100人のプロの86人目のプロ‼️
太陽の光が月の灯りとなって、まるで木々が眠りにつくかのような時間。
今日どんなことがあったか、他愛のない会話をする私たち。
仕事から帰ってきた母が、帰宅中の車で流れていたラジオの話を始めます。
一人の人生の物語にスポットをあてた番組。
頭の固い私にとって、私の母の視点は大切な感性。
その発想、そのアイデアは私にはないものばかり。
学校に心理学の大切さを私に説いたのは母でした。
学校現場に“心理学”の知識は絶対であるはずなのに、当時の私は
「心理学なんて…何をいっているんだろう」
「現場のこと何もわかっていない」
そんな風に否定的に捉えていました。
そんな中、自信を持って話す母。
開かない訳にはいかず、試しに心理学の世界を覗いてみると…
まさに“目から鱗”。
今では86名のプロの方々にご協力していただいているインタビューも、きっかけは母でした。
「誰もあなたの話なんて聞きたいとは思わない」
という母の言葉に
「なんてことを言うのだろう」
と思ってはみますが…
実際、プロの方々から頂くエールは、子どもたちの心に火をつけ続けています。
その母が
「そういえば…」
と唐突にラジオの話をしたのだから、聞き流すわけにはいきません。
スポットがあたっていたのは、「靴磨き家」のプロ、長谷川裕也さん。
聞けば驚きの人生。
“ステキな方だなぁ”
と感じると同時に、直接お話を伺いたくなりました。
“ジンジャーブレットラテ”の美味しさに気づかせてくれた長谷川さん。
じっくりお話を伺いました。
◯子どもの頃の夢
「社長」
小学校1年生の時にご両親が離婚。
長谷川さん、お母様、妹さんの3人で生活することになりました。
“惨めな思いはさせたくない”
というお母様の思い。
離婚されてから定食屋さんを経営されます。
運動会、授業参観は欠かさず来てくれました。
学校に来てくださるお母様は少し派手なお洋服。
当時は珍しかった一人親という概念の中でブルーシートを敷き、一人待つお母様。
周りとは違うという思いが、長谷川さんを恥ずかしい気持ちにさせます。
一生懸命に頑張る母の背中。
こんな気持ちになる自分が嫌で、周りとの違いを取り残される「違い」ではなく、際立つ「違い」に意識を変えていきます。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「財布の中の2,000円」
“23歳で会社の社長になる”
ただ漠然と「みんなとは違う」を目指していた10代。
高校進学は
「簿記を持っていれば就職できる」
との思いから、商業高校へ進学し熱心に簿記の勉強。
その甲斐あって勉学は順調でした。
先生やお母様からは大学進学を勧められますが、
“早く働いて、早くお金を稼ぎたい”
を理由に就職を選択します。
しかし、なかなか条件の良い就職先はなく、大変な仕事の割に給料は安いところばかり。
限られた選択肢の中で、理想とは違う職場に身を置いていきます。
そんな中、仕事で知り合った知人は一生懸命に働いていました。
彼はワーキングホリデーを経験したことで、英語を話せるようになり、それを生かして「貿易会社を創りたい」という夢があったそうです。
そのキラキラした姿に、長谷川さんも海外で働きながら旅行するワーキングホリデーに憧れます。
さっそく英語の勉強をはじめた長谷川さん。
その時たまたま“英語教材を売る営業職”の求人広告が目に入りました。
「働きながら英語が学べる」と記載されている広告に、転職を決意します。
しかし、初めはなかなか成果を出すことはできませんでした。
お客さんへの説明まではうまくいくのですが、契約書へのサインまでには至らず…。
でも、試行錯誤しながら徐々に成果を出し始めます。
完全歩合制のその会社は、頑張れば頑張った分だけ自分の収入になります。
調子がいいと1週間で40万円の稼ぎになる時も。
いつしか、「ワーキングホリデー」という目標を忘れ、教材販売の面白さにはまっていきました。
ある時、職場の先輩にこんな話をされます。
「新しいスーツに身を包み気持ちよく歩いている。
昨夜の雨でできた水たまり。
そこに一台の車が横を通り過ぎる。
車の勢いで水がはね、その水をかぶり、ずぶ濡れになった。
君なら何を思う?」
長谷川さんは当たり前に答えます。
「嫌ですね〜」
すると先輩はこう言ったそうです。
「違うなぁ。
もう一着買える! だよ。」
先輩の発想に衝撃が走ります。
いつしかそんな捉え方も身についていき、成果は結果として残り、最年少での役職を手に入れることができてきました。
優秀な人にしかもらえないチームも与えられます。
しかし、常にいい成果を出せるとは限りません。
成績が振るわず、毎月の収入の変動も激しくなって…
全く稼ぎのない月もありました。
身の回りのものを少しずつ売りながら…
それでもままならない時は、寝入り端のお母様の財布からお金を借ります。
毎日1時や2時の帰宅。
成果を出すために休日も返上して働きます。
そんな姿を我慢できなくなったのはお母様でした。
長谷川さんの在宅の時間に合わせ帰宅します。
これまで何かを長谷川さんに意見したことはなかったお母様が、真剣に言葉を吐き出します。
「心配してるよ」
後ろめたさから会わないようにしていたのかもしれない長谷川さん。
