100人のプロの75人目のプロ‼️
テレビをつければ世紀末のようにニュースが取り上げられ、キャスターの深刻な表情を見る毎日。
ネットを見れば、どんな出来事も批判的な表現を目にします。
「見なければいい」
確かにその通り。
しかし、なぜか手はリモコンを、指先はネットを開けさせます。
まるで手に、指に、自我があるかのように。
手にいれた情報で心がかさついてきます。
「今の時代は!」
と嘆いてみるものの、10年前から言っているような気がします。
職場では
ハラスメントに気を取られ
「頑張ろう!」
と掛け声をかけられなくなった者たちが、建前の笑顔で振る舞います。
嫌なことがあっても
“気にしてはいけない”
という風潮に流され、笑顔で振る舞います。
誰も、思っていることを吐き出さず、保険ばかりかけた会話が上滑りしていきます。
笑顔に溢れた職場は、なぜか寒い。
“「苦しいのは当たり前」を当たり前ではない社会を当たり前にしていきたい!”
そんな分かりにくい標語があるかのような時代。
“生きづらさ”を感じる方たちの声は、スポットを浴びているようで届いていない光の力。
なぜ、不登校の子どもたちは増え続け、自殺をする若者は減っていかないのでしょうか。
そんな時代。
そんな時代だからこそ、
“生きづらさ”
に焦点をあててくださっている方がいます。
「出版社のプロ」ぶどう社の市毛さんです。
「きれいごとを言えば、うちの本が当たり前すぎて売れなくなったらいいよね」
そんなふうにお話ししてくださいました。
ぶどう社は、様々な障害をテーマに、社会で生きづらさを感じている人たちのため、当事者向けの書籍を多数出版している会社です。
市毛さんはそこの編集長。
じっくりお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「小説家、舞台俳優」
卒業文集にはそう書いていました。
なりたいものがなかったから、こんなふうに未来を語ったら
“かっこいいんじゃないか!?”
そんなふうに思っていたそうです。
今思えば、子どもの頃は、学校、人間関係、宿題、様々なことに追われているような気持ちになり、
一日一日を過ごしていくのが精一杯だったように思います。
集団生活や連携が求められる部活動は苦手。
逆に一人で過ごすことは苦ではありませんでした。
一人でできるものを一人で。
自転車に乗ったり、サーフィンをしてみたり。
もがきながら、考えながら…
でも不器用に日々を過ごしていたそうです。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「大人になったから」
漢字をうまく書けない子に
「そんな漢字書いてたら大人になってから笑われるよ」
まだ見ぬ未来に、不安だけを募らせていきます。
小学校では
「中学校に行くために…」
中学校では
「高校に行くために…」
今を充分に過ごすためではなく、ただ未来のためにひたすら準備を進めます。
“目標”
と、希望に満ちた言葉を掲げ、絶えず誰もわからない未来のために頑張ります。
“何のために生きるのか!?”
この問いに小学生だった市毛さんは
「生きていても意味がない」
そんな答えを出していました。
嫌なことはずっと記憶に残ってしまう。
楽しいことはすぐに消えてしまう、これでは人生はマイナスだ。
それならば楽しいことをたくさんしていた方がいいじゃないか。
とにかく“楽しい”と思えることを優先。
遊んで、遊んで、遊んで!
