100人のプロの91人目のプロ‼️

表現していることが、本心とは限りません。

時に私たちは、自らの行為を正当化するために誤魔化したり、嘘をついたり…

自分でも分からなくなるほどに嘘は重ねられ、どんどん“真実”から遠ざかってしまいます。

加工された写真や動画が、まるで事実のように拡散される時代。

SNSでは「いいね」の数が、事実かどうかの判断材料になることも。

そんな世の中では、もはや“真実”は求められていないのかもしれません。

語りやすいように。

報じやすいように。

“真実”は少しずつ捻じ曲げられていきます。

「真実が曖昧な時代に、私たちは自分を偽り、上手に生きていくことが必要なのでしょうか」


―――


東映株式会社は2025年7月、新オフィスへ移転しました。

真新しく、快適そうな雰囲気のオフィス。

「新しいオフィスはどうですか?」と尋ねると…

「どこに行くにもこのセキュリティカードが必要で、不便なんですよ(笑)」

そう笑いながら答えてくださったのは、91人目「プロデューサーのプロ」、東映株式会社の和佐野健一さんです。


「子どもたちが笑っている世の中じゃないと意味がない。

 それが一番大切なことなんです」

そういって私たちのインタビューに応えてくださいました。


◯子どもの頃の夢

「具体的な夢は全くなかった」


小学校の頃から野球をしていたので「プロ野球選手」、学級委員長をしていたので「総理大臣」などと、思ってもいない、茶化した夢を語っていたとか。

「きっと、ただ単に大人になりたくなかっただけなんでしょうね(笑)」

ただ漠然と、今日という一日を楽しく過ごせればいい、そればかり考えていました。

◯今の仕事に就いたきっかけ

「好きなことに向き合ったこと」


高校は“文武両道”を掲げる厳しい学校で、

和佐野さんは野球部に所属。

甲子園を夢見て汗を流した3年の夏、

ようやく進路について考え始めます。

“自分がつくったもので人を楽しませたい”


