100人のプロの58人目のプロ‼️
ヒュ〜っと長い枝。
ちょこっと可愛らしく芽吹いた花。
その花に雨水を垂らすかのような葉。
葉の上には凛と構える蕾。
それぞれが特徴的で。
でも調和されていて。
煌びやかであって、派手ではない。
詫びも寂びも存在するその花器から広がる世界。
私が花瓶でお花を飾る時、キレイな満開の花を選び、高さを揃え、種類を揃え、色を揃えます。
しかし、いつ見てもどの角度で見ても変わり映えのしないその姿は、造花との違いは何なのか!?と問われます。
花瓶の花たちは一輪一輪の命を宿しています。
本来であればそれぞれに特徴があるはずなのに。
特徴や個性を失わせ、インテリアの一部にさせてしまっていたのは、私自身。
その気づきを下さったのは、「華道家元池坊のプロ」藤井さん。
私たちの無理なお願いに「華道家元池坊」の窓口になって下さった方が、藤井さんを紹介して下さいます。
いつもプロの方々や繋いでくださる方々は本当に温かい。
怪しい勧誘や、詐欺の犯罪が横行しているように感じる昨今。
人と人とのつながりに警戒心を抱きながら接することが増えてしまう中で、
「子どもたちのために」
と力を貸して頂けることに、ただただ胸が熱くなります。
今回、窓口になって下さった方から、
「ひとりひとりのチカラが大きなチカラになる」
と、温かな心にさせる言葉を頂きました。
沢山の気づきを頂いた時間を、この文章で表現することができたら…
そんなおこがましい気持ちで、想いを記していきます。
◯子どもの頃の夢
「なかった」
九州の大分県でお寺の長男として生を受けます。
お寺は歴史があり、藤井さんの代で「16代目」。
由緒あるお寺で、その街の中心的存在でもあるので、
「若(わか)さん!」
と親しみを込めて呼ばれていました。
中学生の頃には、必要なお経は本無しで言えるようになり、門徒さんのところにも一人で訪問するようになっていきました。
自分の人生のビジョンはすでに用意されています。
それは「安泰」である一方で、「自由」への憧れも芽生えていきます。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「お花は共通言語」
お寺の住職になるため、本山の大学がある京都へ。
地元では
「お寺の若さん」
「お寺の藤井さん」
どこにいても自分のことを知っている方たちばかりだったのに対し、京都では自分を知る人はいません。
少しの間、「16代目」という責任を、置いて行ける場所でした。
本山の大学では、自分と同じように責任ある後継者の人たちばかり。
自然と意気投合していきます。
限られた4年というあっという間な時間を、目一杯に謳歌していきます。
4年後はさらに僧侶としての知識を身につけるため、お経の専門の学校へ。
京都に来て5年が経とうとしています。
故郷に比べ、京都は大都会。
京都を離れるのは、名残惜しい気持ちに。
かといって…
更に勉強する気持ちにもなれず、、、
だからといって…
ただ京都に居続ける大義名分もなく、、、
そんな中、たまたまマンションの1階にあったタウンページをパラパラと見始めます。
あるページに目が止まります。
「華道教室」
お花は実家でもお祖母様やお母様が生けていました。
お寺でも大切な仕事になってきます。
自分の中で大義名分が…
「もう少し、京都にいることができるのでは!?」
開いたページの一番上にあった華道教室は、今住んでいる所から近所。
ご両親に相談し、許可を頂きます。
もちろん家業も大切なので、金曜日の夜に大分へ帰り、法事などを行い、日曜日の夜には京都へ戻るという生活をしていきます。
華道教室では男性は藤井さんくらいで、女性の方々ばかり。
最初は、
「選択を間違えたかな」
と思ったそうですが、皆が和やかに温かく迎え入れてくれたことで、落ち着ける場所になっていきました。
また華道教室の生徒さんたちが、ご実家の門徒さんたちと同じくらいの世代だったことが、居心地の良さにつながっていました。
お墓やお仏壇に行けばお花が生けてあります。
「なぜお花が生けてあるのでしょうか?」
当たり前のように感じていた日常。
私は亡くなった方のためだけにあるものだと思い込んでいました。
敬老の日、命日の日、お盆やお正月。
生きていれば、好きだったお酒を。
好きだった喫茶店のコーヒーチケットや、温泉の回数券を。
お供えしても、飲めないから。
どうぞと渡しても、回数券は減っていかないから。
だからお花をお供えする。
そう考えていました。
色鮮やかなカーネーションが好きではないといっていた、祖母の命日には、カーネーションをなるべく避けてお供えします。
お花に興味があったか分からない祖父には、「豪華だな〜」と喜んでもらえるかもしれないユリをお供えします。