でもその言葉は、重くて、いつまでも温かくて。
部屋に戻り、張り詰めた表情は次第に緩み始めます。
呼吸もままならないほどに涙は溢れ出し、声を出しながら、自分と向き合います。
「心配させてまで続ける仕事ではない」
無我夢中に数字を追い求めていた会社を、翌日には辞めていました。
次の仕事に求めるものは安定した収入の会社。
就職できるまでは日雇いでなんとかしのいでいきます。
毎日何かしらあった日雇いの仕事も、たまたま2日間空きができました。
何かできたらなと思うものの財布の中身は2,000円。
この2,000円でできることはないか…色々と考えます。
(椅子を用意して…。道具を用意して…。)
思いつくものは“肩揉み”と“靴磨き”。
肩揉みはよくあるけれど、靴磨きをしている人はそこまで見かけませんでした。
試しに“みんなとは違う”靴磨きをやってみることに。
でも一人では怖かったから、友人を誘って1回500円で駅に立ってみます。
初めてやってみた挑戦。
その成果は…1日で7,000円。
英語教材の営業とは違って、自分たちで“やりきった”という達成感がさらに価値をあげます。
アパレル関係の会社に就職が決まってからも、路上で靴磨きは続けることになりました。
街の景観を守るという理由で、50年以上も前から駅での靴磨きは許可がおりなくなっていました。
許可がおりなくても駅を変え、場所を変え、路上での靴磨きを続けます。
許可を手に入れることは、安心を手に入れること。
許可がないことで大変な思いを経験します。
反社の方から声をかけられるようになったり、警察の方から注意をされることがあったり。
中には執拗に目をつけ、路上でやっている姿を見かけると、必ず通報する人まで出てきました。
最終的には10人以上の人たちに囲まれ、訴訟の話までなりかけた時、長谷川さんは“路上靴磨き”の引退を宣言します。
23歳の出来事でした。
アパレルの会社も辞め人生をかけていた靴磨き。
「日本の足元に革命を起こす」
この言葉が長谷川さんのモットーでした。
モットーに相応しくあるために、店舗を構えます。
その店舗が『ブリフトアッシュ』。
世界初、カウンタースタイルの靴磨きのお店。
世界チャンピオンの“靴磨き家”長谷川さんがいるお店です。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「金融の仕事」
金融関係に勤めているお客さんが多くいらっしゃるとか。
靴を磨いている間、様々なお話をします。
お客さんにたくさんのことを学ぶ中で、金融の世界と自分の手仕事が真逆のように感じるそうです。
知らない世界を知っていきたいとする向上心は、代表になられてもなお、持ち続けています。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
「お酒を飲んで忘れる」
大好きなことで嫌なことを忘れる方法。
でも長谷川さんにお話を伺う中、大変なことや悩んだことが長谷川さんの糧になっているように感じました。
「いつか話すことがある時に、当時の資料を取ってあるんですよ」
そう話す長谷川さん。
今大変であっても、未来ではネタになります。
いつか大変な時を“ネタ”として紹介するその日のために。
今の努力はどんな物語を創り出すのか…そう考えると、なんかワクワクしてきます。
◯未来ある子どもたちへのエール
「自分に嘘をつかず、自分らしく。
とにかくチャレンジしてみて。
“できる”か“できない”かはチャレンジしてみないとわからない。」
“食わず嫌い”という言葉がある一方で、“食わず好き”という言葉がありません。
食べてみなければ、「好き」にはなれないからなのかも。
食材を食す方法には様々あり、そのまま食べるものや、焼いたり、煮たりして食べるものなど。
同じ食材であっても調理法を変えることで、より美味しく感じたり、香りを感じられるようになったり。
私たちが出会う出来事も同じように感じます。
“できない”は向き合う方法を変えてみることで、もしかすると今までとは違った結果になるかもしれません。
だから、まずはチャレンジを。
◯インタビューをして
どれほどお茶目なお話であっても、長谷川さんは相手への尊厳を大切にされる方でした。
コミュニケーションの高さとは、馴れ馴れしさではなく、敬意を持って接するかどうか。
そこなのだと思えてきます。
学校では徐々に“礼節”を古びた考えとする風潮があります。
あだ名で呼ばせる先生。
友だちのように関わる先生。
Tシャツで過ごす先生。
多様性な時代にそんな先生も認められるのかもしれません。
しかし、その姿は子どもたちの手本とはなりません。
義務教育の中で学んだその姿は、気づかないうちに子どもたちの習慣となり、人格となってしまいます。
敬語を話すことのできない子や、挨拶ができない子は増えてきました。
我々教師は、教育することを逃げてはいないだろうか。
子どもたちが一番目にする大人である教師。
子どもたちに教師はどう映っているのでしょうか。
教師の成り手が激減している昨今。
教師への人間的魅力が薄れているからなのかもしれません。
見つめなければならないのは、まずは、自らの足元なのだと感じます。
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