、紹介して頂いた所に就職していきます。

その後10年以上勤務していたことを思うと、Oさんに合っていた仕事だったのかもしれません。

大手自動車メーカーと取引関係のある会社。

10年の年月の中で、取引していた大手の自動車メーカーも、経営危機になっていきました。

経営を立て直すため、海外から社長を招き、外部委託していたものを全て自社で行うことを決定していきます。

その決定によって関係各所、様々な面で調整する必要があるのですが…

そこが日本人の人情派の経営者と海外の方の違うところ。

決定後は、すぐに行動へと移されてしまいます。

合理的になり過ぎてしまった経済において、「育てる」ことよりも「生み出す」ことを優先されるのかもしれません。

Oさんもその決定に影響を受けた一人。

同僚の方たちは退職の道を選んだりしていました。

Oさんは、部署異動。

今まで自動車の設計を担当していましたが、やったこともないような設計の部署に。

後輩をフォローしたり、支援したり…

そんな立場が突然、フォローされる側に。

支援される側に。

新入社員とは違い、「分からないこと」を「分からない」と言うには、とてつもない勇気を必要としてしまう経歴があります。

グッと堪えて。

とりあえず耐えます。

会社が変わって行こうと、耐え続けます。

面白くなくても、仕事だからと耐えます。

やりがいを感じなくても、仕事だからと耐えます。

自分を誤魔化し続けながら…

でも、それは楽しくなくて、笑えなくなっていて。

一度きりの人生で、無駄な時間なんてないはずなのに…

様々なことが頭をよぎります。

自分を誤魔化すことに耐えきれなくなって、ついに退職します。

ずっと心にあった「畳」を出発地とするために。

厳しいお父様とも、今なら衝突することなく過ごせる気がします。

でも奥様には会社に辞表を出してからの報告。

自分が責任を持って取り組むから。

自分の決意を揺るがせたくないから。


昔からお仕事の様子は見ていても、しっかりと学ぶ機会はありませんでした。

お父様に教えてもらおうとすれば、以前より丸くなったとはいえ、やはりすぐに衝突してしまいます。

だから他の所へ修行し、技術を学んでいきます。

もっともっと技術を高めるために今も学び続けています。

畳の技術を競う大会で優秀な成績を納めていても

「40歳で始めるには遅すぎた」

と笑顔でおっしゃっていました。


他の所で働いたからこそ、気付ける家業の大切さや畳の魅力。

いつだって始められるし、いつだって新たな道を切り拓くことはできます。

やれないこと、やらないことの言い訳はいくらでも作り上げることができてしまいます。

自分がどうしたいか!?

自分はどうありたいか!?

決めるのは「自分自身」。

自分の決意と努力さえあれば。

Oさんの背中は、それを教えてくれている気がしました。


◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか

「ここへ来る」


お客さんに畳を届け喜んでもらえることが、やりがいを感じる瞬間だそうです。

ご高齢のおばあさまが、ご自分の年金を貯めて畳の張り替えを依頼してきました。

畳を取りに伺う時、部屋をキレイにして下さっていることに気づきます。

「タンスを動かせなくてすみません」

できることは最大限やって下さっていて、できなかったことを申し訳なさそうにおっしゃるその姿に、

「大丈夫。全部やっておくから」

おばあさまの想いを、全人全霊応えて、畳に気持ちを込めていきます。

おばあさまの喜ぶ顔を思い描きながら。

それが仕事への流儀で、畳職人としての誇りです。


◯落ち込んだ時、どう乗り切るか

「一晩寝て、戻る」


ご実家を継ぐ時に、想像していた収益とは違っていて、会社勤めでは悩む必要のなかったことに時間を割いていきます。

年に何度も畳の張り替えをするご家庭があるわけではありません。

フローリングの家が増えていく一方で、ハウスメーカーからの依頼はあっても、施主さんの予算の関係上、赤字になることだってあります。

「どうしよう」

と言ってられないから、先手先手で考えていきます。

しっかり考えるためにも睡眠は大切です。


◯発達個性を持った子どもたちへのエール

「何かやろうよ」


学校現場では「あれはダメ」「これはダメ」が多過ぎるように感じると、お子さんが学校に通っている時に感じたそうです。

何か挑戦しようと思っても、「どうせ」という言葉が出てきてしまいます。

次第にそれはやらないための言い訳になっていき、考えることすらしなくなってしまいます。

Oさんは私たちに投げかけてくれました。


「何かやろう

とりあえず、畳100枚あったら何したい?」


それがOさんの言葉。

しっかり答えていきたい言葉。


◯インタビューをして

いつしか人工知能やロボットに抗おうせず、それらに合わせるように未来を考えるようになってしまった現代。

人工知能の技術が進んだのか!?

我々人間の考える力が衰えてしまったのか!?

人間が利便性を求め、快適な生活を送る一方で、できなくなっていった事は増え続けています。

やれないことが増えていく人間の文明は、果たして進んでいるといえるのでしょうか。


畳の縫い方では、手縫いの技術があります。

今ではそれを見極められる人は少なくなってきたそうです。

文化、文明に利便性は求められません。

かけた時間と想いが価値を生み出します。

その想いに気づける人間でありたい。

藺草(いぐさ)の香りをいつまでも見極められる人間でいたい。


心の筋トレ部

教員であり公認心理師である片野とさとぶーが「心の筋トレ」を実務で実践させていただいています✨皆さんの自己免疫力💪を上げ‼️予病に貢献できるよう、情報発信していきます✨

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