100人のプロの57人目のプロ‼️

伝統工芸を体験させてあげたい。


インタビューをさせて頂くようになって、教員である私は子どもたちを前に、そう強く感じるようになっていました。

子どもたちの「伝統」に触れる機会は皆無とも言える現代において、伝統工芸は敷居が高く、縁遠いもののように感じています。

だからこそ、学校で。

しかしながら、企画を試みても思うように進めることができません。

それは教育委員会であったり、各学校の許可であったり…

様々なところへの説明を通して、様々な許可を必要としていきます。

別のある会議である先生がこう言いました。

「そのことは前例はあるのですか?」

自分が一番に行っていくことをしようとはしない発言。

やるか!?

やらないか!?

ではなく、前例があるか、ないかで物事が判断されていく。

学校はそういうところです。

前例がなければ、何も進みません。

もちろん、そういった環境下にあっても果敢に挑戦をし、子どもたちのためにと行動する先生たちもいます。

しかし今回の企画では、私にその力が足りていませんでした。

多くの問題を解決し、それでも立ち向かう力が。


伝統工芸の体験を企画したものの、大変な道のりに断念してしまっていた時、ある方に背中を押されます。

できないことの言い訳をしている私の言葉は居た堪れなくなるような情熱で、私の背中を押します。

「一緒にやろう!」

ワクワクした声色に、圧倒されながら。

私たちを圧倒したのは、名古屋仏壇の「蒔絵のプロ」長﨑さん。

インタビューさせて頂きました。

長﨑さんの飼われている秋田犬が、緊張した私たちをほぐし、じっくりお話を伺うことができました。


◯子どもの頃の夢

「やりたくないな。…でも勉強もしたくない」


お父様も蒔絵師として活躍をしていました。

自然と後継ぎとしての存在として認知されていきます。

特段、何かになりたいという気持ちもありませんでした。

しかし、中学を卒業してすぐに家業に入ることは…

避けたい思いがあったそうです。


◯今の仕事に就いたきっかけ

「人一倍努力をしてそれを繰り返して、高校、大学へとやっていくのが辛く感じた。

他に何か自分が活躍するためには!?…」


重要無形文化財として指定されている「蒔絵」ですが、歴史は奈良時代まで遡ります。

千年以上も昔から引き継がれている技術。

漆器に加飾していく代表的な技法の一つです。

漆で絵などを描いた後、金や銀の粉で「蒔」くことで装飾され「絵」になっていきます。

長﨑さんが学生の頃は

「とにかく金色がついていればいいから」

と言われるほどに注文が殺到していました。

まだ学生として過ごしたかった長﨑さんは、とりあえず高校へ進学したいとお父様に申し出ます。

記憶力がズバ抜けて高かったことから、担任の先生も

「進学しないのは勿体無い」

と考え、同じように説得してくれたそうです。


「勉強が嫌だった」

と教えて下さった時、勉強が苦手なのかと思っていたのですが…

そうではありませんでした。

当時の担任の先生は、

「あなたはどの高校でも好きなところへ行けますよ」

と言って下さったほど。

しかし…友人は自分より勉強していないのに、いい成績を取っていきます。

その姿を見て…

「自分は勉強が向いていないんだろう」

と感じます。

この話を

「過去のことしか自慢できないから言うのだけど…」

と謙遜を交えながら、根掘り葉掘り聞く私たちに教えて下さいました。


卒業後は就職する人が多いであろうということもあって、商業高校へ進学します。

高校の3年間が終わったら、自分の就職先は決まっています。

そう思うと「今」を楽しまずにはいられません。

大学を目指している人や、いい会社を!と思っている人たちもいましたが…

長﨑さんは、卒業ができるレベルで過ごしていきます。

部活は陸上やバレーを。

思う存分に過ごした高校生活が「一番楽しかった」と振り返ります。


卒業後はお父様のもとで修行をしていきます。

しかし、実際に描かかなければ腕は磨かれていきません。

なので簡単なものから積極的に取り組んでいきます。

依頼はひっきりなしに来るので、技術の腕も次第に磨かれていきます。


昔の住宅は8畳の部屋が4つあり、それぞれの戸を外して大きな広間として冠婚葬祭もできるという造りが主流でした。

その中の一つの部屋が必ず「仏間」として活用されており、

「広い部屋には大きな仏壇を置かなくては」

という流れもあって、質素にすることは恥ずかしいものでした。

お仏壇を買う側は、田んぼを売りそのお金で家を建て、余剰分でお仏壇を購入するというサイクル。

高額のお仏壇であっても、賄うことができていた時代。


