100人のプロの63人目のプロ‼️
争えば「戦争」。
挑めば「挑戦」。
同じ漢字であっても、扱われ方は全く異なります。
「戦」
は令和4年を表す代表的な漢字となりました。
12月12日(いい字一字)は日本漢字能力検定協会が制定した「漢字の日」。
京都府の清水寺で貫主様は、その協会が募集し選ばれた漢字を書きます。
漢字を知らされるのは、発表の2時間前。
発表と同時に公表されるため、決定した字の練習を行うことはできません。
イメージしながら、その2時間を待ちます。
4ヶ月後には、今年の漢字で一年を振り返ります。
「まだ8月だ」
と思っていた私は、4ヶ月後には年末を迎えるという事実に、少し焦りを感じます。
新年最初に立てた目標を、まだ実現できていない自分がいることに気づきます。
気が早い“ひぐらし”に、「ちょっと早いんじゃないか?」と心の中で問いかけたり。
5時の目覚めに眩しさを感じていた日々に、最近は夜明け前を感じたり。
田畑を見渡せば隠れていた赤とんぼが姿を見せ始めます。
気づけば季節の移り変わり。
意識し始め周りを見渡せば、途端に植物たちが秋を教えてくれています。
「見ているものは私の意識。見えていないのならそれは“ない”のではなく、意識がないんです」
日が経てば経つほどに、実感するこのお言葉。
贈って下さったのは、「清水寺のプロ」森さんです。
とても優しく。
とても力強く。
沢山のメッセージを頂きました。
◯子どもの頃の夢
「乗り物の運転手」
日本が敗戦を迎えたその年、森さんは5歳でした。
日本中が戦争の大きな傷を負っていた頃。
今では当たり前に存在する、教科書やノートや消しゴムや…
そのほとんどのものがなかった時代。
電車やバスは多くの人やものを乗せて目的地に送り届けます。
その光景が憧れのものになっていきました。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「戦後の大変な時だったから」
森さんのお父様は京都伝統工芸の伸子張の職人さんでした。
今ではなかなか聞き馴染みのない伸子張。
織物を漂白し、染色し、仕上げの時に幅を調整します。
調整する際は、竹製の細い“伸子”を使って幅出しを行います。
お父様は京仏壇に欠かせない織物の工程を担っていました。
心のよりどころとしてのお仏壇。
しかし戦争はそんな人々の生活を一変させ、一人一人の心のゆとりを奪っていきました。
それは戦争が終わっても、皆の生活はなかなか戻らず、心のゆとりは失ったまま。
生活の質を向上することよりも
「生きる」
を優先にした時代でもありました。
その時代にあって、お仏壇を求める人は少なくなっていきます。
日本の伝統的な技術は失われていきます。
影響を受けた森家の収入は減っていき、生活に厳しさを否が応でも痛感していきます。
「子のために」
自分よりも子どもを優先に考える当時の親たち。
それでも満足に食事を与えることのできないことに、どんな思いで親たちは過ごしていたでしょうか。
計り知ることはできません。
森さんのご両親は、森さんを清水寺の「小僧」として送り出すことを決意します。
お父様は当時の清水寺貫主大西良慶さんと親しい間柄。
そのご縁もあっての決断。
森さんはお母様に、
「清水に行ったら、沢山食べられるし、服もあるんだよ」
と言われ、大きな清水焼のお碗を渡されたそうです。
“なんでこんな大きなお碗を渡したのだろうか”
と不思議に思いながらも、沢山食べられることに喜びを感じ、嫌な思いもせず小僧として過ごしていったそうです。
小僧になるのは森さんだけではありません。
森さんは何人もいる中の一人です。
ある時、師匠である大西良慶さんに話しかけられます。
大きなお碗についてでした。
「その大きな碗はな、お前がいっぱい食べるから。
みんなの前で何度もおかわりしなくてもいいように。
そういうことだぞ」
優しいお母様の心に、胸が熱くなります。
“そんなことを考えてくれていたのか”
母の心に気づけたのは、師匠の言葉。
厳しい師匠。
でもその厳しさの中に優しさがあります。
親元を離れた森さんたちは、師匠から沢山のことを学びます。
師匠との時間は、かけがえのない学びの時間でした。
「書」の大切さ。
「絵」の大切さ。
「努力」の大切さ。
沢山のことを師匠の背中から、お姿から学んでいきます。
「書」は墨を磨るところから始まります。
元日の朝4時。
空気が澄み切って、音羽の滝の水も清らかな時間。
その若水を汲んでおき、墨に使います。
時間をかけて磨っていきます。
師匠に渡すと、師匠は更にご自分で磨り始めます。
小僧たちは力で磨ろうとするから、粒子が粗くなってしまっているそうです。
師匠の手が止まります。
満足のできる墨になったのでしょう。
しかし磨った後の硯(すずり)に蓋をします。
すぐには書かず、一呼吸置いていきます。
その時間に、紙を用意したり、筆を用意したり、気持ちを整えたり。
人も墨も、一呼吸を大切にしていきます。
森さんは師匠が書く時には、じっとそのお姿を見ていました。
字に込める想い。
字を書く時のリズム。
そばにいないと分かりません。
じっと。集中して。
「書」を通して学びます。
一つのこととの向き合い方。
ものの捉え方。
様々なことは、言葉を介さずとも教えられます。
同じ景色だったはずの景色。
子どもの頃には気づくことができなかったことも、大人になって初めてその価値や偉大さに気づき、学びます。
気づけるか。
気づけないか。