祖父たちは、なんて言ってるか分からないですが…
お墓参りした時は不思議と、心が「ス〜」っとします。
亡くなった悲しみが、徐々に、徐々にキレイな花で癒されていきます。
花の香りに意識が向くようになったのは、亡くなってどれくらい経った時だったでしょうか。
その香りを祖父も祖母も香っているのではないか。
そんな想像をしながら、亡くした悲しみは、過ごしてきた思い出に励まされるようになっていきます。
お花を生けるのは、遺族の心のケアとしての役割もあったそうです。
お花を必要としていたのは、私でした。
気づかないうちに、昔からの風習が私を癒してくれていました。
「生けるだけではダメ。何のために生けるかを思って生けなさい」
恩師に教えて頂いた言葉だそうです。
お花の持つ力に藤井さんも惹かれ、恩師の勧めで専門的に華道を学校で学んでいきます。
4年間学んだのち、ご実家に戻り副住職として家業に専念していきます。
せっかく学んだ華道を「お稽古」として生徒さんたちのために教えていきます。
お花は「命を飾る」こと。
命を大切にすることを伝えるために大切な手段となっていきます。
副住職として過ごしていたある時、台湾でのお花の万博が開催されることを知りました。
その万博では、日本の中で唯一「池坊」が招待されていました。
その際のスタッフが募集されていました。
せっかくだから…と応募したところ選ばれます。
そして、池坊のスタッフとして台湾へ。
親日として有名な台湾ですが、文化や言語はもちろん違います。
なのに、「華道」を交えることで、そこには「人」と「人」との交流になっていきます。
言葉を介さずとも、心を通わせたことを藤井さんは、実感します。
その神秘的な瞬間に魅了されていきました。
家業を思う気持ちは大切に抱きながらも、同時に「華道」に魅了されている中途半端な自分が、お寺の門徒さんたちに失礼ではないかと感じるようになっていきました。
このまま自分が16代目を継いでいいのか!?
一度ご家族と真剣にお話をすることになりました。
ご家族だけの問題ではないことから門徒代表の方々も交えます。
16代目として期待していただけに、心の中では反対だったと思いますが、了承を頂きました。
お寺のことも、門徒さんのことも、家族のことも大切に考えているからこそ、まっすぐに向き合います。
話し合いの場は誰かを責めて解決するものではありません。
妥協のできない空気が部屋を敷き詰めます。
この問題は藤井さんの弟さんが救っていきます。
他の寺院で勤務していた弟さんは、
「お寺で生活をしていきたい」
という思いがあり、そのことをお父様に相談していました。
タイミングが重なるということの奇跡。
この奇跡を藤井さんは当たり前とせず、今、華道家として過ごす軌跡を感謝の心で私たちに教えて下さいました。
このお話を伺ってからの恩師の言葉には、より深いものを感じます。
「生けるだけではダメ。何のために生けるかを思って生けなさい」
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「ゆっくり田舎で農業したい。海の近いところで」
講習会や講演会で日本全国をはじめ、世界に活動の場を広げる藤井さん。
「華道家元池坊」の代表者として公演をしていきます。
「華道家元池坊」は室町時代から続く「いけばな」の根源。
「いけばな」の発祥の地は京都の六角堂。
六角堂自体は聖徳太子が創建したお寺です。
あの遣隋使として教科書にも出てくる小野妹子は、出家してこちらに入ったと言われています。
やりがいを感じる一方で、歴史を背負い、責任を抱きます。
プレッシャーを感じ、2、3日前から食事が喉を通らないことや、なかなか良い睡眠を確保することができません。
「失敗してはいけない」
「池坊の看板に傷をつけてはいけない」
華道の「おもしろい」「楽しい」だけではない部分と触れ合っていきます。
そんなプレッシャーの中で、心の癒しは「海の見える場所」で、「のどかな生活」が連想されます。
ちょうど故郷の大分県は海に面した県。
故郷の原風景が自分の原点なのかもしれません。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「寝る。美味しいものを食べる」
プレッシャーの高い講演会。
それが無事済んだ時に飲むビールは格別だと言います。
自分へのご褒美として、ちょっと高級なご飯を買ってみたり。
ストレスを溜めないよう、ちょっとした工夫。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「あなたならどちらを選びますか?