何が楽しいのかと尋ねられても、はっきりと答えられないような状態。
それでも、楽しいことをとにかく優先させていきます。
20代になっても変わることはありません。
お父様がつくったぶどう社で、バイトを始めていきます。
熱い気持ちはありません。
遊ぶ時間も確保したかった。
親に守ってもらっていること、甘えても許されるということを、気づいていたにも関わらず気づかないフリをして過ごしていきます。
子どもという立場を利用して。
どんな時も、どんな姿であっても、味方でいてくれる親がいたから、
踏み外したりせずにいられました。
“どうしようもなくなってしまうこと”がないように、線引きすることができました。
市毛さんが30代の頃、お父様は体調を崩してしまいます。
いつまでも元気でいてくれているもの。
当たり前に元気でいてくれているもの。
子どもだからこそ、親に対してそう思います。
子どものままでいられなくなっていくのと同時に、一つ一つお父様の仕事を引き継ぎます。
それは、お父様の軌跡に触れ、別の一面に気づくきっかけにもなっていきました。
聞きたいこと、もっと教えて欲しいことは、まだまだ沢山あります。
しかしお父様は亡くなってしまいました。
別の仕事をしたいと思ったことは?の問いに、今までの仕事を全て投げ出して、「別のことを!」という気にはなれません。
“生きづらさ”を感じながら今を生きる方たちの生活は、今も続いているのです。
自分だけが簡単な道を選択することなんてできません。
それが市毛さんです。
今回、市毛さんから頂いた言葉を文字に起こし表現しようと試みるのですが、どうもうまく表現できません。
頂いた言葉は文字にできても、託された想いを文字にする力が私にはまだありません。
そのことが…
もどかしくて。
悔しくて。
どうしようもないくらいに、悔しくて。
伝えきれていないもどかしさが、私の頭をいっぱいにします。
インタビューの後、ドアを閉めた後にまで、私の胸に残る言葉の残像。
市毛さんは私に2冊の本を渡してくだいました。
まるで、私が置き忘れた荷物をそっと渡してくださるような仕草で、大切な本を託してくださいました。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「いい国の政治家」
しがらみもなく、変に気を遣うことのない国。
何か取り組もうとした時、国民も気持ちよく参加し、私利私欲のない国。
そんな国で、
“正しい”
と思われることを、ただまっすぐに取り組んでいく。
純粋で、思いやりあふれる政策ばかりが、国会では話されていく…
そんな理想的な国。
確かに惹かれます。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「落ち込まない」
本を出版すれば必ず厳しいコメントは寄せられます。
わざわざ何で書き込むのか!?
書き込んだ人の心になってみます。
厳しいコメントにはそこに至るまでの背景があるはず。
ぶどう社が出版する書籍は、“生きづらい”と感じる当事者の方たちへのメッセージです。
本はみんなにとっていいものにしたいと思う市毛さんには、厳しいコメントもまた大切なアドバイスなのです。
◯未来ある子どもたちへのエール
「“どうせ自分なんて”って言うのは、自分はもっとできると思っているからでは?
次のステップに行こう!」
できていない自分を見つめ、
「できていなくて当然!」
と思えないから、悔しくて、虚しくて、切なくて。
できていない自分。
やれていない自分。
それらを“当然”と受け止めるのではなく、
「どうせ自分なんて」
と自分を攻撃。
「どうせ」という自分に
「そうですよね。あなたには無理ですよね。」
と声を掛けられたら、より落ち込んだり、反発心が芽生えたりするのかもしれません。
それは、自分の心の奥底で“無理じゃない”と思っているからではないでしょうか。
市毛さんの深い言葉に、気づかされます。
まるで自分の本心に、スポットを当ててもらったような温かみを感じます。
◯インタビューをして
ネットには、「楽をしていい思いをしている人たち」
と感じる情報があふれています。
しかし、一部の情報を全てかのようにして、一括りにして判断。
実際は、とても努力をしている姿があるのかもしれません。
誰もが、見えないところで、当たり前のように努力をしている。
その視点を市毛さんから頂いた時、世の中の見え方は変わっていきます。
授業では伏せてばかりの子がいました。
「何とか起きて授業ができないものかなぁ」
と担任やその生徒に関わる先生たちは、口を揃えて発言します。
次第にその生徒は意識が高まり、起きた状態で授業を受けることができるように。
しかし、その時の姿勢が
「よくない!」
と次なる要求を先生たちははじめます。
底なしの桶のように。
誰にでも気持ちがあり、想いがあるはずなのに、ただやれていないことだけを見つめられます。
次から次へと“やれていないこと”を探されます。
実際、生徒の本心は先生たちが見ているものとは違います。
その生徒は私に言います。
「今を、もっと頑張りたい」と。
世の中はもっと単純で、もっと純粋なのかもしれません。
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