そんな漠然とした思いはあったものの、具体的に何をするかまでは決めていませんでした。

理系だったため、建築や都市開発、宇宙開発…

「月まで行くエレベーターをつくる」

と冗談を言っては笑われていたそうです。

結局、学びたい学問も志望する大学も特にないまま、

「将来はいつか、誰かがどこかで決めてくれる」

そんな思いで大学生活がスタートします。

大学生活はとにかく楽しかったと振り返ります。

映画やドラマが好きだった和佐野さん。

昔の映画を観漁ったり、シナリオの勉強をしたり、仲間と映画を作ったりして過ごしていました。


和佐野さんの映画好きは、父の影響。

仕事人間だった父の帰宅は、いつも深夜。

翌朝7時にはまた出社する日々。

休日も仕事で、家にいることは少なかったそうです。

それでも、時間ができると映画館に連れて行ってくれました。

父が借りてきたビデオは、昔の名画を観るきっかけに。

子どもの頃は怖い存在だった父。

大人になってからは、よく一緒にお酒を飲んで、映画について語り合っていたとか。


楽しかった大学生活はあっという間に過ぎ、就職を考える時期に。

“ものをつくりたい”という漠然とした気持ちは変わりません。

ただ、医師免許のような、資格が必要な勉強はしたくない。

資格がいらなくて、ものづくりができる…

そうして浮かんだのが、「プロデューサー」という道でした。


就職活動をきっかけに、それまで“趣味”だった映画が、“選択肢”へと変わっていきました。

しかし、時は就職氷河期。

バブル経済が崩壊し、新卒採用を見送った企業が多かった時期。

映画業界もその渦中にありました。

そのうちの一つ、東映は、映画製作だけでなく、かつては球団経営、ボーリング場、タクシー会社や葬儀業まで幅広く事業を手掛けていました。

今でも、キャラクターショーや展覧会などの様々な事業も展開している会社です。

「挑戦して、ダメなら、逃げ足早く撤退する」

そんな会社のたくましい姿に、惹かれました。



その年の採用されたのはわずか6名。

ちなみに和佐野さんの一期上と下は採用ゼロ。

昨今の採用人数の約20名と比べると、どれほど狭き門であったかが分かります。


最初の配属はビデオ営業部。

希望していた“プロデューサー”の仕事ではない、それでもとても貴重な経験になったと和佐野さんは振り返ります。

「すべての経験に意味がある。

たくさん経験して、たくさん失敗したほうが、

きっと大きなことができる」


そうして入社5年目、念願のプロデューサーへ。

プロデューサーの仕事は多岐に渡ります。

企画を立て、脚本を作り、監督やキャストを決めて、

撮影、編集、宣伝。公開後も配信やDVD、海外での上映…

映画が存在する限り、プロデューサーの責任は続きます。


映画1本のプロジェクトに関わる人は1000人以上。

その中でプロデューサーは日々、あらゆる判断に迫られます。

プロジェクトを続けるのかやめるのか、この脚本でいいのか悪いのか…

誰かが決めてくれるわけではない。

面白いアイデアが空から降ってくるわけではない。


判断の拠り所はすべて、“自分の中にあるもの”だけ。

だから、がむしゃらにインプットし続けるしかない。

観た映画がアイデアの幅を広げ、失敗した経験が次の判断力を育てていく。


◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか

「宇宙飛行士」


夜が明るくなり、星を鮮明に見ることが難しくなりました。

その一方で、火星に生命が存在した可能性や、UFOの存在について国家機関が触れたりと、技術の進歩に伴って宇宙との“距離”が近づいてきました。

人類と地球の起源、和佐野さんの“宇宙”への興味は尽きません。


「でも結局、資格とりたくないとか言って、やっぱりプロデューサーやってるんでしょうね(笑)」


◯落ち込んだ時、どう乗り切るか

「気にしない」


和佐野さんが語る「気にしない」は、ただ単に無関心でいることではありません。

「落ち込まないように工夫している」と言います。


何をしても不満を持つ人はいる。

関わる人数が増えれば批判も増える。

そして人は、気分でモノを言う。


だからこそ、「気にしても仕方がない」

ただし、その中に自分の成長につながるヒントが隠れていることがある。

それをどう拾い上げて、自分の糧にするかが大切だと語ります。


「だって、落ち込んで一日過ごすなんて、その日がもったいないじゃないですか」

この感覚は、小学生の頃から変わっていません。


◯未来ある子どもたちへのエール

「心がブルっと震える瞬間を大事にしてください。

 “好き”や“感動”の芽を大切に育ててください。

 それがきっと、人生を彩る道標になるはずです。」


多忙な日々を送る和佐野さん。

取材当日、少し早めに伺うと、広報の方から

「もしかすると少し遅れてしまうかもしれません。」

と案内をいただきます。

その後すぐに、後ろから走ってくる足音が。

和佐野さんです。

「よかった〜、間に合った〜。」

そんなふうに言ってくださることに、心が伝わってきます。

頂いた時間を少し押してしまった私。

それでも簡単に済ますのではなく、真摯にエールを贈ってくださいました。


―――


2050年――宇宙エレベーターの完成が目指される年。

宇宙旅行も100万円で行けるようになるのだとか。

子供の頃、「月までのエレベーターを作る」と言って笑われた和佐野さん。

その夢の実現は、すぐそこまで来ています。

何が真実なのか、簡単には分からなくなって。

ネオンが夜空を照らし、見えるはずの星空が見えなくなってしまった。

クールを装いながら無関心でいることに努める人間関係。

自然に分かることや、知る機会が奪われる時代。


だからこそ…

笑われてもいい、バカにされてもいい。

心が震えるその瞬間を忘れないでください。


3年経てば景色は変わります。

10年経てば常識は変わります。

何もかも変化する中で、あなたの純粋な心は、常に一つを指すコンパスのように、

進むべき道をきっと示してくれるはずです。

心の筋トレ部

お坊さん心理師であり教員でもある片野が「心の筋トレ」を実務で実践させていただいています✨皆さんの自己免疫力💪を上げ‼️予病に貢献できるよう、情報発信していきます✨

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