伝統工芸のすごいところは、何年経っても修理ができるというところ。

使い捨てではなく、大切に引き継いでいくことができます。

長﨑さんも「蒔絵」の修理を受けていきます。

修理をしていると…自分の大先輩の絵に出会うことがあります。


「うまいなぁ」


蒔絵師として感心することもあれば


「これは…」


というものもあるそうです。

中には…


「なんだこの絵は」


と思ったものもあったそうで、よくよく見ると、自分の昔の作品との再会だったり。


時代は変わり、お仏壇の需要は減ってきても

「腕が鈍るから」

と練習することは怠りません。

長﨑さんにとって、勉強に代わる「自分が活躍できる場」が「蒔絵」でした。

常に磨き続け、新たなる「蒔絵」の可能性を模索し続けます。


◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか

「考えられない」


人生に「もしも」ということはありませんが…

得意な記憶力を活かして、大学へ進学をしていたのなら、また、別の人生が待っていたのかもしれません。

会社に入社して、定年になったら退職して…

でも長﨑さんはその別の道を羨ましく思っていませんでした。

選択した今の道が、最高の選択だったのだと思います。

そして、これからも「最高だ」と納得できる行動をし続けていきます。

そんな情熱を感じました。


◯落ち込んだ時、どう乗り切るか

「我慢する」


仕事が減ったら収入が減ります。

「収入が減ったなら支出を減らすだけ」

そう考えるそうです。

私たちがインタビューのお願いの電話をした際、

「続いていかない職業だけど…」

とご自身のお仕事の未来に、期待をしていない様子でした。

家の造り方は変わり、お仏壇だけでなくお墓も

「遺族に迷惑をかけたくないから」

とやめていく人が増えてきている昨今。

その影響は受けていきます。


しかし、不思議と長﨑さんとの会話は…

「ダメだ」という言葉に説得力がなく、

「諦めている」という姿と正反対に、眼力があります。

自分の子どものような愛犬たちを

「支えるぞ!」

という気持ちが強いとおっしゃいました。

原動力は愛犬たちなのかもしれません。

長﨑さんの更なる本領発揮はこれからです。


◯発達個性を持った子どもたちへのエール

「どこか飛び抜けているから。

ここが見つけられたらいい。」


みんな揃っているわけじゃないのに、「健常者」と呼ばれることに違和感を覚える長﨑さん。

特別支援学校などの体験教室を開催したことがあるそうです。

そこでは最初「興味ない」というような態度を取られるのですが、次第に一生懸命に取り組まれる姿に、学ばされたものがあったと言います。


千年以上も続いてきた技術。

ただ、同じように千年を過ごしてきたわけではありません。

その時代に合わせ生活の中で継承されてきました。

試行錯誤しながら、様々な取り組みをしながら…

それが1000年以上も必要とされてきた技術なんです。

 

◯インタビューをして

長﨑さんは「蒔絵」の新しい道を探しておられます。

模索しながら挑戦を続けます。

「蒔絵」の固定概念が強くあるのは、もしかしたら私たちなのかもしれません。

技術者の変化についていけるか!?

これは私たちに問われているような。


私は子どもたちの体験を断念してしまっていました。

できない言い訳を並べてみるものの、長﨑さんからは別の道を提案され続けます。

「できないことの言い訳をする時間」も、「できるために模索する時間」も同じように与えられています。

無限に時間があるわけではありません。

チャンスが常に存在するわけではありません。

この瞬間を逃せば、同じチャンスは二度と巡り会うことはできません。

過ぎ去ってしまったチャンスを、羨ましそうに回想して過ごす時間はもったいない。

あっという間に時間は過ぎていきます。

あっという間に1秒は過ぎていきます。

その1秒1秒は重なって86,400秒という1日が過ぎようとしています。

どうでもいい日なんてありません。

自分の持ち味や譲れないものをしっかりと誤魔化さずに歩み続けたい。

自信を失っている時間より、自信をつけていく時間にしたい。

長﨑さんが気づかせて下さったこと。


今日は残り何秒残ってますか?


心の筋トレ部

教員であり公認心理師である片野とさとぶーが「心の筋トレ」を実務で実践させていただいています✨皆さんの自己免疫力💪を上げ‼️予病に貢献できるよう、情報発信していきます✨

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