意識しなければ見えてくることはありません。
物事に価値のないものはありません。
価値に気づけないだけなのです。
師匠は、墨がなくなり硯に水を入れ筆を洗う時に出た水も、墨として「書」の練習を行うそうです。
紙はお菓子などを包む包装紙の裏を使います。
誰もが認める名筆家であっても、修練を怠ることはありませんでした。
そのお姿に森さんは感動し、自らの書として体現していきます。
先代の功績に恥じぬように。
歴代の貫主の歴史に甘えぬように。
自分がやるべきことを精一杯に。
35年以上も清水寺の貫主をやられている森さん。
先代の方々の心を大切にしながら、自らも努力を怠りません。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「陶芸の道」
清水寺の前の門前町には何軒もの伝統工芸のお店が立ち並びます。
「日本といえば」
そんな象徴的なものを販売しているお店が多く、日本人である私も欲しくなるものばかり。
観光に来ている方々と、お店の方々の気さくな声かけで、活気や温かい雰囲気のある通りです。
森さんが生まれ育った清水は、清水焼のふるさと。
門前町の方々とは小学校の頃から一緒でした。
近くで陶芸をやらせてもらっていたり、交流をとっていたり。
いつもお寺とともに歩んでいる町。
それが門前町です。
あれだけの人がいて、町にゴミが落ちていないのは、それぞれがそれぞれに意識をされているからこそできること。
一人一人を大切に想われているからこそ、一人一人が大切に想うのだと思います。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「字は一字書いたら一字手に入るんや!」
師匠に教えて頂いた言葉だそうです。
挫折しそうになったら、もう一度初心に返るそうです。
そして、また一から始めます。
一つ一つの積み重ねを怠りません。
努力するからこそ得られ、得られたからこそ努力の大切さを知ります。
簡単に得られたものは大切にはしません。
挫折したからこそ、乗り越えた時の喜びを感じます。
努力し続ける森さんのお姿に、私自身の未熟を痛感します。
◯未来ある子どもたちへのエール
「望みをもつ。
それに向かっていこうじゃないか」
「望み」には必ず明日があります。
でも、複雑な時代にあって、先の読みづらい時代にあって、
「望み」
をどうしたらもつことができるのか。
嫌われないように。
一人にならないように。
悪い成績をとらないように。
いい成績を取らなければ、いい高校に行けない。
いい高校に行けなければ、いい大学に行けない。
いい大学に行けなければ、いい就職先はない。
いい就職先に就職できなければ、人生は負け組。
だから、いい成績を取るために、宿題に時間をかけて。
宿題が多ければ、寝る時間を削って。
それでも間に合わなければ食べる時間を削って。
それでも間に合わなければ学校を休んで。
休んだことで、行きづらくなって。
行きづらいからもう少し休んで。
やるべきこと、やらなければいけないことはドンドン岩のような心の重荷になって。
「もういいや!」
と踏ん張ろうと思っても、立ち上がるだけの力が残ってなくて。
そんな状態にどんな
「望み」
があるのか。
…
それは
「生きている!」
“命がある”ということ。
こんな素晴らしいことがほかにあるでしょうか。
“それが、絶対的価値なんだ”
森さんはそうおっしゃいます。
『人身受け難し、
今すでに受く。
仏法聞き難し、
今すでに聞く。』
今、「生きている」ただそれだけでも奇跡が起きているということを、森さんの言葉で気付かされます。
◯インタビューをして
物事はどう捉えていくかで、解釈は異なっていきます。
同じ出来事でも、人によって、時間によって内容は変わってきます。
褒められていても、素直になれなかったり。
注意されると、嫌われているのだと解釈したり。
評価をされれば、次の評価を期待したり。
次の評価を得られなければ、自分をダメだと思い込んでしまったり。
自分の栄養となるはずの言葉が、自分にとって副作用を伴うものになってしまうのは、言葉を贈る側の配慮不足なのか。
はたまた、受け取る側に問題があるのか。
森さんは師匠との思い出を語る時に、とても懐かしそうな、穏やかな表情をされます。
師匠に唯一褒められたことがあったそうです。
それは“あん摩”でした。
「お前はあん摩がうまい!」
森さんは嬉しかったそうです。
一緒に地方へ行った際はよく師匠にマッサージ(あん摩)を。
その時間は師匠と二人で色々なお話をしていたそうです。
先輩たちと話している時、自分が“あん摩”を褒めてもらったことを伝えます。
すると、
「それは“褒めあん摩”だな」
と先輩たちは冷やかします。
「マッサージが上手だと言われれば、喜んでマッサージをするようになる。
だから褒めたんだ」
“褒めあん摩”の一言で師匠との時間も崩れてしまいそうです。
しかし、その話をする森さんの表情はどこまでも穏やかで、昔を懐かしむように語ります。
ご自分の手を見つめながら、
「“褒めあん摩”でもいいんです。
私の手の中に、師匠の温かみが残っていますから。
やった人にしか残らないもの」
褒められるか!?どうか!?
からかわれるか!?どうか!?
そうではなく、自分が満足しているか!?どうか!?
そこに変わらない価値があるのかもしれません。
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