池坊の関係者なら断然…こっちを選びます。
…
今のフィールドでは活躍できなくても、
他のフィールドでは活躍できる」
藤井さんは水につけてある花や木の器を、私たちの前に持ってきてくれました。
まっすぐで新鮮そうな茎の花と、二股に曲がっていて、片方の短い方は枯れかかっているような花を持って、私たちに問います。
「どちらを選びますか?」
そう言いながらコーヒーカップを花器に、私たちの想いを汲みながらお花を生けて下さいました。
食い入るようにみる私たちを和ませながら。
枯れた木は「冬」を表現するためなどに使用されるとか。
30cmくらいのものが、一本3,000円するそうです。
私は枯れ木を剪定して、すぐに捨ててしまいます。
そのものを「美」として意識することすらしませんでした。
同じものであっても、それを生かせる人と生かせない人。
「価値がない」とするのは、その人自身に価値を見出す能力が「ない」のかもしれません。
まっすぐな茎をした花は、ある程度のところでカットし、藤井さんの手によって少し曲げられます。
それを専門用語では「ためる」と言うそうです。
それぞれの花が持っている異なった個性を、それぞれ調和させながら、それぞれが生かされていきます。
「霞草(かすみそう)」は沢山の花をつけますが、「ナデシコ」ほど大きな花をつけません。
「ナデシコ」はキレイな淡い花を咲かせ、細長い葉をつけますが、「ナルコユリ」ほど大きな葉はありません。
それぞれがそれぞれに魅力があって、欠かすことのできない役目があります。
霞草に「なぜ葉っぱをつけないんだ!」と言ったことはありますか?
もし霞草に大きな葉をつけてしまっては台無しです。
人も一緒なのかもしれません。
誰かではなく、自分にしかないものを見つけて下さい。
そして、それを自分の魅力に変えていって下さい。
次第にそれは、自分の持ち味として「自信」に変わっていきます。
必ず。
◯インタビューをして
それは真実なのか!?
それは本音なのか!?
時として、その本人すら自分の言葉や感情が「本当」なのか「真実」なのか分からないことがあります。
結果だけをみて判断されることや、判断することがあります。
でもそこに到達するまでに、その出来事になるまでには様々な経緯があります。
一つ一つの出来事があって、重なって「今」があります。
庭に大きな大きな紫色のバラの花が咲きました。
その花を見た人は「きれい」と声を漏らします。
しかし、誰がどんなふうに育てたかを話すと、その声は「すごい」に変わります。
人にも植物にも、「今」の前に過去があります。
その過去の一つ一つが「今」をつくりあげています。
生けて頂いたお花にふたつの蕾がありました。
託して下さった思いを、一人でも多くの方々に届けたい。
希望の蕾が花開くその瞬間まで。
力一杯に「今」を過ごします。
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