100人のプロの65人目のプロ‼️
“千代の園酒造”
今回インタビューをさせて頂いたところです。
いつものようにインタビューのお電話。
まず出てくださったのは社長の娘さんでした。
こちらのお願いに快く、優しく対応して下さいました。
社長にインタビューをさせて頂いた時に教えてもらったのですが、娘さんは最初、酒造を継いでいく気持ちはなかったそうです。
ですが、熊本県の大きな地震の後、
「やる」
とおっしゃって帰って来て下さったそうです。
私が千代の園酒造さんを知ったのは、幻のお酒「産山村」の存在を知ったからでした。
熊本県に伺う機会があり、その場所が「産山村」だったことで、知りました。
「産山村」がなぜ幻のお酒か…
お酒の原料であるお米づくりにこだわりがあるからです。
産山酒米研究会の方が自然の力で育て、除草などは鯉の力を借りた“鯉農法”。
まさに、とっておきのお米なのです。
「産山村」は人気を集め、なかなか市場に出回らないほどに。
しかし…
どれだけいいお米をつくっても、お酒にするためには酒造りのプロがいなくては話は進みません。
酒造側としても、“自分たちでつくったお米をお酒にしてほしい”と言われても、なかなか快く引き受ける訳にはいきません。
労力やコスト、また在庫なども気になってくるところ…
そんな状況の中、
「面白いからやってみよう」
そうおっしゃった方がいます。
「酒造りのプロ」千代の園酒造の社長、本田さんです。
本田さんの
「やってみよう」
という言葉をきっかけに美味しいお酒がつくられ、それは産山村の誇りとなっていきました。
向かい風は向きを変えれば追い風に。
物事は捉え方一つで大きく変化していきます。
本田さんからエールを頂きました。
◯子どもの頃の夢
「パイロット、プロ野球選手…」
ボーッとしていた少年だったそうです。
小学生の頃は靴下履かず、冬は半袖でセーターは着たことがありません。
中学生の頃は3年間野球を続けていて、いつも夜遅くの帰宅。
周りからは「跡継ぎ」と言われていましたが、お父様からは特に言われていませんでした。
自由に興味を抱き、自由に物事を考えます。
でも根っこの部分では大切に家のことを。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「連続したものであるという認識」
大学への進学を選択する時がやってきます。
デザインも好きだったけど、具体的にデザイナーを意識したことはありませんでした。
無意識のところなのか、意識のところなのか、その間があればその間の部分なのかもしれないところで、本田さんは“酒造り”が自分の仕事であると感じていました。
地元熊本から少し離れた広島県は、醸造でも全国屈指の場所。
そこでみそや醤油などの技術的なことを学ぼうと、お父様に相談をします。
「醸造は継いでからでも学べる。醸造を知っているスタッフもいる」
そんな言葉をもらい、醸造などの直接的な関わりのある分野ではなく、経営や経済を学ぶ道を選んでいきます。
自然とそちらへ気持ちが向いていきます。
流れに任せて「意志なく進んだ道」ではありません。
納得するまで考えて、行動に移すまで考えて選んだ道。
他人任せという無責任ではなく、自分で選択するからこそ抱く責任を胸に。
最後は自分自身で決定していきます。
お父様はエンジニアでした。
次男だったため、長男さんが継ぐはずでした。
しかし、長男さんは戦争で亡くなられてしまったそうです。
だから、次男であるお父様が跡を継いでいきます。
自分が「やっていきたい!」と思っても、状況や環境や、様々なもののタイミングがはまっていかないと、継いでいくことはできません。
昨今、どんなに利益を出している会社であっても、跡を取っていく者がいないことはよく聞く話。
社会問題として取り上げられ、国家が対策に取り組んでいるほど。
「自由」
「権利」
「個人の尊重」
意識しなくても大切にしていた物事は、言葉だけが一人歩きし、私たちを縛る言葉に。
「家のために」
「会社のため」
「みんなのため」
こんな言葉たちは、隠れるかのように姿を消していきます。
「伝統」という価値を生み出している日本は、海外の個人主義の風潮に感化され、酒造りにおいても、蔵の名前よりも個人の名前がスポットを浴びるようになってきました。
家が代々繋げてきた心を、受け取ることのできる有り難さは、海外のそれには比べ物にならないほどの価値があります。
有り難さの中の苦難を前に出さない日本の風情。
大変さは売りにするものではなく、味への探究に使うもの。
誰がつくったとか、誰の作品とかではなく。
その一杯のお酒に至るまで、多くの真心が込められています。
継がなくては気づけない軌跡。
知らなければ気づけない価値。
周りと調和していく伝統の味を、本田さんは大切にしていきます。
自分は最終ではなく、「間」であるとおっしゃいます。
仕事は、やっているのではなく、
“やらさせて頂く”
そういうお気持ちでお仕事と向き合うようになっていきました。
だからこそ、新しい取組ができるのかもしれません。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「何もできそうにない」
令和3年度International Wine Challenge 本醸造部門 特別本醸造泰斗ブロンズ賞受賞
令和3年度ワイングラスでおいしい日本酒アワード2021 プレミアム大吟醸部門 大吟醸千代の園EXCEL金賞受賞
令和3年度KURA MASTER2021 純米酒部門 純米吟醸翼プラチナ賞受賞 …
ホームページに記載されているごくごく一部の受賞歴。
まだまだあります。
まだまだ続いていきます。
大会で記録を総なめした子どもたちは、その競技に自信を抱き、周りから注目をされます。
スポーツで全国大会に出場すれば、たとえ一回戦で敗退であろうと学校には横断幕が垂らされます。
全国に名を馳せれば、推薦枠を狙い高校進学へと進んでいきます。
賞にはそんな力があるのです。
しかし本田さんは、ご自分のことを
「プロだと思わない」
とおっしゃいます。
もっと上には上がいて、
“敵わない”
と思わせるお酒とも出会います。
品評会ではその出会いの連続だそうです。
でも…
そう思っている時の方が案外、いい結果だったり。
その反対に、「これは通る!」と思ってたりするものが、賞を取れなかったり。
様々な業種にはその道のプロたちがいて、そう考えると、「やってやろう!」と思うのではなく、「すごいなぁ」と感じるそうです。
その精神は、“諦め”ではなく、“学び”の精神のように感じました。
不安だからこそ努力をします。
自信がないから、不安だから、挑戦し続けられるのかも知れません。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「鈍いのかなぁ…
『さぁ、もういっぺん頑張ろう!やろう!』
という感じ」
何かあった時、
「どうしよう」
と困っているより
「どう対応するか!?」
を考えるそうです。
紛争が起きた地域のニュースを見て
「そこにいなくてよかった」
と感じたり、コロナ禍で出張を控えるようになった時は
「散歩ができる」
と行動していました。
ある時、ひょんなことから思いつき、お酒の栓をコルクにしてみたそうです。
今までとは風合いが違っていました。
お酒は生物。
空気の触れ方で味は変化していきます。
その発見に面白いと感じ、日本酒でもコルクを使ってみました。
今では店頭で見ることができないほどの人気商品。
思いついた時に、考えついた時に、行動ができるか!?
「よし!」
となった時の実行する力は、どんな苦難も一瞬に転機としてしまう力を秘めています。
待っているだけでは何も起こりません。
行動するから、光は見えてくるのです。
◯未来ある子どもたちへのエール
「笑顔を忘れずに」
安易なことを言いたくない。
失礼になるから。
自分に鼓舞する言葉として「頑張る」は使うが、相手に対して言いたくない。
「絆」という言葉は敢えて口に出して伝えたくない。
それらの言葉は上から目線のようになってしまう気がするから。
「平等」という言葉は、わざわざ取り上げて言いたくない。
差別する気がないから。
一つ一つの言葉を大切に丁寧に探しながら、考えてくださった言葉です。
「笑顔」
は本田さんのお酒造りの理念。
“飲んだ時に、笑顔になるお酒をつくりたい”
その思いでつくっていらっしゃいます。
あなたの笑顔を求めて。
まだ味を知らぬ子どもたちも、いつか笑い合って共に過ごす日を、心待ちにしています。
◯インタビューをして
熊本のお土産として、本田さんのところのお酒を頂きます。
つくり手の想いを知った上で、頂くことのできる贅沢。
ダイエットを気にして普段飲まない私も、日本酒の酵素の話を知り「健康のために」と飲みたくなって。
のどごしは気持ちよく、香りも爽やかで。
飲んだ後にジュワ〜と胸を温めます。
アルコールがそうさせているのか!?
はたまた…。
ちょっと陽気になって、いつも以上に笑いが増えたり、会話が増えたり。
若い時は、ただ雰囲気で酔っていたけど、今は一つ一つ味わいながら頂くことができるようになりました。
少しの量を、とても気持ちよく頂きます。
お酒を飲んでいる時は、不思議と携帯を見なくなって。
ちょっと場所を変えたりしたら、また味が変化しているような気になって。
月あかりに照らされたベランダで、心通う家族たちとお酒を飲みながら、
「先人も同じお酒を飲んだのかも知れない」
とロマンを語り、私が老いた後にまた同じお酒を飲み、
「今日を思い出すのかも知れない」
と今を愛おしく感じるとともに、何十年後にもこの味が残っている伝統の凄さを肌で感じた、幸せな時間を過ごしました。
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